爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「古今東西ニッポン見聞録」林和利著

日本を訪れた外国人が書いた日本の社会や日本人の紹介というのは数多く書かれており、古くは魏志倭人伝というのもそうですし、最近ではルースベネディクトの「菊と刀」やドナルドキーンの「日本人の美意識」という本も重要でしょう。
日本人自身が書いたものは、日本人として当然のことや常識的なことは特別には書いてないということもあるでしょうし、著者の外国人がどのような経歴かということによって日本についての興味の対象も異なるというところから、想像しにくいような観点で書かれるという面白さもあるということだと思います。

この本の著者の林さんは文学部教授で狂言や能の研究が専門だったそうですが、たまたま大学で「日本文化論」の講座を担当したということで、それまでに読んでいた外国人の日本論を全部読み直してみたそうです。それで、せっかくだから歴史を通じていろいろに書かれた日本の姿というものもまとめてみようと思い立ったそうです。
したがって、歴史学者や比較文化学者の専門家から見れば甘いところはあるのかもしれませんが、概観を見るということでは役に立つかも知れません。

最初に魏志倭人伝ですが、普通は「倭国がどこにあったか」というところばかりが取り上げられることが多いのですが、倭国の風俗が数多く書かれた部分にもハイライトを当てています。その内容は現代の風習につながるものもあり、実際の倭国の風習に触れた人が書いたものと考えられるということです。
マルコポーロ東方見聞録で描かれた「ジパング」にはマルコは訪れていないということは有名ですが、中国では日本には黄金が溢れているという噂があったのは確かなようです。なお、「ジパング」という記述から現代の「ジャパン」などの言葉ができているのですが、これは元々「日本国」という言葉を当時の中国人が「ジーベングォ」と読んでいたことに由来しているということで、結局「ニッポン」と同じ言葉から出たものだそうです。

ザビエル、ルイスフロイス、ヴァリニャーノなど、キリスト教を伝えるためにやってきた人々の観察記も残っていますが、そこに見られる日本人の姿は礼儀正しく、知恵が溢れ、能力も高いものと見られていたようです。
ただし、庶民も含めた日本人の知的能力の高さは江戸時代になって寺子屋などの教育が普及してからではないかという著者の見解はあまりにも一面的にも見えます。それらがあったから能力が上がったというだけではないように感じます。

幕末から明治にかけては多くの外国人が日本を訪れ文章を残しています。外交官ではアーネスト・サトウ、女性旅行者のイザベラ・バード、お雇い外国人として日本にやってきたモースやベルツなど、錚々たる面々が観察記を残しています。
日本の事物の優秀さを語っているとともに、明治維新になってそれらを捨て去り外国文物を取り入れることのみに価値を見出すかのような日本人の心情については皆批判をしています。しかし、まあそういった性質だからこそいろいろなものを吸収していけるのでしょうが。

外国人の日本観察というのは貴重なものですが、それだけで話をしていくのも危険でしょう。外国人を装って日本評論を進めたユダヤ人と日本人のような例もあり、また一つの問題点を鮮やかに見せているようです。