爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「脱米潮流」毎日新聞外信部

アメリカが世界の中で超大国として振る舞うというのは、やはり第二次世界大戦後の世界情勢の中でのことだったのでしょう。

そして、共産圏の自壊とともに唯一となったのですが、2001年の同時多発テロに現れているように、アメリカとの闘いを挑む勢力も各地に出現しています。

 

世界各国のアメリカとの関係というものは、長い歴史の中で形成されてきたものであり、それぞれの事情もあって千差万別です。

しかし、特に親米傾向が強いと言われていた国でも国民の意識に変化が起きたり、反米意識の強かった国でもアメリカ文化に浸かってしまったり、大きな変化が見られます。

本書は、2004年から2006年までの間に、毎日新聞の外信部が各国の情勢を取材し、さらに現地の人にインタビューをし、各国の対米意識について連載した記事をまとめ直したものです。

 

世界一の親米国と言われてきたのがポーランドです。

かつてナチスドイツに痛めつけられ、その後はソ連と苦難の道をたどってきたために、そこから解放してくれたという思いがアメリカに対する親近感を強めたようです。

しかし、その感情は一方通行のようでアメリカからの扱いは必ずしも良いわけではないようです。

そのため、若年層ではアメリカ離れ、ヨーロッパ接近という意識が強まっています。

 

イスラム各国は、それぞれアメリカとの関係は異なりますが、テロ事件以降の容疑者の扱いではアメリカは現地政府を飛び越えて超法規的な捜査を行っており、親米国ほどその反発も強いようです。

国民の中には反米意識が高まっており、これが次のテロを引き起こしかねないほどです。

 

イタリアでは、ファシスト政権を倒してくれたという恩義からアメリカへの友情を忘れない人もいたのですが、イラク戦争などを通じ対米感情は悪化しているようです。

なお、イタリアからアメリカへの移民も多数渡っていたのですが、そこにはマフィアも含まれており、それを描いた映画「ゴッドファーザー」などは大ヒットしました。

シチリアには「コルレオーネ村」という場所が存在し、映画の舞台ではないのですが、それが人々の意識の中で重荷になっているそうです。

 

各国のアメリカへの意識の変遷というものは、アメリカの行動、すなわちその利益のためのみに動く体質、軍事力を背景にして圧力をかけるといったもので影響をされてきました。

冷戦以降の一国超大国状態で、それがさらにひどくなったようで、対米意識も悪化したようです。

これが直接間接にテロにつながっているということなのでしょう。

 

脱米潮流

脱米潮流

 

 なお、世界中で最も親米と言える日本については何の言及もありませんでした。

「IT汚染」吉田文和著

「IT汚染」とはちょっと広い範囲の言葉のようですが、ここでは「半導体企業の製造工場などの環境汚染」と「IT機器の廃棄」の問題を扱っています。

 

というのも、やや古い出版で2001年の発行ですので、まだ日本国内でも半導体企業が製造を盛んに実施しており、そこからの環境汚染も問題となっていました。

現在では多くの製造企業は海外との競争に敗けて中止しているので、かえって日本では汚染は減っているかもしれません。その分、海外に汚染が広がっているのでしょうが。

 

かつては、IT企業といえばクリーンなイメージで、工場も清浄という思い込みがありましたが、実際は非常に大きな環境負荷をかけているのが実情です。

 

特に、半導体製造の工場では、多くの環境問題との関わりが存在します。

まず、半導体製造自体に非常に多種多様の化学物質が多量に使われているということです。

エッチング工程やイオン注入工程というものがあり、どちらも化学反応を起こしやすい強いラジカルを生成します。そのために、毒性も強いということになります。

また、半導体製品の性能を上げるためには何度も洗浄が繰り返され、そこには各種の有機溶剤やフロン、超純水が使われています。

また、製品あたりの水の使用量も他の産業よりもはるかに大量です。

このように、半導体企業は決して環境に優しくなどないということです。

 

