爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「西南戦争 民衆の記」長野浩典著

西南戦争では薩摩を出た反乱軍は熊本城に襲いかかったものの、それを落とすことができず、周辺の田原坂の戦いなどで敗れ、大分や宮崎を通って敗走し最後は鹿児島に戻って城山の戦いで敗れました。

しかし、その間現在の鹿児島、熊本、大分、宮崎の各地を転戦し戦ったために、それらの地域の民衆には大きな影響を与えることとなりました。

さらに、民衆には薩摩軍によるものだけでなく、政府軍の動きによっても様々な被害を受けることにもなりました。

 

そういった民衆の側から見た西南戦争というものを、多くの埋もれかけた史料を基に拾い上げていったのが本書で、著者の長野さんは熊本県の南阿蘇村の出身であり、そこも薩摩軍が来襲した場所でもあります。

 

軍隊の規模によっても、影響の大きさは変わります。

薩摩軍の人数ははっきりとはしませんが、おそらく6万人程度は居たものと推測できます。

政府軍もだいたい同様の規模であったようです。

ただし、当時の軍隊は必要な兵站輸送と言うものをまだそれほど重要視しておらず、輸送などは現地の人々を雇うか強制して徴発しやらせるということになっていました。

そのために、政府軍も必要な輸送要員は人夫または軍夫として雇用しました。

政府側は一応は給与を支払うと言うものでしたが、前線近くまで運ぶと言うことで非常に危険であり、死者も多数でましたし、それで徴発を逃れて逃げる者も多かったようです。

薩摩軍は資金の余裕もなかったので、武力で脅迫してやらせたこともあったようです。

 

さらに、食料や物資なども現地調達がほとんどであり、政府軍もすべてをきちんと金を払ったとも言えないようです。

薩摩軍はこちらもほとんど支払いもせず、強奪したので、民衆からの恨みも大きかったようです。

 

熊本城の攻防戦では、周辺の民家に火をかけ焼き払いました。これは官軍側がやったようです。

その他の地域でも民家に放火すると言うことは頻繁に行われました。

 

ただし、そのように被害者であるばかりでもなかったようで、戦闘時には少し離れたところから見物をするといった地元民もあり、流れ弾で見物人が死亡ということもあったようです。

さらに、官軍、薩軍双方を相手に商売をするという人々も現れ、戦場のすぐそばに出店を構え食品などを売った者もいました。

これでかなりの儲けを稼いだものもいたようです。

 

なお、そのような小商いの民衆ばかりではなく、西南戦争では三菱の岩崎を始め多くの政商たちが莫大な利益を得ました。その後の日本の資本主義のスタートという意味もあったようです。

 

西南戦争が直接の原因というわけでもないのですが、時を同じくして熊本や大分の各地で民衆の一揆が頻発しました。

薩軍と連動するということは少なかったのですが、やはり薩軍への共感はあったようです。

政府の対応もかなりこちらに割かれることとなりました。

 

終戦後の処理も、これ以上の連鎖を避けるためか、薩軍も処刑されたものはごく一部だけで多くは懲役刑となりました。

しかも、西郷隆盛もすぐに名誉回復、上野公園に銅像を建てられると言うことになりました。

しかし、戦争で被害を受けた民衆に対する補償はほとんどなく、わずかな見舞金だけで終わりでした。

南九州の発展の遅れはこの影響がかなり大きかったようです。

 

薩摩軍の敗因については、戦争直後から多くの人々が指摘をしていました。

西郷は首班として扱われているものの、実際には戦闘などの指揮を取ることはほとんどなく、常に存在も不明にされていたそうです。

神格化することで影響力を強めようという周囲の考えだったようですが、本人もそれに異議を唱えることもなく従っていました。

しかし、実際に軍の指揮を取ったと思われる桐野利秋や、篠原・別府等の首脳部にも、軍略や戦略というものが全く無かったということが、当時も言われていました。

熊本城が落ちないまま対陣を長引かせたことなど、それを示しています。

 

