爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「伊勢物語 付 現代語訳」中河與一訳注

伊勢物語と言えば学校の授業でも歴史や古文で出てきたかもしれませんが、その原文と現代語訳、注釈をまとめた本です。

ただし、現代語訳と言ってもかなり古い現代語です。

1953年に角川文庫で初版発行されたもので、旧仮名遣いで書かれています。

 

「むかし、をとこありけり」でたいていの段は始まっていますが、この主人公は在原業平であることが多いと言われています。

 

第八段の、三河国八橋でかきつばたを見て、「かきつばたの五文字を句の上に据えて旅の心を読め」というくだりは、確か古文の教科書にも載っていたのではないかと思います。

これはまあ、京に残してきた妻を思い歌ったと見られることから、教科書向きかもしれませんが、その他のほとんどの段はとても教科書に載せられるようなものではないようです。

 

身分違いの皇女に言い寄ったり、家族から禁じられた交際相手を連れ出して逃げたり、まあそういったことが普通であったのかもしれませんが、その後の道徳観からは少し離れたものかもしれません。

 

初段の、「初冠した」ばかりの少年が、奈良の都の春日里の「いとなまめいたる女はらから」に歌を届けるというものも、「むかしびとはかくいちはやきみやびをなむしける」と誇らしげに書かれていることで、かえってすっきりとします。

 

まあ、現代日本人にもこのような血が脈々と流れているのでしょう。

 

伊勢物語 (1953年) (角川文庫〈第466〉)

伊勢物語 (1953年) (角川文庫〈第466〉)

 

 

「詭弁論理学」野崎昭弘著

論理学とは、「思考のつながりを明らかにし、論証を過不足なく行う」ことで、中国やインド、ギリシア古代文明でもその発展が見られるほど古くから研究が重ねられてきた哲学の一分野です。

 

しかし、それと似て非なるものが「詭弁」(きべん)です。

一見論理的に見えるような議論を展開しながら、どこかで意識的に、あるいは無意識にごまかして持論を押し通すということが、社会の多くの場面で横行しています。

本書は数学者でありながら数理論理にも関心を持たれ、数々の著作も書かれている野崎さんが、「詭弁」を「論理」のごとく使うということについて分かりやすく解説されています。

野崎さんの本を最近読んだこともあり、かなり以前に読んだこの本をもう一度読み返してみました。(1976年初版発行)

sohujojo.hatenablog.com

議論というものは、これも人類の文明の初めからつきまとってきましたが、論理的に展開されることが望ましいものの、そこには様々な場面が見られました。

本書の最初には、詭弁にもならない「強弁」が取り上げられています。

 

強弁を操る人々には、小児型強弁と言われるような、意識せずに使いこなす強者?も居ますが、はっきりと自覚しながら強弁を押し通す輩も数多く存在します。

社会的強者にこういった人物が多いのも当然といえば当然ですが、困ったものです。

 

詭弁というものも、強弁と同様に歴史の始まった頃から人間社会に出現していましたが、強弁よりはちょっとは頭を使ったもののようです。

ギリシアでは、ソクラテスアリストテレスなど、言論を武器にして真理を追求する哲学者が輩出しましたが、その中には弁論にのみ長けたソフィストと呼ばれる人たちも出現してきました。

そういったソフィストと、詭弁論者とは紙一重です。

中国でも諸子百家の時代に詭弁の隆盛を見ることができます。

公孫龍の「白馬は馬ではない」といった事例にもそれが現れています。

 

その手法としては、論点のすり替え、それも上手にはぐらかすという芸があります。

また、主張の言い換え、部分より全体に及ぼす誤り、逆に全体より部分に及ぼす誤りといった手法もあります。

三段論法の援用、消去法の失敗といったものも使いみちが多そうです。

 

