中国古代史専攻の大東文化大の渡邊教授が王莽について書かれたものです。
王莽は前漢の末期に政権に近づき、周到な手段で簒奪して新という王朝を立ててしまいますが、その政策はすぐに破綻して赤眉の乱を招き、後漢の復活に至りました。
そのためか、中国でも日本でも非常に王莽の評判は悪く、評価はだいたい最悪です。
しかし、その後の中国の諸王朝が儒教を中心とした国づくりをしていくというのは、実は王莽の新王朝のやり方だったと言うことです。
儒教が深く王朝統治に関わると言うのは、以前は前漢から始まると言われていましたが、実は前漢ではあまり進んでおらず、王莽から始められたと言うことが確かめられてきました。
そして後漢やその後の王朝でもそれが踏襲されたことにより中国の歴代の国の統治様式もそのようになってきたということで、王莽からすべて始まったと言うこともできるようです。
それにしても、儒教に基づく国づくりというのはいかにも現実との乖離が大きすぎました。そんなわけであっという間に瓦解したのですが、それでも理想に向かって国づくりをしたと言うのはなかなか軽視できないことかも知れません。