山県有朋の考えによれば、最上策は「船舶をもって東京か大阪に突入する」、次いで「長崎と熊本を急襲し中央に進出する」、「鹿児島に割拠し時機に応じて中央を目指す」の三策が良策であり、これを取られたら政府も危なくなったとしています。

しかし、薩軍は最悪の熊本城攻略に固執し不利になっていきました。

 

従軍した人々の日記や、地元の民衆の手記など、多くの史料を参照し西南戦争の民衆観点からの実像を描いた、興味深い本でした。

 

西南戦争 民衆の記《大義と破壊》

西南戦争 民衆の記《大義と破壊》

 

 

「サツマイモの世界 世界のサツマイモ」山川理著

著者の山川さんは農林省農業試験場にてサツマイモの品種改良などにあたり、多くの業績をあげた方です。

サツマイモはかつては「ホクホク」のものがほとんどであったと思いますが、現在では特に焼き芋には「ねっとり」とした食感のものが多くなっています。

その「ネットリ系」サツマイモの品種開発を率先して成し遂げたということです。

そのため、サツマイモだけに留まらず農産物、加工食品などの開発についても確固とした意見をお持ちのようで、参考になることが多いように思います。

 

サツマイモは1万年くらい前には中南米で食べられていたことが分かっています。

その後、数種のルートで世界中に広がり、日本には400年ほど前に入ってきました。

新参者ではありますが、気象条件が悪くても栽培可能であり、肥料もほとんど不要、(かえって肥沃な土地ではうまくできない)さらに非常に高い生産性であり、救荒作物として多くの人の生命を救ってきました。

ただし、それがちょうど太平洋戦争末期から終戦後の食糧難の時代にはビッタリであったために「コメがないから仕方なくサツマイモを食べた」と言うマイナスイメージが広がってしまい、悪い印象を持つ人も多いということになってしまいました。

 

しかし、いまやサツマイモはホクホク系(紛質)のものからネットリ系(粘質)へと主流の品種が交替し、また紫やオレンジの色のものも好まれるなど、多様化が進んできました。

世界的にも中国やアメリカでは新たな時代を迎えて栽培面積を広げており、サツマイモ全体としても大きく姿を変えようとしています。

 

 

日本人がサツマイモに持つイメージの多くは戦中戦後の食糧難の時代にコメがなくて食べさせられたものというものでしょう。

この品種は、ほとんどが沖縄100号と言うものだったのですが、誤って「農林1号」と思い込んでいる人も多いようです。

本当は、農林1号は品種改良されて沖縄100号に代わって栽培されたものです。

その後、さらに高系14号(ブランド名:鳴門金時等)に代わっていきます。

 

実はこの沖縄100号と言うのが、「ネットリ系」の特徴を持っていたのですが、現在の優れた品種とは異なり、単に「べちゃべちゃしてまずい」ものであり、それが「ねっとり」は不味く「ほくほく」が美味いという印象を形作るもとともなりました。

 

ネットリ系の芋は、デンプン含量が高すぎず、それが熱で溶けやすいこと、そしてβアミラーゼと言うデンプン分解酵素の活性が高いことが必要な特性です。

ネットリ系の代表品種の「べにはるか」はβアミラーゼ活性が非常に強く、デンプンを分解しとても甘くなります。

一方、ホクホク系の代表種の「ベニアズマ」はβアミラーゼ活性がはるかに低い値になります。

ちなみに、焼酎用のサツマイモはデンプン含量が高くなければいけないので、ねっとり系のものではできません。ホクホク系のコガネセンガンがよく用いられますが、最近ではそれより収量が多いダイチノユメやコナホマレが開発されています。

 

戦後に高まったホクホク感優先のサツマイモ嗜好は、1981年のベニアズマ出現で最高潮に達しました。(そして最終局面でもあります)

