爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「風は山河より 第3巻」宮城谷昌光著

松平三代とからめて菅沼家三代を描いた小説も、どちらも非常に厳しい時代を迎えます。
駿河今川義元尾張織田信秀もどちらも国内をある程度制圧したので三河遠江に手を伸ばしてきます。そのような動きのなか、松平広忠は今川に仕えることとし、嫡子の竹千代のちの家康を駿府に人質として送ることとします。
しかし、岡崎から駿府までの道も決して安全ではなく、松平や今川に信服していない豪族が数多くあるため海路を取ろうと船を使いますが、そこを押さえていた戸田氏が竹千代を拉致し尾張に送ってしまうと言う事件が発生します。
広忠はそれでも今川を離れることも無く織田の人質となった竹千代を無視しますが、織田もすぐに竹千代を殺すと言うこともなくそのまま留めているうちに今川と織田の戦いとなり、そこで信秀の息子信弘を捕虜とした今川はこれを竹千代と交換すると言うことになります。竹千代は織田からは解放されますが、三河に戻るわけではなくそのまま駿府に連れて行かれることとなります。
しかし、その後まもなく広忠は恨みを持つ佐久間氏の手先に暗殺されてしまいました。

菅沼定村は今川からの指令により織田の息のかかる雨山城の奥平氏を攻めることになり、今川軍や他の東三河の豪族と出陣しますが、攻撃を急ぎすぎ城に打ちかかった時は守備兵に待ち構えられておりあえなく討ち死にしてしまいます。まだ30代半ばの年齢で、嫡子の新八郎定盈はまだ15歳。定村の弟などが定盈の命を狙うと言うところで第3巻は終わりました。

今川氏は駿河の守護からそのまま大名となった名家ですが、それだからこそ動きが鈍く大きなアドバンテージを活かせなかったようです。それでも義元の最盛期にその軍を率いた雪斎という禅僧でありながら軍を率いても実力のあった者がいたと言うことはまったく知識がありませんでした。雪斎の指揮の下、三河まで大きく支配を伸ばしたのですが60歳で病死してしまいます。

良いところで終わって次を期待させると言う上手い手を使われています。