爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

教育論「教育によって付けられる能力は何か」

しばらく教育に関して連載をします。
人間に必要な能力と言うものは多岐にわたります。生まれながらに持っているものもあり、家庭で育つ中で身につくものもありますが、学校などの教育の場で身につく能力もあるでしょう。(でなけりゃ学校の存在の意味がありません)
もちろん、生まれながらの素質が教育で開花してすばらしいものになると言うことも多いでしょう。素質がなくても教育だけで身につく能力というのもあるかも知れません。
家庭での生活能力などのように、家庭で教えるべきものでも学校で教えられないと皆無と言う人も出てきているかもしれません。

しかし、現代の産業社会、科学社会においては、なかなか生まれながらの素質だけではやっていけず、教育の必要性が大きくなっているのは確かです。

すでに江戸時代でも寺子屋で「読み書きソロバン」を習わなければ、一般の町人でも仕事ができなくなってきつつあったようです。その頃では「字が読み書きできる」というだけでも仕事が見つかるということもあったでしょう。現代では「英語が話せる、パソコンでワープロソフト、表計算ソフトが使える」程度は求められることも多いかもしれません。

もちろん、社会の構成員としては様々な階層があり、それぞれで求められる能力と言うものも異なってきます。それが真に個人の能力で決まることもあり、親の職業・身分・財産で決まることもあり、まだ国や社会により様々です。しかし、まあここでは一応、「個人の能力のみにより社会の中で担当する職務が決められる」理想社会を考えてみましょう。
すると、固有の能力や家庭教育で身につく能力は別として、初等教育から始まる付与能力の程度によりその後たどる人生のコースが決まっていくことになります。すなわち、小学校で基礎教育を行ないその成績により進学コースと就職コースとを分別し、さらにその中で各種職業別の教育を受けるようにしていくというイメージの社会になります。

そうなると、上級にふさわしい資質、例えば”統率力””企画力””判断力”などと言う能力はかなり上級の教育機関で取り組むことになるのかもしれません。
こういう社会もどうも「理想社会」とは言えない様にも感じます。「効率社会」ではあるのでしょうが。