爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「物語 タイの歴史」柿崎一郎著

東京外国語大学タイ語を専攻し、その後タイの研究を続けて現在は横浜市大の准教授の柿崎さんがタイの歴史を書かれた物です。ご本人もあとがきに書かれた様に、タイの通史と言うのは大きなテーマで、力不足と謙遜されていますが、それでも書いたのは、日本語で書かれたタイ通史というものがほとんどなく、学生時代に参考にしたものも第二次大戦前の発行のものだったとか。
一般にもタイとの交流は盛んで、訪れる人も多い割にはその歴史については日本人にはほとんど知られていないでしょう。せいぜい山田長政の名前を知っているか、「王様と私」の映画を見たくらいではないでしょうか。

「タイ」とは現在の国の名前ですが、実際はタイの国の大部分を占める「タイ族」という民族の名前です。以前はシャムという国名を使用していたのですが、タイ族ナショナリズムが勃興した時に国名もタイと改めてしまったようです。それ以外の民族も数多くありますので、国名をまたシャムに戻そうという動きもあるようですが、実現しそうにはありません。

元は中国南部に居たタイ族ですが、漢族の圧迫で徐々に南下しインドシナ半島に住むようになりました。小さな単位の村落で暮らしていましたが、8世紀には南詔という国ができました。これがタイ族の国かどうかははっきりしないようです。
カンボジアクメール人ビルマ人が先んじて国を建てる中で、13世紀にようやくタイ族のスコータイ王国が成立します。
その後アユッタヤー王国が継ぎます。しかし、その頃はビルマ人の国の勢いが強く、なかなか独立した国とはなれなかったようです。

16世紀になり、アユッタヤー朝にナレースアン王が出て、ビルマからの独立を獲得し、さらにカンボジアラオスも傘下に入れてタイとしては最大の領域を確保します。海外との交易も盛んになり、その頃仕えた日本人に山田長政が居たということです。
しかし、その後ヨーロッパ勢力がインドシナ半島を植民地化する動きが強まり、イギリスがビルマを得て、さらにフランスはベトナムを得ます。その間にあって緩衝地帯となることでタイは植民地化を免れますが、その領域は細く制限されてしまいました。
第二次世界大戦では日本が進出してきて、タイは一応これと結ぶことになりましたが、日本の側に立っての宣戦布告もしてはいたものの、不完全な形で出すことによって戦後に言い逃れることに成功し、完全な敗戦国側に立つことはなく済みました。

その後も民主化と軍政の間に揺れ続けていますが、国王の力も強く複雑な情勢になっています。経済状態もインドシナ半島の中ではもっとも良い方なのですが、領土をめぐる争いが長い間続いていたこともあり、周辺諸国との摩擦も絶えないようで、どこでも似たような問題があるものだと思います。

なお、地名や人名はタイ語の発音に近いように書いてあるのでしょうが、通常日本での表記はあまり長音や促音が無いのですが本当はあるようです。×アユタヤ→○アユッタヤー ×タクシン→○タックシン ×チャチャイ→○チャーチャーイ等々です。