爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「シーア派 台頭するイスラーム少数派」桜井啓子著

イスラム教にはスンニー派シーア派があり、イランがシーア派。相互にテロをしたりしている。といった状況についてや、「シーア」とは党派という意味であり、最初は「アリの党派」と言うように呼ばれていたのが「シーア」と略されて呼ばれるようになった。つまり「シーア派」とは「党派派」だといったどうでもいい知識は知っていましたが、実際のシーア派はどのようなものかと言うことは詳細には分かりませんでした。

この本はシーア派の歴史的な経緯、近代から現代の状況、構造や組織等々、非常に詳しいシーア派についての集大成とも言えるものです。それが入門書のような中公新書で読めると言うのはお得感で一杯でした。

 

イスラム教でもスンナ派(この本では全ての用語が原語に忠実に表記されていますので、スンニー派ではなくスンナ派)では宗教界の組織というものが強固ではないのですが、シーア派は非常に確固とした位階制度ができています。

イランがホメイニー体制であった頃はその位階制度と政治体制が調和されており強固だったのですが、その後はズレができてしまいました。

 

ウラマーイスラームの学者・識者たち)の位階制のトップは「アーヤトッラー・ウズマー」(神の最高の徴)であり、これは「マルジャア・アッ=タクリード」と呼ばれます。

次の位階は 「アーヤトッラー」ついで「フッジャ・アル=イスラーム・ア・ワル・ムスリミーン」、「フッジャ・アル・イスラーム」と続き、ここまでがムジュタヒドと呼ばれ、法解釈の有資格者とされています。

その下がムカリッド(追従者)であり、スイカ・アル=イスラーム、最下位はタラベと呼ばれる宗教学院生です。

 

イラン革命で「イスラーム法学者の統治」を実現させた、ホメイニーはこの最高権威のマルジャア・アッ=タクリードの一人でした。

このイスラム教最高権威が政治的にも最高位となるということで、イスラム全体の統一を図ったということです。

さらにイランには革命当時に15万人ほどのウラマーが居ました。彼らを政治的な中間統治者とすることで革命政府運営をスムーズにする狙いもあったのです。

 

しかし、マルジャア・アッ=タクリードはイランで一人しか居ないわけではありませんでした。

ホメイニー以外にもマルジャア・アッ=タクリードは数人居たのですが、革命前は独立した権威となっており、イスラーム法解釈で相違があったとしてもどちらが偉いということもなく並立していたのです。

しかし、イスラームイラン革命で国の代表としてホメイニーが一人で権威となると他のマルジャア・アッ=タクリードの立場は難しくなり、公然と反対して弾圧されたり、沈黙を守ったりといった行動を取りました。

 

また、マルジャア・アッ=タクリードの選出というものも、革命前は確固たる方法はなく自然に合意され選出されたのですが、政治的権威も兼ねるとなるとそうも行かなくなったようで、それ自体に国家が介入するということにもなったようです。

 

ホメイニーは1989年に死亡し、その後の最高指導者にはハーメネイーが就任するのですが、ハーメネイーは実はウラマー位階ではアーヤトッラーにも届かないフッジャ・アル=イスラームに過ぎなかったため、ハーメネイーは折衷案として世俗的最高指導者には着くものの、宗教的権威としては別にマルジャア・アッ=タクリードとしてアラーキーを就任させました。

しかし、ホメイニーの作り出したイランの体制とは大きく変わってしまったことには間違いないようで、国民が納得したかどうかも怪しいものでした。

 

その後、ラフサンジャーニー、ハータミーと指導者は変わりましたが、初期のイスラーム法学者の統治という理念とは大きくずれたものとなりました。

いわば「政教一致」の政体を求めたのですが、現状ではかなり異なったものとなっています。

 

