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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「それはいつか、いつから何をしなければならないか」

エネルギー文明論

エネルギー源の中では一番早く減少すると見られている石油ですが、それでもようやく生産ピークを迎えたというところで、まだまだ埋蔵残量は多いといえます。本格的に使用しだしてからはまだ100年も経っていませんから、少なくとも数十年は十分に持つだけの量はあるのでしょう。
天然ガスは地中での存在の性質上、石油のようにあるのは分かっていても採れないということはなく、無駄なく使えるのでしょうが、その代わり無くなる時は急激に減少するものと考えられます。
石炭はまだかなり存在するということですが、その品質は千差万別で、もちろん高品質で採掘しやすいものから使っていますので、いずれは地中深くから掘り出しても低品質のものしか採れないということになるのでしょう。しかし、それもせいぜい100年というところでしょうか。

さて、これらのエネルギー源は「あと何年持てば良いのでしょうか」
メタンハイドレートが話題に上ったとき、日本近海の全てが使用可能であれば、100年分の使用量に相当するなどという解説が出回りました。まあこれは机上の空論そのもので、論評するにも値しないものですが、一つだけ気になるのは「100年分」のところです。100年分あれば十分なのでしょうか。100年間はこれまでと同様のエネルギー漬けの生活を送っていき、100年たったら全部無くなりましたで済むものなのでしょうか。

よく言われるのは、「何十年かあればその間に色々な技術開発や研究が進むから大丈夫だろう」という楽観論があります。その論の危うさについてはまた別に述べますが、半ば賭けのように人類文明の存続を扱っても良いものでしょうか。

100年というと相当長い年月ですが、実は100歳の人もかなりの数がご存命であるように、それほど長いとも言えません。私自身はもうすぐ60歳と言う年齢ですが、数年前に亡くなった父は生きていれば98歳になります。祖父母はさらに前の生まれですし、曽祖父は明治前半の人です。例えば100年後と言ってももしかしたら自分の曾孫が活躍している時代かも知れません。自分の曾孫がエネルギー枯渇と言う文明の危機に直面しても良いのでしょうか。

現在はほんの一時の高度成長時代のみが正しかったかのように考えられ、すべてが経済成長に向けることが当然のように思う人間がほとんどのため、エネルギー政策も景気に悪影響を与えると言うようなものはすべて忌み嫌われています。これだけ危機をもたらした原子力発電も景気対策の前には完全復権も間近かと思えるほどの情勢となりました。
しかし、自分の孫、曾孫が大きな危機を迎えるようなことは避けるようにしたいというのが正常な人の心ではないでしょうか。
意味のない楽観論に人類未来のほとんどを賭けるようなことはせず、悲観論側に立って100年(本当はもっと長い将来)先を見据えた政策を取らなければなりません。

楽観論のまま、エネルギー浪費生活を続けるのはあまりにも無謀です。ここで1年間浪費した量のエネルギーで、もしかしたら将来は10年間生活しなければならないかも知れません。正しい対応を始めるのには1年でも早ければ早いだけ効果は現れるでしょう。
2年先のことすら想像もできずに政策を走らせ出したアベのような無能リーダーを戴いて喜んでいる日本人ですから、このような提言は豚に真珠でしょうが、言わなければならないものと思います。