爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「信じぬものは救われる」香山リカ・菊池誠著

精神科医でさまざまな方面の著作もある香山さんと、物理学者ですが様々なニセ科学に対抗する論陣で有名な菊池さんがあれこれと対談した内容です。

2006年に日本物理学会の大会でニセ科学をあつかったシンポジウムが開かれたのですが、それを主催した一人が菊池さんでした。香山さんもそれを聞いて興味を引かれたそうです。
香山さんは精神科医としてだまされた結果うつ病が悪化した患者という人々も見てきており、だます人々、だまされる人々というものに関わってきているわけですが、菊池さんも科学を装って何らかの意図で出てくるニセ科学というものを糾弾しているうちに、それにだまされたいという欲望があるとしか思えない人々が居ることに気がつかされたということです。

そんなわけで、対談は”だましだまされ 私の開眼”というところから始まるのですが、香山さんの場合は「脳内革命」で1995年にブームを引き起こし、そのあまりの内容と、それを無批判に受け入れる人々、さらにそれに対して何も言おうとしない専門家たちに衝撃を受けたということです。
菊池さんの場合は「水への伝言」が小中学校の教育現場にまで広まってしまったという事実に気がついたところから始まったとか。学校教諭という人々が基本的な科学知識すらなくああいったものを信じてしまい、さらに教育にも使ってしまっているということがどういうことなのか、この点は他の場でもいろいろと聞いていましたが、本人の気持ちを聞いたのは初めてです。

第2章は「だます側の人々」第3章は「だまされる側の人々」ということで、だます側についてはまあ想像通りの内容でした。だまされる側ということは気がつかなかった視点もあり、興味深いところでした。
香山さんの話では、音楽関係の製作者から聞いた話で、最近のクラシック音楽では演奏が上手いというだけでは売れず、なにかストーリーがないと駄目だということです。目が見えないとか、事故で亡くなった人の娘だとか。この本の出版は例の事件の前ですが、あれが本当かどうかはともかくやはり話題にはなっていたんでしょうね。
また、最近は学生でも「いやし」を求めているとか。おじさんなら分かるけれど、若い人までそのような感覚になってしまっているそうです。
あるある大事典」の納豆ダイエット実験の捏造というのもありましたが、これが明らかになった時の視聴者の反応であまりにも怒りが強いのに著者二人とも驚いたそうです。菊池さんの感覚では、捏造があろうとなかろうとそれ以前の放送からあまりにも科学的な根拠のないことを言っているので大して変わらないような感覚で見ていたのに、「捏造があった」というだけで異様に怒りを買ったというところでびっくりしたそうです。この辺の心理については完全に理解はできないようでした。

第4章は「信じている人を説得していい?」という題なんですが、あまりのひどさに横から口を出すとだまされている人から「余計なことを言うな」と怒られるということは良くあるそうです。だまされて気持ちよくなっている人もいるわけで、そういった人は放っておけという気もしますが、それでもやはり黙っていられないのでしょう。
問題はうわべだけで判断するという風潮の広がりだそうです。ニセ科学批判をする場合でも、受け取る側が「それはウソと言われたからだめ」というだけでは本当の解決にはならない。自分で考えるという姿勢がなければ次のニセ科学にはまるだけです。つまり、これは本当、これはウソという判定を受け取るだけで、それ以上の思考がなくなってしまっているということで、榊原英資さんという方が以前に語っていたように、「二分割的思考は幼児的退行である」ということです。80年代は多様性が花咲いたように見えましたが、わずかの間の仇花で消え去ってしまったようです。

ニセ科学については他にも取り上げている人が居ますが、それで商売をしようとする人は限りなく今でも世の中に溢れかえっているようです。なかなか科学者はそれについて語ろうとしませんので、菊池さんや香山さんのような存在は貴重なものかも知れません。