爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「組み立ての経緯」

以前のことを考えると、現代のエネルギー文明の呪縛には当然自分自身も強く縛られており、見直すことができたのはいろいろの経緯があってのことでした。
もう10年近く前になりますが、インターネットを使えるような環境になりあれこれと調べているうちに、いわゆる二酸化炭素温暖化があまりにも一方的な議論で力を持ってきていることに憤りを覚えネットや書籍で調査するようになりました。そちらの面は詳しくはここでは述べませんが、ここに至りすでに実際に寒冷化が兆候というよりは強く影響を及ぼしだしているにもかかわらず、まだ温暖化と言い続けている人が居るのには哀れを覚えます。

二酸化炭素の発生源と言う面から石油などの化石燃料について見ていると、オイルピーク説というものに出会いました。それまでは一般的な理解と同様に、「昔から無くなる無くなると言われているがまだ大丈夫」と言った原始的な感覚論に自分自身も引っ張られていたのですが、実は新たな油田の発見というのは既に数十年も前から減少しており、埋蔵量の限界もすでに見えてきている状況だと言うこと、さらにこれからの石油生産は海底や極地など非常に採掘困難な地域からのものとなるため、コストもどんどんと上昇していくということなども理解できました。
その辺の事情については、”もったいない学会”の石井良忠会長のHPや著書などにより分かり易く知ることができました。

それを知ってみると、二酸化炭素温暖化というものが原理的に起こるかどうかと言う問題も、「だいたい、それほど何を燃やすつもりなの」と言う点からの理解ができます。つまり、二酸化炭素濃度の上昇で気温も上昇すると言う仮説(これも相当怪しいものですが)が事実だとしてもそれが実現する前に燃やす燃料がなくなってくるのではないかと言う可能性の方が強いということです。
そういう意味では、二酸化炭素温暖化論者が二酸化炭素発生を抑えなければならないと言うことを主張するのは、論拠は間違っていても方策としては(偶然)合っていたことになります。

温暖化がどうのこうのと言って、影響をあれこれ挙げて「こんなに大変なことになるぞ」と言う脅迫まがいの研究発表(出来の悪い作文?)が一時はひっきりなしに出ましたが、そんなことよりも化石燃料の供給が減少し、価格が急上昇するから対応しなければならないと言う方がまともな議論であり、対応を考える上でもおかしな方向に行かずに済むという点ではるかにマシな議論になります。

このような経緯で、実は今後の人類文明において、石油などの化石燃料の供給不安というものが文明の存続自体を危うくする大問題だと言うことに気付いてきたわけです。それらの中で、このような高度なエネルギー消費文明というのも実はここ数百年だけのわずかなものであることも分かりました。上記の、石井先生の著書の中に、1975年当時のオレゴン州知事(名前は明記してありません)が表したと言う有名な図があります。人類が消費しているエネルギー量を数万年前から年毎の量で見たものです。最近のほんのわずかな期間に突出したエネルギー消費量になっています。この図のもう一つの大きな意味は、今後の予測です。短期間に急増したエネルギー消費はその後すぐにまた急減してしまいます。それがどういう意味なのか、よく考えれば極めて怖ろしい事態が起こると言うことであることが分かります。
このエネルギー浪費型文明というのは本当に一時のまぼろしなのでしょうか。