この政教一致体制には非常に多くの問題点がありました。

宗教というものが、体制化してしまうと単なる政治的イデオロギーになってしまい、かえって宗教的な力を失ってしまうということもあります。

現代のイランの若者たちの宗教意識はまったく変質していまいました。

また、革命前にはウラマーたちは政治権力を監視して信徒の利益を守るという役割も持っていました。それが自らが政治権力となったためにそれを失ってしまいました。

 

本書には多くの歴史の記述もあり、それはそれで非常に興味深いものですが、省略します。

また、イランだけでなくイラクや湾岸諸国、レバノンなどにも多くのシーア派教徒が居り、スンナ派との間に問題を抱えていますが、その記述も省略します。

 

シーア派の問題、キリスト教カトリックプロテスタント仏教での大乗小乗などと同様、かなりの大きな影響があることのようです。

 

シーア派―台頭するイスラーム少数派 (中公新書)

シーア派―台頭するイスラーム少数派 (中公新書)

 

 

「高松塚古墳は守れるか 保存科学の挑戦」毛利和雄著

高松塚古墳の壁画は昭和47年に発見され、その当時は世紀の大発見と言われて大騒ぎだった覚えがあります。

その後、万全の保存体制が取られていると思っていたらカビが発生したと言う報道が何度かあり、2001年になって大量のカビ発生、管理体制が問題となったものでした。

 

壁画の劣化というものが何故起きたのか、人災だったのかといった疑問に答えようと、NHK文化財報道を専門にしていた毛利さんが取材の結果をまとめた本です。

 

2001年の大量のカビ発生で、その他の損傷事故が公表されていなかったことが明らかになったりして、文化庁の体制の問題にまで疑いが及ぶということになりました。

 

ちょうどその時期は、旧石器の捏造事件が明らかになった頃でもあり、文化財報道というものに対して批判も集まっていた時期でした。

そこで、NHK文化財担当であった毛利さんは多くの関係者に取材をしたそうですが、壁画の劣化ということになると誰もが急に寡黙になったそうです。

 

高松塚古墳奈良県明日香村にあり、その存在自体は昔から知られていました。

しかし、偶然その内部に彩色した破片が存在することが分かり、急遽発掘調査を行なった所、極彩色の壁画が見つかったのが昭和47年、1972年のことでした。

これや漆喰で塗り固めた上に彩色したと言う技法により描かれており、九州などに多数存在する装飾古墳よりかなり発展した技法と見られるもので、日本で初めての発見でした。

 

しかし、大きな話題となったのと比べて、その古墳壁画の保存と言う問題については当初からあまり関心が集まることはありませんでした。

壁画の系統や被葬者が誰であるかと言う問題には研究者やマスコミも皆議論に参入したのですが、肝心の保存対策については誰も自分のこととして考えることはありませんでした。

 

行政の対応としても、早い時期に文化庁が責任を持つということは決まったのですが、このような古墳壁画の保存といってもほとんど専門家も居らず、何をどうして良いのかもわからない状況だったようです。

特に、漆喰の上に書かれた壁画と言う日本で初めて発見されたものの知見もなかったので、ヨーロッパのフレスコ画と似た状況ではないかと考えてイタリアのフレスコ画修復の専門家のパオロ・モーラを招き意見を求めました。

モーラは、「一度発見された遺跡を保存することは極めて難しいので、壁画を剥がして強化し移し替える」と言う提案をしました。

しかし、壁画だけ取り外すという方法には批判も多く、結局は現地で古墳に保存装置を設置し、できるだけ温湿度をコントロールして守っていくということになりました。

 

1976年に空調設備工事が完了し、壁画の修復作業もスタートしました。

これには、漆喰層の強化、アクリル樹脂を用いた接着、合成樹脂を漆喰層に加える。

といった作業内容が含まれていました。

しかし、この空調設備も不十分なもので、内部に修復作業者が入っただけで温湿度が大きく乱れることとなり、壁画の劣化が進むこととなりました。

これで、最初からやや薄かった「白虎」が消えかかってしまうということになりました。

 