家庭料理として調理しすぐに食べるのであれば美味しいのですが、焼き芋屋から買ってきて食べる場合は、実はこの品種は不適当な面があります。

それは、冷えると固くなって食べにくく、喉に詰まりやすいというものです。

しかし、2000年頃にはどこを見てもホクホク系のベニアズマなどの品種しかありませんでした。

著者は当時に種子島に行った時に、安納芋を知り、その柔らかくネットリして甘い品質がその後絶対に売れると確信し、品種改良を進めることを決意します。

 

しかし、当時は市場の専門家たちは皆「ホクホクの芋が美味しい」と言う固定観念に囚われ「ねっとり」した芋など認めようとしませんでした。

そのため、ねっとりの芋が出現しても市場関係者の評価は低かったのですが、実際に消費者に焼き芋を食べさせてみれば圧倒的な支持を得ることができ、それでようやく市場にも広がっていったそうです。

 

この点につき、著者は他にも焼酎やコメの例を引いて、「専門家」と言われる人たちの頭の固さを指摘しています。

焼酎でも紫イモを原料としたものを作ったのですが、コガネセンガンで作られた焼酎が最上と言う固定観念に凝り固まった専門家たちは紫イモ焼酎の香りを「雑味がある」と批判しました。

しかし、これも消費者の受けが良く売り出せば爆発的な売れ行きを見せました。

コメでもコシヒカリが最上というプロの固定観念が、新たな品種の開発を妨げている例がいくらでもあります。

 

この辺の事情は、私もかつて「一応」焼酎の製造者側で専門家ヅラをしていましたが、おっしゃる通りの事情が存在しました。確立された品質に近いものが上等と言うのが評価基準にされてしまうというのはよくある話でしょう。

 

 

サツマイモは植物としての特性も非常に優れたものを持っています。

太陽エネルギーを取り込む能力が高いため、収量性が極めて高く、コメの3倍くらいは収穫できます。

また、干ばつや水害、病虫害に強いのも利点です。

肥料もほとんど必要としません。

また、調理が簡単でしかもビタミン・ミネラル・食物繊維などの栄養素が豊富です。

サツマイモに不足するのはタンパク質と脂質です。これらを補う食品と一緒に食べれば万全です。

さらに、連作障害をほとんど起こさないと言う重要な特性も持っています。

 

サツマイモの茎には、空気中の窒素を固定する細菌「内生窒素固定菌」が住んでいます。

豆類に共生している根粒菌は有名ですが、サツマイモにも同様の働きをする細菌がいるのです。

このため、窒素肥料は不要であるということです。

まったく肥料を与えないと言う条件下でも10aあたり500kg近い収量を何十年でも続けられるそうです。

そのような土地に小麦を植えると10cmほどにしか伸びません。ほとんど土壌の栄養分は無くなってしまっています。しかし、そこにサツマイモを植えればちゃんと収穫できるのです。

 

食料自給率が問題とされた頃、著者たちのグループに「もしも食料輸入が途絶えたら」と言う状況での食糧生産の可能性の検討をするよう命令されたそうです。

サツマイモをメインの食料とすることで、なんとか日本人全員を生き延びさせることが可能であるそうです。

なお、現在の食料自給率の低さは、家畜飼料をすべて計算に入れているためであり、もしも肉をすべて輸入するようにすれば、それだけでカロリーベース自給率は60%以上に上がるそうです。

 

サツマイモの原産地は、メキシコであるという説と、ペルーであると言う説があり、どちらとも確定はされていないそうです。

そこから世界中に伝播したルートにも3説あり、バタータス・ルートと言うコロンブスが持ち帰ったものがヨーロッパからアフリカに伝わったという説、カモテ・ルートと言う、新大陸の太平洋岸からスペイン人がフィリピンに持ち込んがと言う説、そしてクマラ・ルートと言う、ヨーロッパ人のアメリカ発見以前から、ポリネシア人が南米に到達してそこから持ち帰ったと言う説です。