まあ、実用として詭弁を使うというのはお薦めできませんが、論理パズルとして考えてみることは論理の練習にもなり、頭を柔らかくできる効用もありそうです。

理髪師のパラドックス、死刑囚のパラドックスといった著名なパズルも解説してあります。

 

まあ、詭弁を多用しては人物の評判にも関わるかもしれませんが、パズルとして考えるだけなら勉強になりそうです。

 

詭弁論理学 (中公新書 (448))

詭弁論理学 (中公新書 (448))

 

 

 

「英国メイドの日常」村上リコ著

メイド喫茶」なるものが、とある場所では流行っているようで、黒いドレスに白いエプロンを着け、白い帽子をかぶった女性が出没するようです。

 

このスタイルのメイドなるものは、実は100年ちょっと前にイギリスで活躍していました。

他人の家の家事を行なう使用人というものは、イギリスでも中世には男性がほとんどでした。

しかし、徐々に女性に入れ替わっていき、19世紀にはほとんどが女性となってしまったそうです。

また、メイドを雇う「ご主人様」も、中世には貴族や地主といった上流階級だけだったのですが、これも産業革命中流階級が増えてくると彼らもメイドを雇おうという意欲を見せるようになります。

 

この本では、19世紀から20世紀にかけて、イギリス(といってもイングランドウェールズ)で合計130万人に達したという、一般家庭の屋内の家事労働に従事していたメイドと呼ばれる女性たちの日常生活について、様々な角度から描いています。

 

イギリスでは強い階級社会制度が維持されているということは有名ですが、19世紀には上流階級、労働者階級の他に中間的な中流階級と呼ばれる人々も増加しました。

メイドの雇い主は上流階級と中流階級、メイドになる女性たちは労働者階級の出身でした。

 

本当の上流階級では、一軒に数十人から数百人のメイドと男性使用人が働いており、細かく仕事を分けてそれぞれ専門のメイドを働かせていました。

キッチンではコックの指揮のもと、キッチンメイド、スカラリーメイドが。

掃除などはハウスキーパーがハウスメイドを使い、その他酪農室ではデイリーメイド、洗濯室ではランドリーメイドが働いていました。

しかし、中流階級ではひどいところでは一軒に一人だけのメイドを雇うというところもあり、そんな場所ではすべての仕事を担当しなければならなかったそうです。

 

メイドの制服というのも、あるイメージができているようですが、あのような黒と白のドレスは「午後用ドレス」であったようです。

多くは黒が主流だったのですが、家の好みによっては濃いグレーやブルーを採用されていました。

素材はウールや夏はコットン。エプロンにはフリルやレースが使われ華やかなものでした。

ただし、「午前のドレス」はこれとは違い、ピンクや模様の入ったプリント生地のものであったようです。

メイドたちにはこれはあまり評判がよくなかったとか。

 

なお、メイドのドレスも上流家庭ではお揃いのものを支給する場合もありましたが、中流家庭では自前ということが多かったようで、その負担も厳しかったそうです。

 

メイドでも下働きの女性たちは若いうちに結婚相手を見つけて辞めていって回転しましたが、専門職の使用人たちは独身のまま年を取るまで務める場合もあったようです。

下働きのメイドたちが男友達を連れ込んだり、抜け出して密会したりという事件もよくあったようです。

 

あんなに多くの女性がメイドとして活躍していたのが嘘のように、第2次大戦の頃にはごく上流の家庭以外ではメイドなる存在は無くなっていきました。

今では日本の「メイド喫茶」だけなのでしょうか。

 

図説 英国メイドの日常 (ふくろうの本/世界の文化)

図説 英国メイドの日常 (ふくろうの本/世界の文化)

 

 

「奥州藤原氏五代」大矢邦宣著

平安時代末期に奥州平泉を中心に華やかな文化を誇った藤原氏が勢力を持ちました。

当時は大量に産出した金と、軍馬の供給で経済力を付け、平泉の中尊寺に残る金色堂はその当時の面影をわずかながらも見せてくれます。

 