2001年に大量のカビ発生、そして白虎が消えかかったと言う事実も明らかになり、世論はそれまでの30年の保存事業が失敗だったという非難の嵐となりました。

そんな中、2004年には文化庁は「恒久対策検討会」を立ち上げて抜本策を検討しました。

その結果、壁画を現地に置いたまま修復することは困難ということになり、解体して壁画を取り外し、外部で修復してから戻す「解体修理」を取ることをなりました。

 

これに対しても、外部の研究者等から多くの批判を受けることになりましたが、彼らの主張する方法にも欠点が多く解体修理が仕方のない方策だったようです。

さらに、詳しく調査していく内に高松塚古墳は何度か大きな地震の被害を受けており、それによる歪みが劣化の原因の一つにもなっているということが分かり、耐震工事も必要ということになってしまいました。

 

著者が指摘している中で、考古学専門家から「永久保存を目指すべきだ」という批判が上がったという点が問題というのは興味深い点です。

そもそも、歴史的文化財に「永久保存」は不可能だということです。

劣化するのは仕方のないことですが、「できるだけ劣化のスピードを遅くする」ことしか、できないというのが実情です。

考古学の専門家といえど、保存科学ということはご存じないのではということでした。

 

高松塚古墳は守れるか 保存科学の挑戦 (NHKブックス)

高松塚古墳は守れるか 保存科学の挑戦 (NHKブックス)

 

 

本書は2007年出版で、その時点では解体が始まったところだったようです。

その後解体修復が完成したということです。

 

「遺言 ”財界の良心”から反骨のジャーナリストへ」品川正治、斎藤貴男

品川正治さんは、日本火災海上保険の社長・会長を勤められ、経済同友会の理事なども歴任されましたが、その言葉は普通の会社経営者などとはまったく異なるものです。

 

その品川さんが残り少ない人生を自覚したのか、後の世代に言い残したいことがあるとして、ジャーナリストの斎藤貴男さんを相手に日本の政治や経済など多くのことを対談しました。

その記録は残したものの齋藤さんが本としてまとめ、出版するのを待たずに2013年に89歳でお亡くなりになりました。これを「遺書」としたのも品川さんの発案だったそうですが、そのとおりになってしまいました。

 

ご自身は戦争にも行き、何とか生還した後は大学に入学、その後日本火災という損保会社に就職し、組合専従なども経験した後経営に携わると言う多彩な経験をされています。

そのためか、戦後の日本というものの見方もはっきりとしており、アメリカの支配下にある日本とそれに臣従する政財界というものも見据えています。

その言葉はどれもすっきりと頭に入ってくるものが多く、戦後の日米関係の構造というものがよくわかります。

 

終戦直後に日本を民主国家として弱体化させようとして、アメリカ軍の中でも特にリベラルなグループに日本国憲法を作らせてしまいました。

そのため、他のどの国にも見られない憲法9条と言うものができてしまい、その後アメリカの世界戦略がガラッと変わってしまっても、かえって日本を思うように動かすことができなくなってしまいました。

もしもあの憲法がなければ、朝鮮戦争にも日本軍を徴発し参戦させていたはずです。

ベトナム戦争でもそうだったでしょう。

しかし、日本を武装解除したのはアメリカであった以上それを無理やり変えさせるわけにも行かず、経済特化で復興させることになりました。

それにうまく乗って、さらにアメリカの意図をはるかに越えるような経済成長をしてしまい、その後の日米間の摩擦につながってしまいます。

 

その後1980年代には、アメリカは産業資本が弱体化し、完全に金融資本が国を乗っ取ることになってしまいました。

その後のアメリカの政策はすべて金融資本が思うように儲けることができるようにしているということです。

日本の政権のアメリカ追随もさらに強まりました。

安倍などはやたらに「日本はアメリカと同じ価値観を共有している」と言っていますが、齋藤さんは憲法9条がありまがりなりにも戦争放棄をしている国と、世界中のどこかで常に戦争を仕掛けている国と価値観が同じでたまるか。と書いています。