著者は、様々な証拠からクマラ・ルートがメインであろうと推定しています。

それは、コロンブスなどはまったく価値を見出していない紫イモなどの有色イモが東南アジアのどこにでも多数分布していることから、確信を持っています。

 

なお、そこから日本に伝わったのはいずれにせよ中国を経由して400年前と言うことには違いはないそうです。

 

サツマイモの今後は、非常に広く有望なものであるようです。

私も芋焼酎が好みですので、うれしいものです。

 

 

「その死に方は、迷惑です 遺言書と生前三点契約書」本田桂子著

有名人が亡くなった後に様々なトラブルが起きて話題になることがよくあります。

きちんとした遺言書を作っておけばそれは防げるはずです。

しかし、そう言われても「まだ若い」とか「そんなに財産もない」と言って対策をしようとしない人がほとんどのようです。

 

著者の本田さんは行政書士であり、様々なコンサルタント業務もされているようですが、遺言書作成を依頼されて出来上がってもそのことを絶対に周囲に知られたくない人がほとんどのようです。

日本人には、遺言書というものが触れたくない話題となっているようです。

 

財産が少ないからと言っても、数十万円の預金をめぐって遺産争いが起きることもあり、油断できません。

「うちは家族みな仲がいいから大丈夫」と言う人が多いのですが、それも「貴方が居ればこそ」で、父親が亡くなるとそれまで仲が良いように見えた兄弟がいがみ合うこともよくあることのようです。

 

そのようなトラブルが起きないとしても、遺産相続手続きというものは非常に複雑で面倒であり、残された人に多大の手間と心労をかけてしまいます。

これも、遺言書で適切に指示をしておくことで、かなり手間を減らすことができるようです。

 

また、「まだ若いから」というのも実は逆で、「若くして死んだ場合」というのは老人が亡くなる場合と比べてはるかに問題が起きやすく、適切な遺言をしておけば良かったという例が多いそうです。

特に、子供がまだ未成年の場合は遺産分割協議をする場合に「特別代理人」という人を選任しなければならず、手続きにさらに時間がかかることがあります。

もしも自営業などで経営している人が亡くなった場合など、必要な経費も使えなくなり会社の運営に大きな悪影響が出ることもあります。

 

また、「子供が居ない夫婦」の場合は特に遺言書の必要性が高く、亡くなった人の親が存命の場合には親に、親が亡くなっていた場合には兄弟にも遺産相続の権利があり、夫が亡くなり妻が全財産を相続できると思っていたら、夫の兄弟が請求してきたということもあるようです。

 

遺言書の作成法には、いくつかの方法がありますが、多くは「自筆証書」と

公正証書」でしょう。

自筆証書遺言はすべて自分で書けば良いので手軽なようですが、実際は書式などに不備があり無効になってしまうことが多いので、公正証書遺言を薦めています。

手数料や謝礼が必要ですが、財産額と相続人の人数によって差はあるものの数万円で済むようです。

 

また、著者は遺言書だけでなく「生前三点契約書」の作成も薦めています。

これは、「財産管理等の委任契約書」「任意後見契約書」「尊厳死の宣誓書」で、老後に認知症になったり、身体が不自由になった場合にどうするかということを決めておき、不安を失くしておこうというものです。

 

私も60をちょっと過ぎ(もう”ちょっと”じゃなくなっているかも)ていますが、まだ遺言書などは先の話と思っていました。

そろそろ真剣に考えておくべきなのかもしれません。

 

その死に方は、迷惑です―遺言書と生前三点契約書 (集英社新書)

その死に方は、迷惑です―遺言書と生前三点契約書 (集英社新書)

 

 

「通勤電車のはなし 東京・大阪、快適通勤のために」佐藤信之著

通勤電車といえば、ラッシュアワーのぎゅうぎゅう詰めというイメージですが、実は通勤に電車を利用する人が多いというのは、東京と大阪の都市圏が突出している状況です。

地方では車を使う人の割合が多くなります。

また、三大都市圏と言いますが、名古屋圏では電車を使う人の割合が比較的少なく車利用が多いようです。

 