工場内の作業員の環境も決して良いものではなく、病気になりやすいという噂も蔓延しています。

徐々に中国や韓国、東南アジアにそれらの工場が進出していますが、その地では従業員の健康管理の意識も低く、病気になれば退職といった状態が見られます。

 

日本の工場はかつては国内生産量も多く繁栄していましたが、その後は海外との競争に敗れて撤退していきました。

その後に残されたのが、土壌や地下水の汚染です。

トリクロロエチレンや、テトラクロロエチレンといった有機溶剤が地下水を汚染しているとして問題になる例が続出しています。

地下水を飲料に使っている地域以外ではあまり関心を呼ばないためか、問題化することが少ないのですが、かつての工場付近では多数の汚染例が見られます。

 

パソコンを始めとするIT製品の廃棄物も大きな問題となっています。

そこには、鉛、塩ビ、カドミウム、水銀、クロムといった有害物質が含まれているのですが、これらを効果的に処理する体制にはなっていません。

リサイクルするという建前があっても、それらのシステムは上手く働かず、多くの廃棄品が中古と称して途上国へ流出してそこの環境を破壊しています。

 

日本の家電リサイクル法は、廃棄時に消費者が負担するという建前のために、違法投棄が横行しています。ヨーロッパなどのように、製品販売時に廃棄費用も上乗せして取らなければならないのですが、日本ではメーカーや販売者の都合を優先してこうなってしまいました。

一刻も早く法改正が必要です。

 

そのような廃棄物対策の強化とともに、まずIT機器の構成をできるだけクリーンにすることが必要です。リサイクルできないものや有害物質はできるだけ使わないという方向に進めるべきです。

 

この本の主張が何も生かされないまま、現在に至りスマホなどの状況はさらに悪くなっているようです。

 

IT汚染 (岩波新書 新赤版 (741))

IT汚染 (岩波新書 新赤版 (741))

 

 

「ルネサンスとは何であったのか」塩野七生著

古代ローマなどを描いた「ローマ人の物語」という大著を書かれた塩野さんですが、元々の興味の対象はルネサンス期のイタリアであったそうです。

 

大学で卒論のテーマとして15世紀のフィレンツェの美術を扱い、その後イタリアに渡ってさらに見聞を深めていきました。

そして著者自身が「ルネサンス物」と呼ぶ著作を出版していき、その後古代をも書くようになったということです。

 

本書はそのような「ルネサンス物」の基礎となるような、ルネサンスの全体像を表しておこうというものです。

 

ルネサンスという時期を、著者は通常より少し昔の1200年頃から、最後は反動宗教改革というものが起きた1550年ころとしています。

そして、ルネサンスを始めた者として、アッシジの聖フランチェスコと、神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世を挙げ、彼らの記述からこの本を始めています。

 

ルネサンスの開始を、ダンテやジョットーからとする見方もありますが、芸術面からだけ見ていけばそうであっても、歴史上の精神運動という意味を考えれば宗教家の正フランチェスコと政治家のフリードリヒ2世がまさにルネサンスの土壌を用意したと言えるそうです。

 

聖フランチェスコは、後のプロテスタントのようなローマ教会に楯突く抗議活動はしませんでしたが、教会の活動に大きな変革を起こしたと言えます。

アッシジの商人の父親が、南仏のアヴィニョンに滞在中に知り合ったフランス女性と結婚し、アッシジに戻ってから産まれたのがフランチェスコでした。

フランチェスコという名前は、彼以前には存在しませんでした。英語では「フランシス」フランス語では「フランソワ」、つまり「フランス人」という意味であり、それを男子の名としたのは彼が最初でした。

その後、どの国でもこの名は大人気となるのですが、聖フランチェスコにあやかろうとしてのことです。

 

ルネサンスの芸術面の花が最初に開いたのはフィレンツェでのことです。

最後の光が輝いたヴェネツィアフィレンツェは、その都市の性格、人々の性格で大差がありました。

フィレンツェ人の気質として特徴的なのは、個人主義が強すぎるということです。

これは、学問や芸術の面では非常に有利に働きます。

しかし、社会の安定というものは個人主義が強すぎると得ることができない。

メディチ家の没落とともに、フィレンツェの繁栄も終わってしまいました。

 

