爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「物語 ウクライナの歴史」黒田祐次著

著者は外務省の外交官で、1996年からウクライナの大使を務めました。
現在、ウクライナでは東部を中心に内戦状態になっており、大変な状況です。ウクライナといってもロシアとどう違うのか、日本からはなかなか分かりにくいところですので、この辺で一度ウクライナの歴史を簡単に追ってみるのもいいだろうと思ってこの本を読んでみました。
どうも、歴史的にも最近の情勢を見ても大変なところのようです。

現在のウクライナの地方に初めて住んだというわけではないのですが、歴史に現れるのはスキタイ人です。スキタイはイラン系の種族のようですが、紀元前700年頃にウクライナの地に住み大きな勢力となりました。
ヘロドトスがその著書の中でスキタイ人について書き表しているので今でも詳しく知ることが出来ます。遊牧を主にしていて、馬への騎乗とそこから弓を射る騎射に巧みで強力な軍事力を持っていたそうです。また金を非常に好み、金の装飾品を多く所有していたようです。

その後、9世紀から10世紀になり、スラブ人がキエフ・ルーシと呼ばれる国を建てます。この場所は現在のキエフを中心としているためにウクライナの地なのですが、直接継承した国というものがないためにロシア側でもウクライナ側でもこの国の自分たちの祖先と主張しているようです。
キエフルーシ公国でははじめは異教を信じていたのですが、やがてキリスト教を取り入れます。そこでギリシア正教を選んだということが後にロシアやウクライナなどに大きな影響を与えることになります。
なお、ここで入信する宗教を選ぶ時の挿話が残っていて、イスラム教は酒を飲めず豚肉も食べられない、ユダヤ教は豚肉兎肉を食べないということなのでギリシア正教を選んだということで、スラブ人が酒食に非常に執着が強いということを言っています。
13世紀にはモンゴルが来襲し一帯を征服してしまいます。ロシアなどもその勢力下に入り「タタールのくびき」と呼ばれますが、実はモンゴルは抵抗するものは徹底的に攻撃するものの支配下に入ったものは一定の税を納めさえすればかなりの自治を認め、宗教なども介入することはなかったので、かえって平和だったとも言えるようです。

モンゴルが衰えたあと、モスクワ公国もさほど強力でなかった時代はリトアニアポーランドがこの地域に進出してきます。その中で、ウクライナ人は農民として、そして都市部には多数のユダヤ人が住んでいたようです。
ユダヤ人は元々住んでいた人も居ましたが、この時期にポーランドなどから多数が移住してきました。それらの土地と比べてウクライナでは差別と偏見が少なかったとも言われます。これがその後の経過でアメリカに逃れるユダヤ人の基にもなっているということです。

15世紀ころには、いまだ政治的に安定した勢力が生まれない中でこの地域にコサックと呼ばれる自治的な武装集団ができてきます。徐々に勢力を強め、「ヘトマン」と呼ばれる首領に統率される強力な武装集団となったわけです。
ヘトマンのフメルニツキーやマゼッパという人の頃にはヘトマン国家と呼べるような勢力となりましたが、その頃はモスクワのピョートルが強大な勢力となり、ウクライナにも手を伸ばしてくる時期と重なってしまいました。
ちょうどその頃スウェーデンも強国となり南下してくる時期でしたが、ピョートルとの間で大北方戦争を戦い、ヘトマンもスウェーデンと組んでモスクワと戦ってウクライナ中部のポルタヴァで大敗を喫していしまいます。その結果モスクワの支配下となりました。

18世紀にはポーランドの衰退、トルコの撤退により、ウクライナ一帯はロシアとオーストリアに分割され統治されることになります。
ウクライナの農業生産力は非常に大きいものでしたが、19世紀にはさらに鉱工業の発展も大きく、ロシアの重要な生産拠点となり、さらに完全統治の勢いが強まります。また、労働者としてロシア人が多数移住してくることとなり、ウクライナ人を圧迫してしまいます。

第1次世界大戦が起こり、さらにその直後にロシア革命が起きるとウクライナでは独立の好機ととらえる活動が活発になりました。しかし、ロシアでボルシェビキが優勢となるとウクライナにも共産党支配が強まり、民族勢力の徹底的な圧迫が起きます。ソ連全体の穀倉となっているにも関わらず、大規模な飢饉がおき多数の餓死者が出るということも起きたのですが、その時にも穀物の移出は大量だったようです。

なお、第2次世界大戦の終了直前に連合国間で行われたヤルタ会談のヤルタというのはウクライナにあります。ここでドイツ敗戦後の日本への対応が話し合われたのですが、その際ソ連の参戦はアメリカのルーズヴェルトが強くスターリンに迫ったそうです。スターリンは対日参戦の大義名分がないので渋ったのですが、ルーズヴェルトの強い要請で承諾し、その代償として千島と南樺太の領有を求め、ルーズヴェルトはそれの了承したということです。
現在の対ロシアの領土問題はここに発することが分かります。

その後、ゴルバチョフの時代にソ連は解体しウクライナも独立することができました。実に350年ぶりだそうです。しかし、いささかタナボタ的なものだったためか、国内にはロシア人など異質分子を抱え込むことになりました。
本書はここまでで記述が終わりますが、著者には現在の状況も予測は出来たのではないでしょうか。

まだ当分はウクライナの戦乱は続きそうですが、その歴史を見ると今の激しい憎悪から生まれたような事態も納得できます。それと簡単には収まらないだろうということも予測できます。