この本では、その藤原氏の五代の歴史について細かいところまで教えてくれます。

著者は、本書出版当時は岩手県立博物館の首席専門学芸員であった大矢さんで、平泉文化に対する愛情が伝わってきます。

 

なお、通常は「奥州藤原氏四代」として、藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡の四代を呼ぶのが普通ですが、著者は清衡の父の藤原経清の存在が大きかったとして、そこから話を始めています。

 

奥州はかつては大和朝廷に服さないエミシの国でしたが、坂上田村麻呂などにより大和の支配下に入るようになり、服属したエミシの後裔や都から流れてきた人々が勢力を強めていきます。

10世紀から11世紀にかけて、安倍氏がその一帯を支配するようになります。

安倍貞任が最も勢力を強めますが、この安倍氏もエミシ後裔と考えられますが、都から奥州支配のために派遣された鎮守府将軍安倍朝臣貞行という人も居り、それと無関係とも言えないようです。

 

この安倍貞任を討伐するために遣わされたのが源頼義で、前九年の役と呼ばれる合戦を戦いました。

強力な安倍氏を滅ぼすまでには9年間かかったという苦戦でしたが、謀略をめぐらしてなんとか滅ぼします。

そのときに安倍氏に協力したとして捕らえられ処刑されたのが、藤原経清でした。

経清は朝廷側の役人でしたが、裏切りを疑われて身の危険を感じ、安倍氏側に寝返ります。

そして源軍を苦しめたために、捕まった後は極刑に処されてしまいます。

 

その時にはまだ安倍氏は勢力を残していたのですが、源軍に加勢して安倍氏を掃討したのが清原武則でした。

清原氏安倍氏の勢力と対抗できるほどに成長しており、その後は奥州一帯を勢力下にいれます。

この清原武則に、藤原経清の妻と子が養われることになります。

この経清の子が藤原清衡です。その時には年は七歳。殺されなかったのはその母親が美女だったからということです。

 

前九年の合戦の恩賞は、清原武則に厚く鎮守府将軍に任ぜられました。奥州出身者としては初めての抜擢でした。

その後は20年に渡り清原氏が奥州を支配します。

清原武則の子の清原真衡家督を継ぐのですが、母親の連れ子の清衡が勢力を持つのを憎み争うことになります。

しかし、そのさなかに真衡は死に、当時将軍であった源義家の裁定によりその弟の家衡と清衡に半分ずつを相続させます。

そのために家衡が清衡を襲い、妻子を殺害するという事件になります。

その後、源義家清原氏を滅ぼすのが後三年の合戦ということになり、藤原清衡が安倍・清原の領地を合わせて領有していくということになります。

 

清衡は奥州六郡を領有し、平泉を本拠地と定め館を構え、中尊寺を建立し金色堂を建てます。

これには奥州の第一の特産品であった金をふんだんに用います。

さらに、金と銀を用いてそれで字を書いたという「紺紙金銀字一切経」という逸品も作ります。

これは白河法皇が作った「紺紙金字一切経」のさらに上を行くようなものでした。

 

しかし、相次いで金を大量に都の朝廷から納入を求められ、さすがの奥州の砂金も尽きてしまいます。

そして、最後には源義経をかくまったために鎌倉の源頼朝将軍に攻められ、平泉四代の藤原泰衡義経を攻め滅ぼしたものの、それで許されるはずもなく、頼朝自らが奥州征伐に当たり、藤原氏の政権は滅ぼされたのでした。

 

金色堂だけは今にその繁栄の影だけを残していますが、都や鎌倉の政権からも恐れられたその勢力は今では想像もしづらくなっているようです。

 

奥州藤原氏五代―みちのくが一つになった時代

奥州藤原氏五代―みちのくが一つになった時代

 

 