その後のルネサンスは、ローマ教皇の主導で進むことになります。

カトリック教会の権威に逆らうというルネサンスの意味が、教皇主導とはおかしな話ですが、ルネサンス期の教皇にはそういった人々が連続して就任していました。

 

しかし、ラファエッロやミケランジェロなどの大芸術家の作品を次々と仕上げさせるためには、ローマ教皇といえど莫大な支出が必要でした。

それで苦しくなった法王レオーネ10世は、禁断の免罪符発売に踏み切ったのでした。

これに憤慨したのがマルティン・ルターであり、そこからプロテスタントが始まります。

その始まりに、ルネサンスの芸術が関わっていたということです。

 

ルネサンスの意味というものはどういったものか、絵画や彫刻だけを見ていてはなかなか理解しにくいものかもしれません。

 

ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)

ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)

 

 

「名作うしろ読みプレミアム」斎藤美奈子著

つい最近、同じ著者の「名作うしろ読み」を読み、面白かったのでその続編も続けて読んでみました。

 

「はじめに」によれば、本作ではさらに名作の範囲を広げ、海外小説や童話、時代小説まで食指を伸ばしたということです。

ただし、「推理小説の犯人を明かすほど野暮じゃない」ということで、それは書いていないようです。

 

しかし、あらためて感じるのは、名作の著者名、題名、書き出しの文章は覚えていても、中味や結末などはまったく知らないものだということです。

私も一応「受験秀才」の範疇に入る生徒だったので、そういった丸覚えで済む部分は記憶していたようですが、全文を読む時間も気力もなかったのでしょう。

 

それにしても、40年前の受験の記憶がまだ残っているのは大したものです。

 

(あわわ。よく考えてみると大学受験は”40年”じゃなくて”45年前”だった。会社に入ったのが40年前)

 

志賀直哉の「暗夜行路」、非常に有名な小説ですが、中味はまったく知りませんでした。

実は不義、不貞行為の連続、さらに妻を寝取られるという、まあ教科書には絶対に載せられないものかな。

 

フランダースの犬は、日本ではアニメにもなり人気の話ですが、舞台にされたベルギーではまったく不評。その地域の描写では、犬は虐待する、人には冷たい、絵を見せるにも高額の観覧料を取ると、さんざんな内容だからだそうです。

実は、この作者はイギリス人、ベルギーに悪意があったのではとの説も。

 

メーテルリンクの「青い鳥」、探しに出かけたチルチルとミチルが見つけられずに家に帰ってみると、青い鳥は家の中の鳥かごにいた。というのが結末と思っている人が多いでしょうが、実は隣の病気の娘に貸してあげると病気がよくなったけれど、その後鳥は逃げ出してしまう。

そして、チルチルが「いつかきっとあの鳥が入り用になるでしょうから」と語るのが最後です。

これは知っていたと思ったら、大学の時のフランス語の授業のテキストに使われていたんだった。

 

エラリークイーン「Xの悲劇」、「サムとブルーノは、その最後の証拠品を凝視していた」というのが結末の文章です。

さすがにその「最後の証拠品」が何かは、斎藤さんは「ないしょ」と書いています。

 

星新一「ボッコちゃん」、「ボッコちゃんはおやすみなさいとつぶやいて、つぎはだれが話しかけてくるかしらと、つんとした顔で待っていた」

これは知っている。読んだから。

 

武田百合子犬が星見た」 この本は存在も知らなかったのですが、この紹介を見て興味を引かれました。

武田百合子さんは、作家の武田泰淳さんの奥さん、その友人の竹内好さんと一緒にソ連旅行に出かけます。

この本はほとんど全てがそのソ連旅行の旅程を淡々と綴っているだけなのですが、読んでいる人は一行とともに旅しているような気にさせられるという、穏やかな内容です。

ただし、最後の文章には驚くような事情が詰まっています。

「私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう」

実は、旅行終了後、この本を書いている間に泰淳さんも、竹内さんも亡くなってしまい、著者だけ残されたということです。

最後の最後に、旅行とは直接関係のない寂しさを吐き出すという、結末になっています。

 

