桐生さんの本は以前に中世ヨーロッパの食卓についてのものを読みましたが、今回は宮廷の王妃や寵妃に関する話です。やはりフランスが多いようです。
出てくる人々は名前だけは聞いたことがありますが、詳細は分からなかったものが多いようです。これも日本で言えば源義経や織田信長に関するエピソードが日本人ではいろいろなところで見る機会もあるというのと似たようなものなのでしょうか。
フランスの寵姫というのは皆独身ではなく何々夫人というように一応誰かの妻と言うことになっているようです。しかし、実際にはそのようなしかるべき貴族の夫人を無理やり王が愛人にするということではなく、もともと愛人だった女性を因果を含めて独身の貴族に形だけ結婚させ、実質的には国王の愛人ということで公的にも認められていたようです。しかしそこで生まれた子供は国王の息子であっても国王の即位権はなく、せいぜい貴族として領地も貰うだけだったということで、国王継承者は王妃からだけしか産まれなかったということです。この辺は日本や中国の側室というものとは全く異なった制度のようです。そのためにヨーロッパの王室は断絶が多かったのでしょう。
ただし、王妃が産んだ子は王子ですがその父親は怪しいと言うのも頻繁にあることだったようです。
アンリ4世はイタリアのフィレンツェのメディチ家の娘のカトリーヌを王妃としますが、よく言われるようにカトリーヌは美しくもなかったために国王は多くの愛人を持ったようです。カトリーヌとの結婚前からアンリ4世にはディアヌ・ド・ポワチエと言う年上の愛人があったそうですが、結婚後もその関係はまったく絶えずに続き、実質上の王妃はそちらだったとか。
ルイ14世の愛人として有名なモンテスパン侯爵夫人ですが、それと最初の国王の愛人のルイズ・ド・ラ・ヴァリエールについてはダルタニャン物語でも語られており、アトスの息子との恋物語というのはデュマの創作でしょうが、かなりの部分は史実だったようです。ルイの弟嫁だったイギリス王女との恋を隠すための隠れ蓑のつもりだったルイズとの間に本当に愛が芽生えてしまったというのは事実だったようですが、その行く末も小説どおりで捨てられて若死にしたそうです。その後にモンテスパン夫人が愛人となりました。
恋とか愛とかいうものが混乱の元というのは間違いなさそうです。