 

財政健全化と称して消費税増税を掲げていますが、これは財務省などの一部官僚の主張であり、それに乗ったマスコミの宣伝で国民も信じさせられています。

しかし、品川さんは「低成長のなかでも大企業の内部蓄積の膨大な増加と労働者賃金の大幅な低下を見ると、なぜ法人税を上げないのか、なぜ配当金税率を10%のままにするのか、なぜ相続税率を上げないのか、その謎は大蔵省と財界が一致しうるのは消費税率の引き上げだけた」と喝破しています。

消費税ほど不公平な税制はなく、さらに商取引の力関係で強者がより有利に動く税制です。

 

戦後の日本政治を品川さんは次のようにまとめています。これもすっきりとしていて頭に入りやすいものです。

政権を握ってきた保守政党は議会で常に多数を占めてきましたが、憲法と安保の矛盾の中で国家を統治し、国際関係を処理していく能力はなかった。俺たちは憲法改正に精を出す、それまでは上手くやってくれと、内政も外交も全て官僚に丸投げし、官僚の要求通りの立法を行なってきたのが実態です。この国が官僚国家、官僚が統治する国家であることは、何も官の野望でもなければ官が政から奪ったのでなく、統治を政から一任されたからですね。

 

現状でもこの国は「経済成長」一点でしか見ていない。

なぜその目以外は否定するのか。

ドイツが好きか、イギリスか、フランスかという時、そこの成長率が高いからなどとは誰も考えない。日本もその域に達しているはずなのに、日本だけ国際競争力一点張り。

成長の一神教のようです。

農業でも成長成長と言うからおかしくなる。成長の文脈に乗せてはいけないものまでのせてしまっている。

 

他にもうなずける内容が多かった本でした。

 

遺言~「財界の良心」から反骨のジャーナリストへ

遺言~「財界の良心」から反骨のジャーナリストへ

 

 

 

「森を食べる植物 腐生植物の知られざる世界」塚谷裕一著

腐生植物というと、なにか字面からの印象で動植物の死体などの腐った物に生えているというイメージが強いかと思います。

実際にかつての植物図鑑などにはそのように書かれているものもあるようですが、実際はそうではなく、「生きているカビやキノコから栄養を取って生きている」植物なんだそうです。

あまりにも実態とは異なるイメージを与える名称であるとして、最近は「菌従属栄養植物」と称するようですが、これでは何か言いにくい。

 

生きている植物から栄養を取るものは「寄生植物」であり、これも別物です。

実はこういった腐生植物は、非常に目につきにくいためにまだ知られていない種も多数あるようです。

 

本書の最初はギンリョウソウ(銀龍草)の写真から始まります。

まったく緑の葉というものを持たず、太めの茎に真っ白で大きな花を着けます。

その根は腐生植物の一番の特徴である、カビやキノコの菌糸と混じり合った菌根というものを形成しており、そこから栄養を吸い上げています。

 

きれいな花を咲かせるランにもこのような栄養摂取をする種が数多く含まれています。

多くの種ではまだ光合成をする葉を持っており、一部の栄養のみ菌類から取るのですが、中にはほとんど光合成をしないものも含まれています。

 

腐生植物の食物となる、カビやキノコとは、森林の植物を栄養として分解する働きを持つのですが、それを栄養とする腐生植物は言ってみれば「森を食べている」とも考えられるわけです。

それが本書の題名にもなっています。

 

腐生植物は、光合成をする葉緑体を持たず、葉と言うものも無くしてしまいました。

そのため、普段は茎が一本伸びているだけです。

花が咲くとようやくそれを分かるのですが、それ以外の時期にはほとんど目立ちません。

そのせいか、植物学者の人々の関心も向くことがなかったため、いまだに数多くの新種が存在するものと考えられています。

著者はその調査のためにインドネシアボルネオ島に赴きました。少し歩くだけで多くの腐生植物が見つかり、いくつかは新種が含まれていたそうです。

 

