爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

教育論「学歴資格と職業資格」

読書記録の方にも書きますが、教育評論家の佐々木賢さんという方の本を読んでいますが、教育による資格付与に関して興味ある指摘がされています。
教育に関する規制緩和と言う形で、商業資本が教育産業に進出する動きが強まっていますが、所詮、金儲け目的ですので色々とおかしな点があちこちに出てきています。
その中で、いろいろと職業に関する資格を取らせると言う教育がありますが、その資格の種類がかつて1970年代には数百だったものが1990年には千数百まで増えており、しかもその内容に大いに疑問があるものばかりだということです。
資格試験は難しいのに現場労働は単純であるもの、取得しても就職できないもの、行政の縄張り争いだけのもの、特殊法人の収入源とするだけのもの等々です。

グローバル社会化という大きな動きの中で、かつてのような恵まれた就職先というものが激減しており、新卒者の就職も極めて劣悪なままになっています。そのような状況で就職希望の学生は昔のような学歴資格(高卒・大卒・大学院卒といった)ではその結果が思わしくないために、さらに就職に向けた資格を取る傾向が強まっています。もちろんそれらの資格取得のためにもさらに多くの費用がかかっている(=教育産業に金を貢いでいる)わけですが、それらの資格というのがほとんど仕事に対して役に立っていないというのです。(運よく仕事に就けたとしても)

つまり、それらの動きと言うのは単に教育産業に金を回しているだけで、学生たちにとっては何の役にも立っていないと言うことです。
佐々木さんはこれらの資格というものの明確な評価と言うものが必要だと書かれています。

前の教育論で私が書いた「職業資格と教育の関係」では、このような形だけのものではなく本当に資格を取得しなければ就職もできないと言う状況を想定して論じました。そのような社会と言うのも締め付けだけで動きの取れないもののように感じましたが、実際の社会はまた別の意味で惨憺たる有様になっているようです。

一方の「学歴資格」というのは、昔のように何々大学卒というだけで就職ができ、それなりの勤め先が得られるというものです。もはや夢物語かもしれませんが、それに期待をつなぐ子供や親にとっては望みの綱かもしれません。それがまた教育産業の狙い目になり、驚くほどの金額を吸い上げられることになります。

教育に関する状況は考えれば考えるほど暗澹としてきます。資本主義の最後の悪あがきでグローバル経済が蔓延している限りはこれは変わらないでしょう。いつまでも続くわけではないと思っていますが、しかししばらくは変わらないかもしれません。