爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「石油の無くなる100年後の世界 (3)各論 食糧生産」

(3)各論・食糧生産
人類の生存という点を考えれば、石油などのエネルギーの価格高騰で一番考えなければならないのは食糧生産です。
現代の食糧生産は石油頼りだとよく言われますが、その実態はどこまで知られているのでしょう。

日本の農業は石油漬けと言われますが、そのイメージはどのようなものでしょう。おそらく、ハウス栽培で重油をどんどんと炊いて温度を上げているというのがまず上がってくるのではないでしょうか。
たしかにそれも大きな要素です。西尾道徳さんという方のブログ「西尾道徳の環境保全型農業レポート」というものがありますが、そこに掲載されているOECDとFAOの統計から計算したと言うデータによれば主要国の中で農業生産量当たりのエネルギー使用量は日本は北欧の国とほぼ並ぶ第3位で、石油1tあたり約2.5国際ドルだそうです。
大型の耕作機械や飛行機まで使うアメリカ農業でもこの値は約10ということなので、日本の農業はすでに問題となるほどのエネルギー漬け状態なのは確かでしょう。

それでは、その主要因はハウス栽培なのでしょうか。実はそればかりとは言えません。他の要因としては、耕作機械燃料、流通、ビニールやプラスチックなどの資材なども大量のエネルギーを消費していますが、忘れてはならないのは肥料と農薬です。
肥料は3大要素と言われている窒素・リン・カリとその他の微量要素が必要ですが、窒素分として使われているのは現在は合成アンモニアを原料とした塩安、リン安等の化学肥料です。このアンモニア合成法はハーバーブッシュ法というもので、高温高圧を必要とします。これらのためには相当なエネルギーを必要としますが、これは現在までのエネルギー価格が安い状況ではほとんど問題とならない程度の価格であったため、化学肥料の価格もこれまでは非常に安いものでした。
カリは鉱石として掘り出されますが、これも掘削機械の燃料、輸送燃料は必要です。
リンは鉱業的に掘り出されていますが、もともとは生物由来のもので、鳥の糞などが大量に堆積したものを使用しており、これはこれで資源枯渇が心配されています。
農薬もほとんどが化学合成品ですので、その反応にはエネルギーを必要とします。

化学肥料や農薬が乏しくなったら有機農業でやっていけるのでしょうか。
なぜ肥料をやらねば農作物が大きく育たないのかということを考えるには、土壌中の栄養分は必ず循環させなければ徐々に減少し、やがて枯渇すると言う原理を無視できません。
よく、「山の木々は肥料を与えなくても生えている」と言う人がいますが、これは「実も茎もすべてがその場で朽ちて分解しまたその場の栄養分になる」から成り立っていることです。農産物として作った植物は少なくともその食用部分を出荷します。本当はその植物を使って作った食物を食べた人の排泄物を集めてその植物が栽培された農地に戻せば土壌栄養分は循環し減少はしません。しかし、そのようなことは不可能です。
有機農業であっても堆肥を土壌に入れることは必要です。現在の堆肥はどうやって作っているのでしょう。よく行われているのは、家畜排泄物を集め、それと植物を混ぜて熟成させると言う方法です。これには畜産廃棄物と言うものがどういうものかを考えなければいけません。
現在の家畜の飼料は大量に輸入されているコーンや大豆といった原料から作られています。これらの栄養分は主にアメリカの土壌中のものが移行したものです。それが日本に輸入され、日本の家畜の食糧となり、そのほとんどが排泄され畜産廃棄物となっています。
それが有機肥料の基であるなら、そのような家畜飼料の流れがなくなれば供給もできなくなります。
エネルギー不足の世界では現代のような飼料作物の大量流通などと言うことはなくなるでしょう。
その他の有機肥料の原料といっても稲わら、麦わらなども使用量が少ない現在では余っているように見えますが、他の肥料がなくなりそれに使用が集中すればあっという間になくなるでしょう。
実はこういった肥料原料の枯渇というのは江戸時代でも場所によっては発生していました。日本は世界でも稀な人糞肥料使用の伝統を持つ国ですが、それでも食糧の生産地と消費地が乖離したら生産地の土壌栄養はどんどんと減る一方でした。江戸の周辺では人糞の投入が行われ野菜などの生産が盛んだったといわれていますが、それはごく限られた現象だったと考えられます。

このように、石油などのエネルギー供給が減少すると大幅に農産物供給量が減少すると考えられます。これはもちろん世界的に起こりますので全世界の食糧供給が減ることになります。
これがどのように怖ろしい事態につながるか言うまでもないことでしょう。これまでにも食糧減少で滅びていった地域文明社会はいくらでもありました。今回はそれが全世界一つの運命です。

なお、日本の食糧自給率の低いことをことさら取り上げている人々がいますが、それをことさらに言うのはは農林水産省と農協関係であるということで彼らの意図は明らかです。決して日本の安全のために食糧生産力を上げようなどとは考えておらず、ただ自らの勢力を増すことだけが興味でしょう。いずれにせよ現在のようなエネルギー高消費型の農業で食糧生産を増やしてもエネルギー自体の供給が減少すればあっという間に生産力は激減するでしょう。
ついでながら現代の食糧自給率をめぐる構造の中ではっきりしているにも関わらず、上記の人々が決して口にはしないのは、「日本は畜産をやめれば劇的に自給率は上がる」ということです。他の輸入食糧すべてを合わせたよりも大きい家畜飼料原料の輸入をやめ、すべて食肉で輸入することとすれば計算上の自給率は急上昇します。
牛を育てるためには食肉の11倍、豚で7倍、鳥でも4倍の量の飼料を与えなければならないといわれています。つまり、肉にならない大半は排泄されて畜産廃棄物となり北海道や南九州の畜産地帯の排水を富栄養化しているだけです。まあそれは現在だけの話でエネルギー供給困難な時代ではそのような食肉輸入と言う話も不可能になるでしょうが。