東京・大阪の日本における二大電車通勤地帯について、非常に詳細にその歴史と特徴、これからの見通しなどを説明されているのが本書です。

 

なお、私も今では熊本の田舎でのんびりとしていますが、かつて学生時代には混雑する電車で通学していましたので、本書に書かれている話題も身近に感じられました。

 

通勤電車の混雑と言えば、かつては駅での押し込みもあり相当なものでした。

その頃と比べれば現在はかなり混雑率も緩和されており、多くは立ってはいても新聞が読める(とは言いますが、今では大抵の人はスマホを見ていますが)状態になっており、大阪圏ではほとんどの路線で混雑率が130%を下回るまでになっています。

東京圏では、総武線東西線など一部ではまだ200%以上のところもあるようです。

 

東京圏では、かつては山手線の内側は路面電車(都電)が縦横に走っていましたが、道路事情の悪化からほとんど廃止されそれに代わり地下鉄が建設されました。

しかし、地下鉄がかつての都電の代わりと言えるかどうか疑問があります。

都電の停留所の距離の近さは、現在の地下鉄の駅間距離とは比べ物にならないほどで、地下鉄の大手町駅は現在では千代田線、東西線など5路線の乗換駅となっていますが、この駅の乗り換え口の間にはかつては都電の神田橋、大手町、丸の内一丁目の3停留所があり、それほどの距離を歩いて乗り換えなければならないことになります。

都電の代替は当時はバス路線と考えられており、設置されていったのですが、これもやはり道路渋滞の影響で運行が難しくなり、段々と廃止されてしまったわけです。

 

地下鉄の建設も次々と進められたために、東京の都心部の地下にはほとんど余地が残っていない状態になってしまいました。

新しい副都心線などは隙間を縫って建設されたために、登り降りの高低差がひどくなっています。

 

地上の鉄道の場合も他の建築物も密集して建てられているために、改良工事をしようとしても簡単ではなく、巨額の費用と長い期間をかけてようやく実施しているような状態です。

二子玉川駅の付け替えなど、難工事をようやく実施し改良をしているありさまです。

 

 

東京は元々は山手線の内側への私鉄延伸を認めなかったために山手線上の駅からは地下鉄などに接続というネットワークを作らざるを得なかったのですが、大阪圏では環状線自体できたのが遅かったということもあり、私鉄が梅田や難波、上本町などの都心部にターミナルを置くということになりました。

そのため市内の通行は市電程度でちょうどよいということになり、私鉄と市電との協力ができたようです。

私鉄はそこから郊外へと路線を伸ばし大きな営業圏を作り上げました。

そのためか、JRや地下鉄との接続というものをあまり便利にはしておらず、東京のようにスムーズではないようです。

南海電鉄とJRの乗り換えの新今宮にはかつては南海の駅はなく、JR側も環状線は止まるものの同じ路線を走る関西本線は通過していました。

駅名も乗換駅であっても別々というところが多く、JRの大阪駅から乗り換える私鉄・地下鉄の駅は梅田です。

JR・地下鉄の天王寺駅から乗り換える私鉄の駅は阿倍野橋といった具合です。

 

東京圏は混雑緩和という要請がまだ残っているものの、輸送力増強に必要な費用が巨額であり、なかなか着手が難しいところです。

利便性の向上という点では、山手線とその上のターミナルから放射状に伸びるJR線、私鉄線というネットワークはあるものの、その途中でそれぞれをつなぐ(蜘蛛の巣の横線のようなもの)路線が不足していました。

武蔵野線のような路線ができたものの、まだ環八沿いには鉄道が無く、建設の余地があります。

 

