爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「核爆発災害」高田純著

著者は札幌医科大学教授で核爆弾の爆発による災害の専門家ということです。

実験は別として戦争で核兵器が使われた唯一の被爆国の日本ですが、多くの人が亡くなったということは知ってはいても実態はなかなか理解されていないのかもしれません。
私も昔から「広島には何十年も住めないといわれた」とか「植物も生えない」といったことは聞いていたものの、広島も長崎も私の子供時代(昭和30年代の、被爆から10数年後)にすでに何の問題もなく復興していたのはなぜかということもよく分かってはいませんでした。
それがこの本を読んで初めて分かったことがいくつもありました。

本書の最初は広島の爆心のごく近くで被爆しながら生存した人達の事例から書かれています。もちろん様々の幸運が重なって命拾いをしたごく稀な例なのですが、それにしても放射能の影響はどうだったのかと考えてしまいます。
実は、このような爆心地であっても放射能の影響がごく短時間で済んだということで、それを何らかの形で避けられた場合はその後も影響が無かったようです。
これは、広島も長崎も原爆の爆発が空中の高い位置で起こったために核分裂で起こった生成物を含む火球がすべて空中で燃えつき、それはその後急速に上昇して成層圏へ広く拡散してしまったからだそうです。もちろん、地上へ中性子線が強力に降り注ぎ、それが地上の物質を励起した黒い雪と言われた物質となりましたが、放射能は弱かったようです。
それに比べてビキニでの水爆実験ではその威力が格段に強かったということもありましたが、それ以上に地表で爆発させたために核分裂生成物が多く残ったために残留した放射能が極めて多かったということのようで、第五福竜丸も被爆しましたが、他にも十分離れていると考えられ退避もしていなかった島の住民をアメリカ軍が急遽移動させることとなったということもあったということです。

それにしてもアメリカでもソ連でも当初は原水爆爆発の影響がよく分かっていなかったとはいえ、住民の避難もさせずに実験をしたり、爆発直後に軍隊を近づけさせたりとかなり危険なことをしてきたようです。しかし、それによって放射能の人体に対する影響というものも調べられているようで、急性の症状についてはどのような線量でどうなるかということもつかめるということです。すでに1962年にはソ連のグスコバ博士という人が放射能の線量と被害の状況をまとめた分類表を作っていたそうです。どうやってできたかということを考えるとおぞましいものですが。

また、内部被爆ということが過度に危険視されているということで、特に吸着されて長期留まると考えられているような甲状腺へのヨウ素吸着を除くと通常の代謝で徐々に排出されるそうです。

本書は福島原発事故の前の出版ですのでそれについての記述は当然無く、原子炉自体は非常に強固なもので攻撃しても傷もつかないという話をそのまま書かれており、冷却ストップによる水素爆発ということには触れてありませんが、それでも原発の事故より核爆弾の爆発がはるかに深刻なのは当然でしょう。
もしも広島級の20キロトンクラスの核爆弾が東京の中心部で空中核爆発したとすると瞬間的に広島の数倍以上の死者が出るようです。現代の建築物は地震に対しては強くなっているものの、重量のあるコンクリート製の建築は少なくなっているため、核爆発に対してはそれほど強度は上がっていないということです。
さらに、空中爆発ではなく地表爆発であった場合は強烈な残留放射能をもつ死の灰が風に流されると数十キロ風下でも人間が死亡する程度の放射線量が見られるようです。このような20キロトンクラスの核爆弾というのは現在ではごく小さなもので、危険性は広くあります。
また、ミサイル搭載の可能性についても、弾道ミサイルでも巡航ミサイルでもある程度の精度で飛来するならば北朝鮮からはわずか数十分で到達し、実際は迎撃などはほとんど無理とか。

やはり防衛などを目指すより広く核軍縮という方向で行くしかないのでしょう。