いや、本というものは全部読むのも良いけれど、こういった紹介文を読むのも面白い。

 

名作うしろ読み プレミアム

名作うしろ読み プレミアム

 

 

「信州かくれ里 伊那谷を行く」布施他人夫、飯沢匡、後藤総一朗他

かなり昔の本で、自分で買ったものでもなく、昨年亡くなった母がかなり前に購入したものを貰ってきたものです。

 

母は結婚するまで伊那谷のほぼ中央の実家で暮らし、同郷の父と結婚してからは東京や名古屋などで暮らしていたものの、何かあればすぐに実家や親戚の家に出かけていました。

長野県人会の活躍ぶりを拝見する機会が最近もありましたが、長野県出身者の望郷の思いは強いものがあると思います。

 

さて、この本は写真も数多く含まれ、旅行ガイドとしての役割も備えているようですが、主著者の布施さんの写真エッセイもかなりのボリュームを占め、さらに飯沢さんなどのエッセイも含まれるという、読み甲斐もあるものに仕上がっています。

 

ただし、1989年の出版でしかもその内容はさらに昔のものであり、現在の伊那谷の姿とは相当違うものと思います。

なにしろ「かくれ里」と題されているほどですが、現状の伊那谷はもはや決して「かくれ里」というには値しないほど便利な場所となってしまいました。

名古屋からは車で2時間もかからず、東京からでもそれほど遠いわけではありません。

 

しかし、布施さんは1889年生まれ、伊那谷を訪れた時期も相当昔のことのようで、掲載されている写真もすべてモノクロ。そこに写っている光景もはるか昔のものです。

まさに、私なども幼児の頃の記憶として残している半世紀以上前の伊那谷の光景です。

 

天竜川でのざざむし取り、飯田市での元結つくり(”水引細工”ではありません)、喬木村での傘張り等々、場所は同じところでも今はすでに老人の記憶の中だけにあるような風景の写真です。

 

後半部の、飯沢さんをはじめとして伊那谷出身の方々のエッセイも、なかなか味わい深い文章が連なっています。

その中に写真家の宮崎学さんが書かれているものに、「今から30年ほど前までは伊那谷は”陸の孤島”と呼ばれていた」とあります。

1950年代までのことでしょうか。

ちょうど母が結婚のために実家を離れ、すぐに子供が産まれた頃のことでしょう。

実家で葬儀があり、浦和の家から子供二人をつれて列車で帰省したという話は聞いたことがありますが、大変な旅行だったようです。

 

その頃とは比べ物にならないほど、そしてこの本出版時の1980年代と比べても伊那谷ははるかに近く、便利なところとなりました。

それで失われたものも多いのでしょうが、そこに親類知人の多いものにとっては便利で悪いことはありません。

 

せめて、かつての光景を思い出させるこの本のようなもので、記憶をたどるだけにしておいた方が良いようです。

 

信州かくれ里 伊那谷を行く (とんぼの本)

信州かくれ里 伊那谷を行く (とんぼの本)

 

 

「データで見抜く 日本経済の真相」原田泰、大和総研

この本が出版されたのは、2010年12月。

リーマンショックアメリカを始め全世界があっという間に不況に追い込まれた直後という時でした。

その影響が日本は少なかったのかどうかという議論もありましたが、それ以前にバブル崩壊以降の状態が続いていた日本にとって、ようやく一息付きかけていたところに重ねて痛手になりました。

 

そのような状況ですので、経済については専門家でも意見が様々に別れ、政権担当者やその他の政治家たちもどうして良いのか分かっていないようでした。

 

そこで、著者の原田さんが大和総研のスタッフとともに多くのデータを解析し、それを駆使して日本経済と世界の現況を詳しく分析したのが本書です。

 

ただし、経済本の宿命ですが、その後の状況が激変すると書いてあることも意味を減じるだけならまだしも、意味を失うこともよくあることです。

この本もそのような状態に陥っているようにも見えます。

 