こういったことは別に熱帯の森林に行かなくても見られるそうで、日本でも時と場所を選べば多くの腐生植物を見ることができるそうです。

ただし、それにはいくつかの条件があるそうで、その「探し方」というのも本書の第4章に載せられています。

その条件とは、「よい森に行く」ことだそうです。

この「よい」というのは、あくまでも腐生植物にとって良いということであり、腐生植物は安定した森で安心してキノコなどから栄養を貰うことで生きていますので、不安定な森林では生育できません。

 

このような腐生植物となった種は多くの植物の仲間に含まれており、単子葉類、双子葉類を問わず様々な属に広がっているそうです。

 

私もかつてはキノコの採取旅行というものをしたことがありましたが、その時にもしかしたら出会っていたのかもしれません。その知識もなかったのでまったく気づきませんでした。

いや、知らないことがまだまだ多いもんだ。

 

 

森を食べる植物――腐生植物の知られざる世界

森を食べる植物――腐生植物の知られざる世界

 

 

「へんな国会 国会議員の迷言議事録99」のり・たまみ著

著者の「のり・たまみ」さんは「へんなもの」をこよなく愛するという方で、特に政治関係の「へんなもの」を取り上げては著書を書かれているようです。

毎日、国会の委員会での議員の発言をチェックしているとか。

 

まあ、国会でも本会議などはほとんど面白みもないのに比べると、委員会での質問などは結構おかしなことを言う議員たちが多いですから、興味も湧くかも。

 

2004年6月、民主党泉房穂議員は法務委員会で、離婚と養育費の問題を質問する中で、

「いまの日本の離婚率はイチローの打率と同じレベル」と語ったそうです。

著者も書いているように、

国会という場は、なにかウマイことを言ってみんなを感心させてやろう、という気負いのようなものを発言者に抱かせるような空気が漂っているらしい

という雰囲気そのままの質問でした。

 

2006年4がつ、自民党谷垣禎一財務大臣は、行政改革特別委員会で

「母屋ではおかゆで我慢して離れではすき焼きを食う、なんてことはいけない」

と発言しました。

母屋とは「一般会計」、離れとは「特別会計」を指していて、その当時一般会計は厳しい抑制策を取りながら、特別会計の方は野放し状態だったのを批判したものです。

 

自民党なんだから、批判していないで改めてくれなければいけないですが。

 

その他、議員たちの知能程度を如実に示すようなアホらしい発言が頻発でした。

 

へんな国会 【非公認】国会迷言議事録

へんな国会 【非公認】国会迷言議事録

 

 

 

 

「数字で読み解く日本史の謎」河合敦著

日本史を見ていると数字というものが目につくという、導入から入ります。

年号はもちろんですが、その他にも江戸の三大改革とか、憲法十七条とか、さらに三管領四職やら六分一殿やら。

 

そういった、「誰でも知っている語句だけどなぜそんなふうに数字を付けて呼ばれるのか」という疑問に解説していこうということです。

 

ただし、全部がそういった方向性で統一されているかというとそれほどでもなく、若干は単に著者の河合さんが書きたいから書いたというエピソードもあったようです。

 

 

☆かつて、十三湊(とさみなと)と呼ばれた大貿易港が青森にあった。

 

これは、詳しくは知りませんでした。鎌倉時代から室町時代にかけて、蝦夷管領に任ぜられた安藤氏の本拠地で、蝦夷から朝鮮までの貿易をしていたそうです。

しかしその後徐々に砂が堆積し、明治以降は完全に繁栄を失いました。

 

四国八十八ヶ所巡礼はいつ始まったか。

 

