爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「シュメル 人類最古の文明」小林登志子著

メソポタミア文明の最初はシュメル人が開きました。シュメル文化と言ってもほとんど知られていることは無く、楔形文字程度であるかもしれません。
その人類最古と言っても良い文明について、オリエント研究に長年携わってきた著者が詳細な解説をされたものです。
なお、著者が女性であるということはあとがきを読んで初めて気付きました。

シュメル文明は日本ではシュメールと音を伸ばして書かれることが多いのですが、実際の発音はほとんど伸ばさないものだということです。これはオリエント研究が進み始める当初に、シュメルは「すめらみこと」に通じ、日本の古代とも関係があるという俗説が流布したため、シュメル学を始めた一人である京都大学の中原名誉教授がわざと音を伸ばして表記したためだそうです。

シュメル文明を始めたシュメル人という人種はどのような人だったか今ではまったく分からないようです。その後のオリエント文明を継承した民族はほとんどがセム民族であるわけですが、シュメル語は日本語のように助詞を伴う「膠着語」であることは分かっているということです。中央アジアの方から東西に別れて進み一方はシュメル文化を作り一方は日本に達し、と考えるとスメラミコトの件もまんざら無関係とも言い切れない?かも。

どこから来たかも分からないシュメル人ですが、紀元前5000年頃にはメソポタミアの地にたどり着きそこで定住を始めました。後の記録にもあるようにそこでは頻繁に洪水が起こり、そのために非常に土壌が肥沃になって作物の生育が良い土地になりました。麦の生産性は60倍以上だったそうです。それも後期には土壌の塩化により激減するのですが。
楔形文字に先立って、絵文字の一種のウルク古拙文字と呼ばれるものが前3200年頃に生まれたようです。まだ完全には解読されていないようですが、財産などの会計について書かれているようです。その後前2500年頃までに楔形文字に進化して行きました。これは葦のペン(尖筆)が発達したためにそのような形になっていったようです。
その後の西欧社会はサインで認証する社会になっていきましたが、シュメルにおいては「はんこ」を用いる習慣があったそうです。円筒印章と言われる物で、粘土で封印した上から印章をころがして意匠を転写して封じたというもので、その封印がなければ途中で開けられたということになります。そのような経済活動がすでに行われていたということです。

シュメル人が国を建てていた当時から周辺からの侵入を図る民族は多かったのですが、やがてアッカド人が国を立ててシュメルを圧倒して行きます。アッカド人はセム民族であり、その後のセム支配の始まりとなります。
アッカド人はシュメルを圧倒してもシュメル語の併用は行ったようで、粘土板への記録も続けられています。アッシュル・バニパル王があちこちの占領地から集めた粘土板記録を残した図書館がそのまま埋没し、それが発掘されたのがメソポタミアの文明を解読する端緒となったそうです。

シュメル人は必要以上に粘土板に記録して残しており、それは後世で読んでもらうのを願ってのこととしか思えないほどだということです。それを解き明かすのがシュメル文明にお経を上げることだというのが著者の先輩の言葉だそうです。