稗田阿礼は古事記の編纂者で、太安万呂がその言葉を書き取って古事記として書き表したと言われていますが、詳しいことはほとんど分かっていないようです。
そこで、本書はその阿礼が縄文語の話者であり、それの最後の残滓を安万呂が書きとめたということなのかと思って読み始めましたが、まったく違ったものでした。
紀元前600年の神代文字という話でおやっと思ったのですが、他にも縄文語は一字から二字で意味を通じ、ケは何、モは何という解釈が連続すると言う、まったくの「トンでも本」でした。
書店にはこういった本でも読者がいるということで並んでいるのも仕方のないことですが、市立図書館にも置かれていると言うのは意外でした。見たところは通常の学術書的な外観だったので、担当者が分からなかったのか。
途中まで読んでいくだけで疲れました。