「雑談のルール」松橋良紀著

「雑談」というと、職場などでの無駄話と考えて否定される場合もあるかもしれません。

しかし、著者の松橋さんから見ると、雑談というのが非常に有効なものであり、営業トークなどでも雑談なしには成立しないものだということです。

 

松橋さんは、もとはそれほど話し上手というわけでもなかったそうです。

営業の仕事をしたときも、話がうまくできずに営業成績もひどかったということです。

しかし、コミュニケーションを心理学的に捉える方法に目を開かされ、営業成績も上昇、その後コミュニケーション技術を教えるセミナーを実施するようになったということです。

 

未知の人と話をするような営業職についている人も多いのでしょうが、かなりの人は「人見知り」だそうです。

お客さん相手に商品説明はできても、それ以外の話は気軽にできないのだとか。

 

しかし、客の側から見ると商品説明だけの営業マンというものはなかなか信じることもできず、購入をしようという気にもなれないのです。

 

そこを埋めるのが雑談であるということです。

初めての相手に対しても30分は雑談をしてから商談を切り出せば、営業成績も違ってきます。

 

とは言っても、未知の相手が何に興味があるのか、何を話題にすれば乗ってくるのか、それがわからないから皆苦労をします。

この本では、話題の作り方、相手を引き込む話し方等々、かなり具体的な方法まで伝授してくれます。

雑談で、最初はなにか一つきっかけを掴み、そこからどんどんと広げていくのだそうです。

そうすると、そのうちに相手が一番興味を感じるポイントにも到達できるとか。

 

なお、雑談の達人という人達が考えていることは大体同じのようで、それは「できるだけ相手にしゃべらせること」だそうです。

自分の話題ばかり話していると、相手も飽きてきます。それよりも相手が話したくなるような話題を見つけ、うまく誘導して自分から話すように仕向けること。

人は自分だけ話すような人には警戒感を抱くようです。

 

著者はまた「一期一会は大事にするな」とも書いています。

出会ったこの一度の機会を大事にしようというのが、よく言われることですが、それよりもその人に二度三度と会っていく機会を設けるほうがより絆を深めることができるそうです。

 

確かに真実の一部をよく捉えているなと感じさせるものでした。

 

 

あたりまえだけどなかなかできない 雑談のルール (アスカビジネス)

あたりまえだけどなかなかできない 雑談のルール (アスカビジネス)

 

 

 

「世界一深い 100のQ」ロジェ・ゲスネリ、ジャン=ルイ・ボバン他著

色々な質問を並べてそれに答えるという本は時々見かけますが、その多くはどうでもいいようなネタや薀蓄といったものを扱う気楽な読み物です。

しかし、この本は科学の難問を次々と並べ、それに科学者たちが答えるという本格的なものです。

ただし、フランスの科学者がフランス語で書いたものであり、日本人の科学に対して抱く疑問点とは若干違いがあるのかもしれません。

 

扱う分野は多岐にわたりますが、多くは自然科学分野のようです。

並べ方もランダムを意識したのか、前後の質問につながりはないようです。

 

第1問は「声帯移植はいつ可能になるのか」で、医者のジェラルド・ファン氏が「すでにある患者に実施されて良好な成績を収めた」と答えており、

第2問の「先史時代の人類は何を考えていたのか」という質問とはまったく関連はありませんが、なんとなくつながっているかのようにも思えます。

なお、この質問に古生物学者のジェラルド・ファンさんは「10万年前の現生人類になった時に大きく変わった」と答えています。

 

「生物の種とは現実か、それとも机上の空論か」というのは面白い問題です。

有性生殖をする生物では、生殖できる集団を種とするということになっています。

しかし、別種とされている生物の間でも雑種を作ることができる場合も多く、それは最初の前提を崩しています。

まあ、机上の空論とまではいかないのでしょうが、生物の差というものは連続的に変化しているので、どこを境にするかという問題なのでしょう。

 