大阪圏では混雑はかなり緩和されており、輸送力増強はあまり求められていません。

新線建設による利便性向上の余地は各所にありそうです。

新幹線の新大阪と各路線を結ぶ路線があれば新幹線からの移動がスムーズに行きそうです。

 

それぞれの鉄道の建設自体、その当時の最良を求めて作られているのでしょうが、その後の状況で現在では必ずしも便利と言えないところができてしまったようです。

東京駅、御茶ノ水駅、渋谷駅などは、私も学生時代によく利用したところでしたので、本書の詳細な記述は懐かしく感じられました。

 

 

「官愚の国 なぜ日本では政治家が官僚に屈するのか」高橋洋一著

著者の高橋さんは、東京大学数学科出身の異色のキャリア官僚として大蔵省に入省し、長く勤めましたが退職しました。

そのため、「官僚」というものの裏表まで熟知しており、それがどのように日本の政治を動かしているか、また欠点や汚点までよく分かっています。

 

この本が書かれたのは民主党政権の終わり近い2011年3月、「政治主導」をうたって官僚支配を打ち破ろうとした民主党政権も無残に敗れ去り、再び官僚跋扈の政体に戻ろうとしていた頃でした。

 

民主主義政治は、愚かな民衆が選んだ愚かな政治家が政治に当たる「衆愚政治」であるとはよく言われることです。

しかし、高橋さんの見るところ、現在の日本の政治は「官愚政治」つまりあまりにも愚かな官僚に任せきりにしてしまった政治と言えるようです。

 

官僚と言っても、この本で言うのは国家公務員試験の1種に合格したいわゆる「キャリア」と呼ばれる者たちです。

その中でも、特に優秀な(と自分たちでは確信している)大蔵省(現在は財務省)のキャリア組を問題としています。

 

公務員試験の内情も著者は熟知しています。

なにしろ、それに合格して大蔵省に入っただけでなく、在任中には公務員試験の問題作成にも当たったそうです。

 

日本のキャリア官僚が強力な権力をもてあそんでいるのも、1種公務員試験という難関の試験を高得点でパスしたからだと誰もが思っています。

しかし、著者によればその試験というものは「能力ある人を選び出す」ものではなく、「決められた勉強をする人が通過する」ものだということです。

 

公務員試験の対策用に、必読教科書というものがあります。

しかもそれが10冊以上もあるようです。

これを買ってしっかりと勉強したものは高得点が取れるように作られているのが公務員採用試験の問題だということです。

 

つまり、キャリア官僚に求められている資質というものが「決められた勉強をしっかりとすることができること」であり、想像力や独創力などは不要のものということです。

 

これで見える官僚に求められる資質というものは「前例踏襲」だけです。

どのような前例があるかをしっかりと「勉強」し、それに沿って判断するという能力を持っているものが「優れた官僚」ということです。

このような官僚がどういう仕事ができるか、すぐに分かりそうなものです。

 

このような「官」の形は実は明治期に作られてそのままです。敗戦の時にもGHQをうまく操り官僚制はそのまま存続させてしまいました。

本当は無能な官僚が政治の実態を操る権力を握り、自分たちに都合の良いように政治を動かしているのが日本の政治の本質だそうです。

 

民主党がやろうとしてできなかった「政治主導」を実現させるためには、「政治任用ポスト」とされている官房長官官房副長官官房副長官補を、ちゃんと政権が選んだ人間で運営することだそうです。

しかし、現状では官房副長官以下は官僚のトップが占めています。

民主党が「政治主導」をうたって政権についた時に著者はこのポストに民主党が誰を充てるか注視したのですが、前政権から全員を留任させたそうです。

これで、民主党政権の政治主導というものが、本気でないことがわかったとか。

 

アメリカでは官僚のトップクラスはすべて政治任用ポストであり、政権が代われば総入れ替えとなっています。

だからこそ、政権交代の効果も上がるのであり、それができなかった日本には官僚の暴走を防ぐことはできないようです。

 

