爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「石油のなくなる100年後の世界 (序)石油が無いとはどういうことか」

序)”石油が無い”とはどういうことか
オイルピーク説というものがあり、すでに世界の石油供給のピークは過ぎたというものです。それが妥当かどうかは色々と考え方があるでしょうが、世界の石油事情はどんどんと供給を伸ばせる状況ではなくなったということはどなたも異論が無いのではないでしょうか。
ちなみに、「もったいない学会」会長で東京大名誉教授の石井良徳さんの著書「石油最終争奪戦 世界を震撼させるピークオイルの真実」によれば、2004年末の時点で石油は1兆1886億バレル残っており、それはあと41年分の残量だそうです。

これまでの原油という概念とは異なるようなシェールオイルとか、オイルサンドのようなものまで含めると「石油類」といえるようなものはまだ相当残存しているという説もあり、それは一面では確かな話なのでしょうが、そういったものから現在のような使いやすい石油成分を取り出すのも大変な話で、コストも手間もかかるのも間違いないでしょう。

そのようなものまで含めて考えると、「100年後」には石油成分を含むものはまだ地中には多く残存していても経済的に使えるものではないものと考えられます。

100年後というものについて、どのような捉え方をするのかは人それぞれですが、昨今の経済環境では中期計画が1から2年、5年も先のことは長期計画といった風潮ですので、100年も先のことなど考えも及ばないというのが普通の現代社会人かもしれません。

しかし、今年60歳になる私は、父はもう亡くなっていますが生きていれば今年で99歳になります。100年前といえば私の祖父が現役で活躍していた時代です。そうかけ離れた昔ではありません。してみると100年後というのもそう考えればそれほど遠い将来ではありません。
私の子供はまだ子供を持っていませんが、もしもこれから子供、私にとっては孫が生まれるとすると、その子供の子供の時代、すなわち私の曾孫の時代が100年後の世界でしょう。

そのような近い将来に石油の使えない世界というものに直面しなければならない我々の子孫たちはどのような体験をするのでしょうか。

現代の文明、特に20世紀以降はエネルギー依存の文明であるということは確かです。
これは18世紀以前の文明とは全く性格を変えてしまったということで、科学技術がストレートに実現できること、食糧生産が(これまでのところ)無限に発展できるかのような夢を見させられたため人口の爆発的増加を招いたこと、軍事力が急速に増大し世界の破滅も招きかねないこと、世界経済の一体化を実現しその結果勝者が総取りという最終局面の実現も近づくという事態になったことなどの性格を持つと言うことであり、人類文明の最後を思わせることになってきました。

そのようなエネルギー依存文明の肝心のエネルギー供給が翳ったらどうなるか。それが「100年後の世界」を考えるということの重要性を示しています。

石油供給が増やせず、原子力ももはや当てにはできないということになり、代替エネルギー開発という動きが急になってきていますが、これが本当に可能かどうかということは決して楽観視はできません。研究開発に力を入れればいつかは可能だという見通しは決して確実ではありません。
石炭や石油のような化石燃料を燃やすというエネルギーに替わるものは今までのところ何も現れていません。それが現れるという保証は何も無いということを考えなければいけません。

もしも上手く開発できたら良いですが、できなかったらどうするか。これには「できないこと」を見越して対処する必要があります。「もしできたら」そういった対処は無駄になるかもしれませんが、無駄になっても構いません。「できなかった」けれど「準備もしていなかった」状況は最悪であることは明らかだからです。

それでは私たちの身近な子孫たちがまだ活躍しているはずの100年後、石油の使えなくなった世界とはどのようなものか想像してみましょう。もちろん、想像力の足りない点は数多くあるでしょうが、もし気付かれたところがあれば補足して考えて頂ければよろしいでしょう。

まず、「石油が使えなくなった」と書いていて、「石油がなくなった」とは書いていないことにご注意ください。おそらく石油成分というものはどこまで行っても「無くなる」ということはないでしょう。今でも原油が自噴するような油井から、深いところの海底油田、海水を大量に注入しなければ出てこない老朽化油田、オイルサンド、オイルシェールなどの低品質油分など多くの石油成分含有の資源があることは分かっており、その時々の価格とコストの関係で開発の可否が決まっています。
前記の石井先生の著書には、原油価格の推移についても触れられていますが、1980年までは1バレルあたり10ドル以下の価格でした。それが現在では100ドル以上のレベルの状態が続いています。100年後には1000ドル以上といっても不思議ではないかもしれません。

100年後にはおそらく多くの石油成分が残ったまま、経済的に引き合うような石油供給は不可能となっているでしょう。例えば今の社会でガソリン価格が1リットル1000円となったらそれを使う自動車社会は可能でしょうか。それと同じことで、将来も石油製品が全くなくなるのではなく、高価になりすぎて普通では使えなくなり、今のような石油社会ではなくなるということになるでしょう。
ただし、そうなっても絶対に使い続けていると考えられる分野があります。それは軍事分野です。100年先であっても、石油を使わない航空機の開発は不可能でしょう。またどんなに燃料が価格高騰しても軍事用には使わざるを得ないでしょう。軍事費が財政を圧迫しようと、仮想敵国が戦闘機を飛ばしていたら自国も飛ばさざるを得ないでしょう。まあ訓練用には回せないとなれば下手糞パイロットばかりで本当に空中戦ができるのか疑問ですが。
また、戦車・装甲車・輸送車なども石油燃料が不可避でしょう。まさか戦場でコンセントをつないで充電する電動戦車などというものは実用性がないでしょうから。