もちろん、弘法大師の事績の伝説が伝えられており、巡礼も室町時代から行われているのですが、八十八ヶ所と言う場所と順番が決まったのは江戸時代でも中期の正徳年間だそうです。それ以前には94箇所が紹介されているものもあったとか。

 

☆六分一殿とうたわれた山名一族の盛衰

 

室町時代南北朝の争乱が収まったあと急速に力を付けていった守護大名の中でも一族で11カ国の守護職を有した山名一族は「六分一殿」つまり、全国に六分の一を手中にしたのでした。

しかし、山名時義が没した時を好機とし、足利義満が一気にその勢力を駆逐したのでした。

 

まあ、いろいろな歴史の知識を取り入れることはできました。

 

数字で読み解く日本史の謎

数字で読み解く日本史の謎

 

 

 

「西アジアの歴史 聖書とコーラン 新書東洋史9」小玉新次郎著

講談社現代新書で「新書東洋史」というシリーズで発売されたものの第9巻で、中東を扱ったものです。

1977年出版ということで、実に40年までの本であり現在までには相当な変化もあったと思います。

 

この時期はまだまだ西アジアと言う地域についての日本人の認識は乏しいものでした。

それが、直前に石油危機というものが起き、実際に中東からの輸入石油が高騰したということで、ようやく日本とのつながりも実感されたという段階だったのでしょう。

 

本書題名の副題にもあるように「聖書とコーラン」実に現在の世界の大宗教の2つはこの地域に発祥します。

また、いわゆる古代の四大文明のうち2つ、メソポタミアとエジプト(アフリカですが文明圏ではここに入ります。なお、インダスも関係が深いものです)もこの地域です。

 

西アジアと言う地域は、東はイラン高原から西はエジプトまで、北はアナトリアから南はアラビア半島までとしています。

ただし、時代によっては西北インドバルカン半島の一部まで含みました。

この地域の真中には東西を二分するようにザグロス山脈がそびえています。

3000m級の山々の連なるこの山脈の東はイラン高原、西はメソポタミアと別れており、歴史上でもこの境目は大きな意味を持ってきました。

 

メソポタミアでは今から9000年前に定住して農業を行なった遺跡が発見されていますが、それが文明化していたかどうかは分かりません。

5000年前になり、シュメル人が文字を作り出したことにより、ようやく文明の証拠が出揃いました。

この文明が各地に伝わり、エジプトやインダス、黄河の文明に影響を与えたと見られます。(このあたり、新しい発見ではそれより遡る文明も各地にあったようですが、本書の時点ではこう判断されました)

 

その後、統一王朝から、大帝国と発展していきます。

 

その傍らで、少民族のイスラエル人がユダヤ教を作り出します。それはその後キリスト教の発生を促します。

さらに、その影響下にアラビア人がイスラム教を作り出します。それが現在に至るまで世界中に広まってしまいました。

 

アケメネス朝ペルシア帝国、アレキサンダーによるヘレニズムと、まさに当時の世界帝国と呼ぶにふさわしい国が作られました。

その後はローマ帝国の発展で重心がヨーロッパに移ったかのように見えますが、実際は中東に大きな力が存在していました。

 

イスラム教の発生と、イスラム帝国の発展と言うのも西アジア一帯の大きなニュースだったようです。

ウマイヤ朝アッバス朝と続き、モンゴルの支配の後は最大の帝国であったオスマン・トルコが続きます。

しかし、ちょうどヨーロッパの強国の隆盛時期にあたりオスマン・トルコが凋落、周辺部を次々と植民地として奪われることになっていましました。

 

どういった偶然なのか、石油の大産出地がこの地域であるということから、現代の世界の動きの震源地ともなっています。

 

これだけの大きな意味を持つ地域の歴史を新書版でまとめるという、大変な本です。一冊読むだけで知ったつもりになれるとは言えませんが、入門には最適でした。

 

新書東洋史〈9〉西アジアの歴史 (講談社現代新書)

新書東洋史〈9〉西アジアの歴史 (講談社現代新書)