岩波新書から出ている、シリーズ日本近現代史の全10巻の第8巻です。
このシリーズは幕末維新からポスト戦後社会という現代までを扱っており、この「高度成長」は戦後の混乱がようやく収まった1955年から、高度成長が石油危機などで終わった1980年頃までを対象としています。
著者は歴史学者ではなく、東京大学経済学部教授で、経済史が専門の武田さんということで、やはり歴史というよりは経済の時代だったのかという感想を持ったのですが、あとがきにも書かれているように、武田さん自身もそのつもりで依頼を受けたら経済だけじゃダメと却下され、仕方なく?政治史や社会史も入れて書いたということです。
「経済成長」という言葉自体、使われだしたのは1955年あたりだったようです。
戦後の焼け野原からの復興は経済などということを考える余裕もなかったのでしょうが、ようやくこの時期になって国としても経済全体を考えなければならないということに気づきました。
経済成長を議論するためには、国民所得というものを認識しなければなりませんが、国の経済政策担当者がこのようなマクロ経済学に着目しだしたのもこの時期だったようです。
ただし、その内容は国民にはまったく理解できず、その後「所得倍増計画」が公表された時も「国民所得」という概念が分からなかったために「賃金が二倍になる」と誤認されたそうです。
せっかく著者が入れた政治史・社会史の部分ですが、割愛し経済史のみを見ていきます。
1955年、当時の鳩山一郎内閣は「経済の自立を達成し、年々増加する労働力人口に十分な雇用を生み出す」ことを目標にします。
当初の成長率目標は5%でしたが、それすら高すぎるという批判を受けました。
しかし、戦争特需からの脱却を産業構造の重化学工業化による輸出拡大という方向で成し遂げるという姿勢は一貫していました。
ついで、池田内閣が政策の基本としたのが「国民所得倍増計画」でした。
ここでは鳩山内閣よりさらに高い成長率年7.2%が設定されました。
しかし、当初こそ国民の期待を集めることはできたものの、すぐにその限界が露呈します。
国民所得が増加すれば消費者物価も上がることになります。その他の成長のひずみというものも表れてきます。
産業構造も、以前の繊維産業の安価な製品輸出というものに対する諸外国からの反発が強くなり、その方向での成長は不可能となりました。
そこで出てきたのが石油化学工業への転換でした。
エチレンや合成ゴムなどが急成長し、さらにプラスチック工業が興隆しました。
また、機械工業も自動車や家庭電器が発達しました。
その路線も大きな問題をすぐに露呈します。
機械工業では自社ですべてを担う方式は取れず多くの下請け中小企業を抱えることになりました。
しかし、そちらへの十分な支払いができないために中小企業は安定せず雇用者への賃金も低く抑えられました。
また石油化学工業は特に公害という問題を引き起こします。
先行する大きな公害問題(水俣病等)は石油化学ではないものの、各地で大気汚染や水質悪化を起こしました。
このような産業構造改革というところから来た経済の高度成長は、あっという間に壁に突き当たります。
貿易の相手国からの反発も強まり、日本経済の外国への開放という問題が出てきます。
考えてみれば当然でしょう。いつまでも保護経済のままの高度成長など許されるはずもありません。
さらに、二度の石油危機で原油価格が大きく上昇しました。世界全体の経済構造が変わってきたことになるのですが、そこで日本経済も大きく質を変えなければならなくなりました。
しかし、そこで起きたのが「狂乱物価」という消費者物価の急激な上昇でした。
さらに、そこに相も変わらぬ政治の腐敗「金権政治」というものが露呈します。
政治に対する不信感が強まり、野党側の力が強まるということになります。
そして、本書の最後はプラザ合意でまた新たな国際的経済の枠組みができたというところで締めくくられます。
本書で書かれている時代は、ちょうど私自身が生まれてから大学を卒業し社会人となったというあたりまでに当たります。
最初の頃は子供で何も分かりませんでしたが、中学高校と成長していった時代は本書後半の混乱した時代と重なります。懐かしさとともに、苦いものも感じてしまいます。
このブログの他の項で、日本の経済成長はエネルギー利用の増大と密接に関わる(というか、ただそれだけ)と書いたことがあります。
この詳しい本を読んでもその印象は同様でした。