爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「メンバーチェンジの思想」中村敏雄著

かなり前に読んだ本の再読です。
著者の中村さんは東京教育大学を出た後、高校の体育教諭として教え、その後大学の教授になられたスポーツ学専攻の方ですが、この本以外にも数々のスポーツ関係の著書を出版されています。
この本は「メンバーチェンジ」と言うものを表題にしてはいますが、その他にもスポーツと言うものをめぐる文化について様々な観点から深い考察をされているものです。

最後のまとめのところに書かれているご自身の高校教諭時代の経験ですが、昭和30年代でちょうどバレーボールが9人制から6人制に移行するというころに生徒たちに試験的に6人制をさせてみたそうですが、生徒の反発は激しく9人制バレーに対し6人制バレーがいかに劣るかと言うことを口々に言ったそうですが、それから何年かして6人制バレーが普及したころに逆に9人制バレーをさせたところ全く逆に生徒皆が9人制バレーのやりづらさを訴えたと言うことです。
昔のバレーボールではゲームの醍醐味というものが「続くラリー」にあると皆が認識していたようですが、それについても生徒にあれこれと実験させて、バレーボール正規ルールの「3タッチ制」(3回のプレーで相手に返す)ではなく「4タッチ」にするとラリーが続く回数がかなり増えたそうです。とはいえ、そういった「修正ルール」では生徒も心から楽しめないと言うこともあったようです。
もちろん、高校生のレベルではトップレベルのゲームとはまったく技量が違うと言う現実もありますが、それでも正規ルールと言うものは「神聖」にして侵すべからずというのが誰にも染み込んでいるようです。

これは、もう一つの草野球の挿話にもあり、早朝の草野球の試合にどうしても一人集まらずこのまま8人で試合をやらせてくれという申し出(居ない一人の打順になったら無条件でワンアウトとするとか不利な条件としても)をしても「ルールブックには人数不足は不戦敗と書いてある」ということを言い張りせっかくの試合もできなかったことがあったそうです。

スポーツのルールというのはこのように「神聖視」されていますが、これも昔からそうなっていたというはずもありません。そもそもスポーツが現代のような形になってきたのもせいぜいこの100年ちょっとのことであり、それ以前はまったく違った形態で行われていました。本書にもあるようにそれが徐々にルールを変えながら発展してきており、ルール変更の意味もその時にははっきりしていたんでしょうが、長い時間がたってしまうと意味が忘れられてしまうこともあったようです。

スポーツは現代では「競技」と捉えられていますが、イギリスで行われていた町ぐるみの「フットボール」やフランスの宮廷で盛んだったテニスの前身といえる「ジュ・ドゥ・ポーム」などでは「競戯」とも言うべきものだったようです。これはさらにその前代の「遊戯」とは違っていて確かに体力や技術が進んではいましたが、現代の「競技」ほどではなかったようです。
また、その参加者というのもイギリスの「町村対抗フットボール」では村ぐるみすべての男性が参加するというもので、現代のような選りすぐりのエリート競技者がやるものではなかったようです。
それが上流階級のやるスポーツ、下層出身者でも優れた技術の「プロスポーツ者」による競技といった風に徐々に分離していき、結局プロスポーツとそれを見る大多数という現代の主流の形式に移り変わってきました。

それとともに「勝利至上主義」というものも出現してきます。そしてそれがルールの隅をつついてでも勝利を追及するという姿勢につながってしまい、それに対応してルールも変化していったようです。
バスケットボールもまだ出現して間もないころから、とにかく勝つために色々なことをやる連中に対抗するために、ルールをどんどんと変化させ、厳格にしていかなければならなかったということです。

また、昔の「町村対抗フットボール」の時代には試合時間があまり短くても面白くなかったようで、わざと遅らせるということもあったようですが、現代スポーツではほどほどの試合時間で終わらせるというのも重要な要素になってきてしまい、バレーボールなどでは得点の「サイドアウト制」を「ラリーポイント制」に変えてしまうということも起こりました。このルール改正が「テレビ中継のため」ということは公式にどこかに書かれているかどうかは知りませんが、誰にも周知の事実でしょう。ゲームの基本を根底から変えてしまうようなことでも平気で行われてしまったというのも現代スポーツの特色です。

本書の巻末解説には作家の玉木正之さんが登場しますが、「スポーツ報道が盛んで、監督の采配や選手の恋愛などまで書かれているが、その根本のスポーツルールについて理解しているものはほとんど無い」とあります。また、「巨人が強くなればプロ野球人気が上がると勘違いしている者も居る」とありますが、この本の出版(1994年)から20年が経ってもまだほとんど同様の報道がなされているというのは仕方のないことなのでしょう。
しかし、「ルールではこうなっている」とばかり言うのではなく、その裏にある事情を考えてみるというのは必要なことなのかも知れません。

本書の書名にもなっている「メンバーチェンジ」について記すのを忘れていました。メンバーチェンジは現代ではかなり普通のことになっているようですが、アメリカンフットボールやアイスホッケーなどアメリカ系のスポーツでは大規模に行われているのに比べ、ラグビーやサッカーなどイギリス系のスポーツではあまり行われていなかったのは、そのスポーツの由来にもよるそうです。メンバーチェンジが行えるというのは参加メンバーが身分に関わらず平等であることが条件なので、身分制の強固だったイギリスのスポーツでは長い間取り入れられず、アメリカでは早くから取り入れられ、怪我などによるだけでなく「戦略的メンバーチェンジ」というのも普通になってきたということです。