爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「私の祖国は世界です」玄順恵著

日本ばかりでなく世界的にもますます国家主義民族主義の強化の傾向が強まっているように見えますが、その中で表題のように言い切ったものは珍しいということで題だけで手に取り読んでみました。

著者の玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さんは在日朝鮮人で、作家の小田実さんと結婚された方です。ご両親は戦前に韓国の済州島から日本に渡ってこられ、玄さんは7人姉妹の末娘として生まれました。玄さんの自伝ですが、その生涯を見ると祖国は世界と言わざるを得ないということが良く分かります。

ご両親はどちらも済州島出身ですが、故郷で知り合ったと言うわけではなく日本には別々に来てこちらで知り合って結婚したそうです。現在は南の韓国の領域ですが、朝鮮戦争当時には分断がこのように長く続くとは考えられず、南出身の人でも朝鮮籍を選ぶ人が多かったようで、玄さんも姉が北朝鮮に渡り長く会えなくなったということもあったようです。両親は亡くなってから故郷の済州島の墓に入ったために玄さんも韓国籍に確定させたということです。
北朝鮮籍の時にはパスポートが取れず、小田さんと結婚した後に中国やドイツ、アメリカなどで暮らすことがありましたが、日本への再入国許可証というものだけをもって海外に渡らざるを得ず、ビザを取るのにも一々相手方に説明をして納得させなければならなかったそうです。

小田さんと結婚したのは1982年ということで、年齢も私と同年代ですが結婚もほぼ同時期です。その当時でもべ平連で有名な作家の小田実が在日朝鮮人と結婚と言うことで話題になったそうですが、玄さんの親族でも日本人との結婚というのは相当反対もされたそうです。現代では在日韓国・朝鮮人と日本人などとの結婚の例も増えているようですが、その頃は抵抗が大きかったとか。

ドイツに暮らしたのも東西分裂時代のベルリンであったということで、厳しい社会情勢の中だったようです。しかし、第二次大戦の敗戦国としての立場は同じでありながら、自国が分裂させられたドイツと、自国の代わりに朝鮮を分裂国家にさせられ、自国はアメリカの完全な協力者となることができた日本とでは戦争に対する態度自体に大差ができてしまい、正常な敗戦処理ができないまま来てしまいました。

神戸に住んでいたお父さんは神戸の震災に遇い、家を失って故郷の養子夫婦の元に戻ったそうです。北朝鮮に居た娘もその時に国際電話をかけてきて40年ぶりに話をすることができ、その一ヶ月後に亡くなりました。震災当時にはそのような電話を北朝鮮からしてきた人が数多かったとか。厳しい状況にあるのは拉致被害者だけでなくこれらの人々もそうでしょう。