爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「イギリス史10講」近藤和彦著

著者はイギリス近世史が専門と言うことですが、古代から10章に分けて一般向けにイギリス史全般を解説しました。

範囲ですが、グレートブリテン島アイルランド島などを含むブリテン諸島と言われる島々です。現在の国としては連合王国アイルランド共和国ですが、古代からは様々な民族が様々な国を作ってきました。イギリスも大陸の外れに位置してその先には海しかないので、古代に住んだ人の末裔が残っていると言う点では日本と似たところがあるのかもしれません。

イギリス古代文明では5000年ほど前のストーンヘンジが有名ですが、これを作ったケルト人はローマ時代まではフランスにも住んでおりガリア人と呼ばれました。ローマの侵攻やゲルマン人移動でブリテン諸島に追い詰められたという風に言われてきましたが、どうもそう簡単な構図ではないようです。
カエサルに始まったローマの侵攻はクラウディウス皇帝の時に完成しローマの領土となりました。しかし、その後アングロ族、サクソン族といったゲルマン人が流れ込み、アングロサクソンの諸国を作りました。
この人々は英語の原型と言える言葉を話し、またキリスト教を受け入れたため現在のイギリスの元になるものを作ったともいえます。

8世紀末からはバイキングの来襲が盛んになります。バイキングとはスカンジナビアデンマークのノルマン人とかデーン人と言われる人々でした。11世紀に至り、ウィリアム征服王と呼ばれる王がノルマン朝という王朝を確立します。
ノルマン人はフランスのノルマンディーやアンジュー、アキテーヌにも領土を持っており、それらを婚姻を通じて合わせていった為にイギリス全土とフランスのかなりの部分を合わせてアンジュー朝の王が治めることになりましたが、イギリスでは王であるもののフランスでは形の上ではフランス王に仕えるという複雑な形であったようです。
さらにフランスの王の継承問題もからみ、イギリスとフランスの間に百年戦争が起こることになります。
百年戦争もフランスの領土を失うことで終わった後には、イギリス国内でバラ戦争が起こります。その頃はペストの流行や作物の不作で人口が急減した時代でもあります。

1600年にリーフデ号が九州に漂着しますが、そこに乗っていたイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)は日本に帰化します。その後来訪したイギリス商船隊長J・セーリスはイギリス国王ジェームスの信書を持ってきました。アダムスがその信書を日本語訳し将軍に見せますが、わずか十数年経っただけなのに、アダムスの知っていたイギリスの国情が大きく変化したことがそこで見て取れるそうです。

18世紀には蒸気機関の発明などで産業革命が始まりますが、その初期には経済成長率を見るとほとんど成長しておらずあまり「革命的」には見えないようです。しかし、年率1%に満たなくてもそれが数十年にわたって続き、その後の世界の勢力を塗り替えたと言う意味では革命的でした。アジアに船が着いた当時はほとんどアジアに勝てるものはなかったそうですが、その後圧倒することになります。

イギリスやオランダには女王が居ますが、フランスには無かったというのはなんとなく知ってはいましたが、本書でその起源を初めて知りました。フランスには6世紀のメロビング朝のクロービスの時代にローマ法を模したゲルマン法の一種で「サリカ法」というものが作られ、そこには女性の王は認められないという一節があったそうです。その後ドイツでもサリカ法を採用しましたが、イギリスなどゲルマン社会の辺境といえる地域ではそれらに従うことはありませんでした。そのためにイギリスでは女王が即位したということだそうです。また、ハノーバー朝と言われるイギリス王の系統はドイツハノーバーから招かれたものでしたが、しばらくの間はハノーバー公領も領有していたそうです。しかしイギリスでヴィクトリア女王が即位した時にハノーバーではサリカ法のために認められず、別の君主を立てたとか。古い法律が生きているものです。

新書ですが、あまりに盛りだくさんな内容で消化しきれない部分も多かったようです。