何しろ、その後すぐに東日本大震災が起こり、さらに民主党政権が崩壊し自民党安倍政権が誕生しました。

 

まあそれは仕方のないことですので、経済本を読むときの楽しみ方「後知恵で本に書かれていることを批判する」ということに専念すれば良いというのが、読書の醍醐味です。

なにしろ、自分の金で買った本でもなく図書館で無償で借りただけの本ですから。

 

そんなわけで、あら捜し。

 

ワーキングプアは本当に増えたのかということを解析しています。

雇用の悪化が言われていましたが、それは事実だったようです。

さらに、日本の特質と言われていた貯蓄率の高さが、高齢化とともに変化して低下しているということも言われています。これはさらに激しくなっているでしょう。

「日本はそもそも平等な国ではなかった」と結論づけています。

 

財政赤字は当時も今も変わらず問題です。

誰が財政赤字を増やしたかということも論じています。

海部内閣では安定していたのが、宮沢、から橋本までで徐々に拡大し、小渕内閣で急拡大しました。

その後、小泉内閣から安倍福田まで安定に向かいましたが、麻生内閣で急拡大しそれが民主党内閣まで続いていました。

ただし、これは首相の性格や方針だけによるのではなく、時のめぐり合わせという要素が強いようです。

 

最終章、「出口の先に何があるのか」

分からないというのが正解というところでしょうか。

 

まあ、主流派経済論の巣窟のような大和総研の方の本ですので、その権威をまったく疑いも持たずに振りまいているような内容です。

経済成長の必要性もまったく心配していません。

そこに一番の間違いがあると思うのですが。

 

データで見抜く日本経済の真相 日本は決して終わらない

データで見抜く日本経済の真相 日本は決して終わらない

 

 

「サザエさんキーワード事典」志田英泉子編著

マンガ「サザエさん」は、長谷川町子により書かれたもので、昭和21年に最初は「夕刊フクニチ」に、ついで「新夕刊」「夕刊朝日新聞」を経て、昭和26年からは「朝日新聞」朝刊に引っ越し、それから昭和49年まで連載されました。

 

その数は全部で6477話になります。

テレビアニメではまだ続いていますが、元の新聞連載は必ずしも子供向けの内容ではなく、時事や事件も入れ込んだものとなっています。

マンガの性質として、明記されていないものでも絵として描かれているものが多いということもあり、それが時代をおいて見た時に興味を引くとともに、何が描かれているのか分からなくなっているものもあります。

 

この本はそのようなサザエさんのマンガに描かれたものを一つ一つ取り上げ、簡単な説明を施したものです。

 

60歳を越えた私でも最初の頃の事項は分からないものが多数あります。

 

学生が帽子を被ってしまいしたが、当時の旧制高校生は丸帽、大学生は角帽だったそうです。

 

戦時利得者というのが居たということは薄々は聞いていましたが、まさかサザエさんのマンガにも出ていたとは。

旧軍の物資を私的に流用し利益を得た者のことで、例の児玉誉士夫などがそれにあたるそうです。

 

最初のマンガにはサザエさんの結婚風景が描かれていますが、実家で花嫁衣装に着替え、町を歩いて近所の人に挨拶し、料亭で結婚式というものだったそうです。

 

さすがに、その後昭和30年代半ばくらいからは覚えのある光景が現れます。

皇太子(現天皇)の結婚にまつわるあれこれは、まだ幼児であったとはいえ私の記憶にも残っているところです。

 

最後のあたり、昭和49年となると自分も大学生、熊本の大洋デパート火災も現れます。

 

一つ一つを読んでいくのは大変ですが、手元に置きパラパラと気になる年のものを読むというのが適しているでしょうか。

 

サザエさんキーワード事典: 戦後昭和の生活・文化誌

サザエさんキーワード事典: 戦後昭和の生活・文化誌

 

 

なお、このサザエさんのマンガの単行本の第1巻が、なぜか私の実家に昔から残っていました。

誰がいつ買ったのかも分かりませんが、それを読んだ覚えも残っていますので、この本の第1巻の部分は一つ一つ覚えのあるものでした。