爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「分数ができない大学生」岡部恒冶、戸瀬信之、西村和雄編

ちょっと古い本ですが、1999年出版のもので、当時最盛のゆとり教育批判かと思いましたが主眼は大学入試で数学を外す風潮が強まるために、文字通り「分数ができない(有名)大学生」が増加していることについての警鐘です。

編者はいずれも当時各大学の経済学部の教授で、出身は数学系の方々のようです。現在でも状況は変わっていない(さらに悪化?)ようですが、大学が入学者確保のためにできるだけ入試を容易にし、なおかつ偏差値だけは高く保つように入試科目の削減を謀り、特に文系では数学を外すという傾向が強まったため、経済学部では数学的思考法が不可避であるにも関わらずそれができない学生が多数入るようになってしまいました。
その状況は危機的と考えられたようです。

大学の教育カリキュラムでは学生の質が高いだけでなく揃っていることも必須であり、その中に高校で数学をほとんどやっていない学生が混じっているということは極端に効率を落とすようです。しかし、数学非選択の学生が徐々に増えるということでまともな教育ができなくなってきているそうです。

数学を学ぶことにより、論理的思考という何をやるにも必要な資質が養われるということも社会的に理解されているとは言えないようです。数学嫌いの大人が多いために、ともすれば数学なんて知らなくても良いと公言する人も出るためになかなかそういった議論ができない傾向は強まっているとも見えます。

大学での教育の実効性が疑わしいために、企業の採用試験の際に基礎学力調査をするという会社も流行っているようですが、その具体的な問題はなかなか公表されていないため分かっていない点も多いものの、相当基礎的な日本語文章力、と計算力を問うだけのもののようです。大学も舐められたものだと言えるのかも知れません。

数学をやっているという生徒でも、以前と比べて高校などの授業で「証明」をさせるという訓練の時間が激減しているそうです。問題の解き方を丸覚えさせるという方が入試で点が取りやすいのでそうなっているのでしょうが、何のための数学教育か分からなくなりました。

等比数列ということも教えられていない生徒というのは、実際には借金の複利計算というのも分からないということなのかも知れません。実際の生活にも大きな影響があるという一例でしょう。

何より偏差値というものに振り回された受験生と大学というものが大きく状況を悪化させたようです。受験科目を少なくした方が偏差値も上がって一見難関校らしく見えるそうです。しかしその入ってきた学生を見ると惨憺たる状態だということです。
本書の結論というのははっきりとは述べられていませんが、受験科目の削減といった受験生におもねるだけの対策をせず、真に能力のある学生を採用し、教育するという大学の姿勢が求められるということでしょう。そして、この本の出版から15年が経っていますが、状況はさらに悪化していると言わざるを得ません。