爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

教育論「学生の側の立場から」

社会の立場、特に企業の立場からの人材教育について述べてきたつもりですが、教育を受ける側、学生・生徒、そしてその親の立場から見ればどういうことになるでしょうか。

ほとんどの学生そしてその親からの要望は、教育を通して少しでも有利な職を持てるようにすると言うことでしょう。これは教育というものが起こったそもそものところから常に期待されてきた機能でしょう。
古代エジプトでも文字の読み書きができれば書記として収入が得られました。日本の江戸時代でも読み書きソロバンができれば有利な就職先があるということで、寺子屋の教育がされました。
中国近代まででは、科挙の試験で上位で合格することが官吏として出世する道であるとしてその勉強に集中しました。

教育を受けることで、教養人となるなどと言う目標を立てられたことはほとんど無かったと言えるでしょう。その割には実際に受けている教育は一般教養だけなんですが。

現在の日本(そして大抵の諸外国)では幼児教育の段階から何らかの教育成果の評価という手段を用いて選別し、教育機関に序列をつけ、その順番に従って有利な就職をできるような仕組みにしたあります。
その教育内容はあくまでも基本知識と一般教養であり、社会で直接役に立つという内容はほとんどありません。
しいて考えれば、そのような一見して無駄な内容の科目を文句も言わず高度にこなせると言う能力自体を評価しているのでしょう。噛み砕いて言えば「こんなつまらない勉強を我慢してできて良い点数を取れるのはすごい」というだけの話かも知れません。
ちょっと天邪鬼に考えれば「その程度の我慢ができなければ、社会では通用しない」ということを言っているのかもしれません。

もう一つ言えるのは「教育にはかなり金がかかる」ということです。そのために社会階層の固定化ということが言われています。つまり、教育を十分に受けたものだけが社会的に高い地位につけるような仕組みになっているが、そのために教育を受けさせるにも相当な財産が必要となり、結局現在社会的に高い階層の子弟でなければ教育を受けられず、その結果世襲化が起こると言うものです。
これはこの数十年を見れば、また特定の職業を見れば、かなり当たっている話と思います。
大企業や上級公務員などになれる人間はかなりの比率でそういった親を持っていると言うのは正式な調査はあるかどうかは知りませんが、ありそうな話です。
また、医者などは明らかにそういった傾向が見て取れます。
まあ、いつまでも続くとも言えないとは思います。また、現在高収入を得ている職業と言うのは必ずしも大企業社員と限られたわけではなく、かえって個人経営や中小企業経営者の方が収入は多いのではないかと思います。そういった人々は必ずしも高学歴と言うわけでもないようです。

しかし、受験難関校に入学し、大過なく卒業できればそうでないものと比べ圧倒的に有利であるのは間違いなく、そういった社会構造になってしまっていると言うのは確かでしょう。