スポーツの世界においては常に勝負と言うものを追求しており、特に一流スポーツマンではそれが言えますが、勝者が居ると同時に敗者も居るわけで、毎日のように敗者が生まれているとも言えます。
本書は日経新聞のスポーツ担当の記者が日ごろ取材をしているスポーツ選手がオリンピックなどの大きな試合、タイトルがかかった試合、記録がかかった試合、記憶に残る名勝負などで負けた側の敗因について書かれたものです。
本書が書かれた1999年にはバブル崩壊後の経済停滞が続き、沈鬱なムードの時代でしたが勝者の弁を聞くよりは敗者の敗因について書いたほうが世間のためになるのではと言う企画でもあったようです。もちろん、誰でもそういったことは言いたくも無いはずですので、前書きにもあるようにだいぶ取材を断られてもいたようです。しかし、どれも記憶に残っているようなエピソードでした。
例えば、1998年、夏の甲子園で準決勝では松坂の横浜に対して明徳義塾が8回まで6点差で勝っていました。松坂は前々日の星陵戦、前日のPL戦に登板して限界を越え、この試合は登板せずチーム全体もあきらめムードだったようですが、8回裏の横浜の攻撃の最初から松坂がブルペンに出て投球練習を始めたそうです。それでチームの全員に火がつき、逆に明徳義塾の選手には金縛りがかかりました。明徳の馬渕監督もあとから考えれば判断ミスというのが明らかな手をいくつも下してしまいます。甲子園の魔物と言うものかも知れません。次の決勝戦では松坂が京都成章を相手にノーヒットノーランを達成したと言うおまけまでつきました。
84年のロサンゼルスオリンピックでは平泳ぎの長崎宏子がメダル確実と言われながら惨敗してしまいました。これもひざの故障を抱えたうえに過剰な取材を受けコンディション最悪ということで、負けるべくして負けたと言うことです。
しかし、この部分に書かれている「個人競技で優勝候補の大本命とされ、国内に有力なライバルもなく期待を一身に担う形になった日本選手は、ほとんどのケースであっけなく敗れ去っている」ということは今でもまったく当てはまっています。つい先日のソチでもその通りのことが起きていました。
強者の崩壊と言うテーマでは、当時連勝を続けた後に敗れ去りその後は弱体化した、ラグビーの釜石、バレー女子の日立が挙げられています。懐かしくもほろ苦く感じる記憶です。
それにしてもマスコミの取材と言うのは特に若い選手にとっては危険なもののようです。今さら制限するわけにも行かないでしょうが、大きな影響を及ぼしているということは忘れないようにしたいものです。