明治から昭和初期にかけてのジャーナリストで「関東防空大演習を嗤う」という記事を書いたことで軍部から睨まれ、圧力により当時勤めていた信濃毎日新聞をやめざるをえなくされた桐生悠々の、その記事とその後名古屋に住んで自費で出版を続けた個人雑誌「他山の石」をまとめたものです。
このような事があったということは知識として知ってはいましたが、その文章というものは一般にもほとんど読まれてはいないのではないでしょうか。
「関東防空・・・」というのは太平洋戦争突入までにはまだ相当間がある昭和8年に行われた演習を批判したものですが、内容を見ると決して反軍的なものというわけではなく、そのような防空演習などというものは決して役には立たないということを指摘しているだけなのですが、それでもその批判を許さなかったのが当時の軍部だったのでしょう。そのわずか10年後に桐生の指摘どおりになるわけですが、それを見ることなしに病死してしまいました。
その後の個人雑誌「他山の石」では当時の世界の政情についてリアルタイムの批判がされています。あとから見る我々は先まで知っているような気になってしまいますが、その同時代の見方というものは興味深いものです。
ヒットラー、ムッソリーニ、スターリンなどと言う各国指導者も現代の目から見るような単なる否定だけでなく独裁的指導力で国の力を極限まで引き出しているという見方をしており、それはある意味で正確な考えだったのかも知れません。
これぞ本当のジャーナリストというべきなんでしょう。権力の言うがままに書き、人の尻馬に乗るだけの者には真似もできない生き方です。