ツツガムシ病という病気の名前はかなり有名なものでしょう。
古代から知られており、遣隋使を派遣した聖徳太子が隋の皇帝に送った国書に「恙無きや」という言葉があったということは有名でしょう。
また「つつがない」という言葉も広く使われていたものでした。
しかし「ツツガムシ病」というものがどういうものかということはあまり普通には知識がないものでしょう。
特に新潟や秋田などで頻繁に患者が出てその多くが死亡するという病で治療法もないために恐れられていたというのはさほど昔の話ではありません。
このツツガムシ病に挑み続けてきた医師や研究者などは数多く、中にはその調査中に自らが感染し発症して死亡した人も何人もいました。
そういった、ツツガムシ病への挑戦の歴史を綴った本です。
米どころと言われる秋田、山形、新潟の各県には大河が流れており、その支流も数多いのですがその地に祠・石碑・地蔵が数多く建立されています。
それらはツツガムシ病で命を落とした人々を慰霊し住民たちが病にかからないように祈るものでした。
本書は時代ごとの記述となっており、明治時代から始まります。
稲作が盛んな地域の中にはこの病が頻繁に発生し、中には一家全滅となる例もありました。
病の原因は明らかではなかったものの、見えるか見えないかと言うほどのダニの幼虫に刺されると病気になるということは経験的に分かっていました。
その虫をこの地域では赤虫と呼んでいました。
この虫に刺されると4時間程度で刺された箇所に赤い発疹ができ痛みを覚えます。
そこから進行しないまま単なる虫刺されで終わる人もいたのですが、中には刺された跡が発疹から水疱、さらに膿疱となりかさぶたができてからが本当の恐怖の始まりでした。
全身のリンパ節が腫れて痛み高熱を発し死亡する場合も多かったのです。
医師も刺された跡にダニが残っていることがあるのでそれを掘り出して除去する程度のことしかできませんでした。
これに挑む医師も多かったのですが、ドイツから帰国してすぐの北里柴三郎も新潟県の依頼を受けて調査したことがありました。
しかし細菌ではないらしいことが分かっただけで、マラリア原虫のような病原体かもしれないという程度のことしか分かりませんでした。
東大医学部も本格的に調査に当たります。
衛生学教室の緒方正規を中心に多くの研究者と機材を投入し大掛かりなものでした。
野ネズミに寄生するダニを発見しそれが発病に関わるということは分かったものの、それがもたらす病原体が何かということの解明は難しいものでした。
大正時代に入ってもまだ真の病原体の解明は難しいものでした。
東大からは衛生学の緒方に加え、病理学教授の長与又郎も調査を始めます。
銀時計組と言われた成績優秀者をそろえての参戦でした。
しかし現地での調査は目に見えるかぎりぎりの微細なダニが相手であり、防護服を着て湿地を這いまわるという過酷なものでした。
当時は病原性があると思われる微生物は、原虫類、真菌類、細菌類、ウイルスと考えられていました。
素焼きの濾過機を透過した濾過液で感染するかどうかを見たところ濾過液では感染しないためウイルスではないとされましたがそれ以上の進展はありません。
同じころ北アメリカでは紅斑熱が問題となっていました。
シカゴ大学のハワード・リケッツはダニの一種により媒介されることを突き止め、さらに患者の血液からこれまで医学界では報告されていない、桿状体の微生物が見られることを発見しました。
さらに発疹チフスの病原体もこの種の微生物ではないかと考えました。
これを媒介するのはシラミの一種であることまで突き止めたのですが、自身がその病原体に感染し39歳で死亡しました。
同様にドイツのスタニスラウス・フォン・ブロワセックもこの桿状の微生物が発疹チフスの病原体ではないかと考えましたが、ブロワセックも発疹チフスに感染し死亡しました。彼も39歳でした。
ブロワセックの遺志を継ぎその病原体の特定をしたのがダ・ロシャ・リマでした。
それは原虫、真菌、細菌、ウイルスのいずれとも異なる新たな微生物でした。
リマは殉職した二人の研究者に敬意を払い、この微生物をリケッチア・ブロワツェッキーと命名しました。
この発見は日本のツツガムシ病にも大きな影響を与えることとなります。
リケッチアの生態からツツガムシ病を見ていくと判然とすることも多く、その方向での研究が進みますが、研究に参加する人々も増えたため競争が激化し、発表の優先権、命名権などでトラブルが頻発しますし、リケッチアであることが判明した後の方が研究室で誤って感染し死亡する例が増えてしまいます。
第二次大戦後に進駐してきたアメリカ軍が富士山山麓で演習を行った際、27名が発疹と発熱を起こします。
診察によってこれもツツガムシ病であることが判明しました。
劇症となる例は新潟や秋田に駆られていたため注目されていませんでしたが、全国各地に別種のツツガムシによる病気があることも分かってきました。
それは新潟などのアカツツガムシではなく別種のタテツツガムシなどによるもので、リケッチアの種も異なり症状も軽いものでしたが、やはり同じような病気だったことが分かりました。
またこの時期に盛んになった抗生物質開発ですが、最初のペニシリン、ついでストレプトマイシンまではリケッチアには効果が無かったものの、次いで発見されたクロラムフェニコールがリケッチア類に効果があることが見出されました。
さらにその後発見されたテトラサイクリンは非常に効果が高いことが判明し、ツツガムシ病の治療の標準法となります。
ただし、ツツガムシ病であることを見逃してしまうと手遅れになることもあります。
現在に至り、ツツガムシ病の発生は少なくなりましたが、今だに根絶はされていません。
さらにその病態をよく知らない若い医師も増えたためにツツガムシ病であることの判断が遅れテトラサイクリンなどの投与が遅れた場合には悪化し死亡する例もあります。
まだまだ警戒しなければならないものなのでしょう。