この本の直後に自民党が返り咲き安倍政権が復活しました。

これが官僚をどう使っているか、というか、どう政権が使われているか、官僚の忖度で適当におだてられてすべてが官僚のやりたい放題ということでしょうか。

 

官愚の国

官愚の国

 

 

「甲骨文の話」松丸道雄著

中国古代の、漢字の原型とも言える甲骨文字について、その研究を専門として来られた著者の甲骨文字やその時代、内容などについての文章を集めて一冊の本としたものです。

 

すでに大学の名誉教授となられている著者ですが、その20代から現在まで書かれたものですので、統一された内容ではありませんが、様々な方向から甲骨文字というものを描いています。

 

冒頭に置かれた「甲骨文略説」は、著者20代の頃に書かれた一般向けの初歩解説とも言うべきものですが、そこから甲骨文字の概要を抜き出してみます。

 

1899年、北京の国子監祭酒の王懿栄の食客であった劉鉄雲が薬材店で見つけた獣骨に文字らしきものを見つけました。鉄雲は青銅器に鋳込まれた金文という文字にも詳しかったので、その文字は金文のさらに古い形であることに気が付きました。

鉄雲はその後もこの文字の書かれた獣骨の蒐集と研究を進め、拓本を集めて本として出版しました。

それを中国だけでなく日本の学者も研究を進め、それが殷の時代のものであり、殷王朝で甲骨を使って行われた占いの結果を記録したものであることがわかり、さらに殷王朝の実在とそれについて書かれた史記などの歴史書が正確な内容を持つことなどが明らかになっていきました。

 

 

甲骨文において、文字の形態は時代により相当変わってきたようです。

これについて、著者はある仮説を立て、それを発表していますが、学会の通説となるまでには至っていないようです。

それは、「占いを行なう貞人と呼ばれる人々は各時代にかなりの数が居たようで、同時に何人もが占いを行っていることもあるが、占いの結果をその甲骨に刻み込む”書契者”と呼ぶ人はごくわずかしかいなかった」ということです。

そのために、時代ごとに書体がかなり変わっているにも関わらず、その時代にはほぼすべてがその書体に統一されているということがこの仮説ならば説明できるということです。

 

甲骨文においては、「干支」という一連の文字が大きな意味を持ちます。

十干十二支を表す、甲乙丙丁、子丑寅卯といった文字ですが、すでに殷の時代にはこの体系が定まっていたことが分かります。

しかし、その中である時代までは「子(ね)」を表す文字が現代につながる「子」ではなく別の字が使われており、「巳」を意味していたのが「子」だったそうです。

何時頃の時代かに、その昔の「ね」の字が失われ、そこに巳であった「子」が移動し、さらに別の意味で使われていた「巳」の字が「み」に移動したのだとか。

 

甲骨文は殷王朝の後期に突然出現したかのように見えますが、これだけの体系の文字群がいきなりできたはずはありません。

しかし、それに先行する文字の証拠というものはなかなか見つかりませんでした。

ごく最近になって、山東省の丁公村というところで見つかった遺跡の中から文字のようなものの刻まれた陶片が発見されました。

これは殷王朝よりさかのぼる時代の遺跡であるということで、この文字も甲骨文に先行するものではないかと話題になったそうです。

これについて、中国の研究者の馮時さんという方が発表された論文が斬新なものでした。

それによると、この遺跡は彝族(いぞく)のものであり、この文字も彝族が作ったものだということです。

現在では彝族は雲南省に住む少数民族ですが古代では中国中央部に住んでいたようです。

彼らが文字の原型を作り出し、その後なんらかの事情で中国中央部から退いたあとにそこを継いだ漢族の殷王朝が文字も受け継いで甲骨文を作り出した。

まだ、証明されたわけではない仮説ですが、そういうこともあったかもしれないと思わせるものです。

 

現代の漢字との関係が大きな関心を呼ぶ甲骨文ですが、それを通して中国の古代が見えてくるようです。

 