「治療にはリスクがあるのか」

医学研究者のローラン・ドゥゴスさんは明確に答えています。「ある」

そして、その中でも薬剤耐性菌による院内感染は病院の中でもリスクをかなり上昇させています。

ヨーロッパでは産後の退院が非常に早いということは知っていましたが、それもこの院内感染対策であったようです。

その他の病気の場合でもできるだけ入院期間を短くする対策が取られています。

 

非常に高度な内容を短い解答で答えていますので、専門外の人はなかなか分かりにくいかもしれません。

そうすると、この本の対象読者というのは誰なんでしょう。

 

世界一深い100のQ いかなる状況でも本質をつかむ思考力養成講座

世界一深い100のQ いかなる状況でも本質をつかむ思考力養成講座

 

 

「池上彰の メディア・リテラシー入門」池上彰著

最近「リテラシー」という言葉をよく聞くようになりましたが、この本は「メディア」に対するリテラシー

本の帯にあるように「テレビ・新聞・インターネットにだまされない」ということです。

 

昔ほどは新聞やテレビの報道を完全に信じ切ってしまうという人も居なくなったかもしれませんが、それでも繰り返し言われれば影響は受けるでしょう。

そして、昔はなかったインターネットというものは、その正確さはテレビと比べてもはるかに低いにも関わらず、これに影響される人々も増えています。

 

ならば、何を信じるのかというのは難しいことでしょうが、できるだけ広く知識を集めて判断するというしかないのでしょうか。

 

池上さんはNHKで記者として長く働き、その後キャスターとしてTV番組にも出演するようになったため、テレビの裏側というものも熟知しています。

TV番組はすべてが編集されているということも、視聴者がつい忘れがちなことかもしれません。

また、NHKと民放では大きく異なることもあり、NHKが政府に影響される度合いが強いのに対し、民放ではスポンサーとなる大企業などに弱いということも忘れてはならないでしょう。

 

新聞というものは、最近は購読者数が激減しているようですが、まだまだ宅配の部数が多く、これは他の国々と比べても特異な状況のようです。

また、全国紙、ブロック紙、地方紙の存在も大きく、その性格により記事の中身も違いがあるのですが、ほとんどの人は1紙しか読んでいないのであまり気づいていないようです。

 

メディアに大きな影響力を持っているのが、「広告代理店」と「PR会社」だということも、一般視聴者が忘れがちなことです。

多くの記事の裏にはPR会社の存在が隠れています。

多摩川にアザラシが迷い込んだ「タマちゃん騒動」も川の環境浄化を宣伝したいPR会社の思惑から広まったとか。

選挙キャンペーンもPR会社が最初から参画し構成していきます。

企業の不祥事会見のやり方の指南もPR会社が関わるとか。この上手い下手で企業イメージが大きく変わります。

 

アメリカでは戦争キャンペーンもPR会社の企画により動きます。湾岸戦争クウェートからイラク軍を追い出し、解放されたクウェートに報道陣が入ると、アメリカ国旗を振る国民の姿がありましたが、彼らに国旗を渡したのもPR会社だったとか。

 

「イジメ自殺」が相変わらず報道されます。

テレビなどではセンセーショナルな内容で報道することもありますが、これは非常に危険な一面があります。

テレビで「いのちの大切さ」を強調すると、それを見た子供が「それだけ大切なものを投げ出せが世間は大騒ぎしてくれる」と思うかもしれません。

また、自殺した子供の遺書にいじめた子の名前が書いてあると世間はその子や親を批判します。

これも、それを見ていじめに悩んでいる子供が「いじめている奴の名前を書いておけば世間が復習してくれる」と思います。

自殺を防ごうとして報道しているはずが、模倣して自殺しようとする子供を増やしていることにもなります。

あえて報道を控えることが自殺連鎖を防ぐことにもなります。

 

やはりここでも「リテラシー」を身につけることは必須のようです。

 

池上彰のメディア・リテラシー入門

池上彰のメディア・リテラシー入門