甲骨文・金文[殷・周・列国/篆書] (中国法書選 1)

甲骨文・金文[殷・周・列国/篆書] (中国法書選 1)

 
甲骨文の話 (あじあブックス)

甲骨文の話 (あじあブックス)

 

 

「宅配がなくなる日 同時性解消の社会論」松岡真宏、山手剛人著

「同時性」という言葉はいろいろな場合に使われており、アインシュタインも使っていますが、ここでは「同時に同じ所にいるということ」を問題として、経済現象を取り扱うという意味で使われています。

 

アマゾンなどのネット販売品の配達が急激に増加し、ヤマト運輸などの宅配便が能力の限界に達して様々な破綻現象を見せたとして、大問題になりました。

ヤマトが取扱を減らしたり、配達時間帯を変えたりといろいろな対応が為されていますが、根本的な解決には遥かに遠いということは誰が見ても分かります。

 

しかし、ヤマト運輸が一から開発し育て上げた「宅配」というものが、すでに根本から破綻しかけているということを本書では論じます。

 

スマホというものが急速に発達したために、様々なサービスを細切れの時間の中で使えるようになりました。

商品販売を含めたサービスというものは、かつては販売店を訪れて店員と対面し交渉し購入するという、「同時性」が必要なものでしたが、スマホの利用により通勤通学途中の電車の中や、ちょっとした待ち時間などに数分を使ってやればできてしまう状況になりました。

 

このような、「同時性の解消」ということが、社会のあらゆるところで起きています。

しかし、「商品の受け取り」という最後のところで「同時性解消」に失敗しており、それがヤマト運輸などの宅配業者の混迷につながっています。

 

40年前にヤマト運輸小倉昌男氏が官僚や他の運輸業と壮絶な闘いをして作り上げていった宅配業ですが、その当時はまだ女性の社会進出も進まず、老親の同居も多く、つまり「家に誰か居た」

そのために、宅配のドライバーが荷物を届けても受け取り可能であったわけです。

しかし、その後一人や二人の家庭が大幅に増え、さらに女性の有職率も上昇した。

つまり、ほとんど家庭には人が居ない状態になってしまいました。

そのため、「再配達」が非常に増えてしまいました。

この動きはもはや止めることはできず、ドライバーが荷物を届けた時に家に誰かいることが原則の荷物受け取りは成り立たたくなってきています。

 

宅配ボックスの設置や、コンビニなどへの荷物の留置といった対策も模索されていますが、これも本質的な解決には程遠いようです。

 

人と人とが顔を合わせることで成立する「同時性」

これに左右されるサービスは根本から考え直す必要がありそうです。

「宅配が無くなる日」というのは近い将来にやってきそうです。

それではどうするか、例えば荷物の配達は通常は現在のスーパーなどの店までとして、そこに客は荷物を取りに行くというのが基本サービスということにするしかないのかもしれません。

これは、かつてのスーパーマーケットの業態と近いものかもしれません。

以前のスーパーでは、その店が発注して荷物が入荷し、それを客が選んで購入した。

しかし、今後は客がそれぞれ発注した荷物をスーパーが受け入れ、客が受け取りに来るという業態であり、それほど違うわけではないようです。

 

これは、これまで経済の勝ち組だった「宅配」と「コンビニ」が新たな業態に挑戦を受けているということなのかもしれません。

 

このような社会となってしまうと、人間はほとんど動かずに生活できてしまうことになるかもしれません。

しかし、そのような社会であっても動き回る個人が発展する可能性があるようです。

無駄かもしれないけれど動き回って他者とのふれあいの機会をもち、そこから新たな可能性を発展させる人が成功するとか。

 

やれやれ、恐ろしい時代にすでに入ってしまったようです。

スマホすら持たない老人には入る隙間もないのかもしれません。

 

宅配がなくなる日 同時性解消の社会論

宅配がなくなる日 同時性解消の社会論