爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ポスト西洋世界はどこに向かうのか」チャールズ・カプチャン著

近代世界を引っ張ってきたのはヨーロッパとアメリカです。

それは自由民主主義、資本主義、世俗ナショナリズムを共通に備えていました。

彼らは自国を先進国と捉え、他の国は途上国としてその状態に徐々にでも上昇し、やがてはすべての国が西洋モデルの国として追いつき、全世界がその状態になるという予測をしていました。

 

しかし、途上国と言われてきた国々は、西洋モデルとは別の仕組みを持ったまま変えようともせずに独自の方策で力を付けてきています。

そうこうしている間に、肝心の西洋モデルの最先端であったはずの先進国が、どこも不調となりかつての光を失っています。

これは、西洋モデル自体が普遍的な到達点と考えることができなかったという事実を示しているのではないか。

 

それを認めた上で現在の世界を見ていくと、現状が理解しやすい上にこの後どのような方向に向かっていくかも想像しやすいようです。

 

この200年は、ヨーロッパとアメリカという西洋モデルの国々が圧倒的に世界を支配してきました。

しかし、それはもともと西洋モデルというものが着々と勢力を広げて到達したものではありません。

逆に、その少し前まではアジアやイスラム世界の国々に圧倒されていたとも言えるものでした。

その時代には、強力な帝国運営を成し遂げたイスラム世界や中国の文明に比べ、ヨーロッパ世界は王権の確立にも失敗し、弱体化した王のもとに豪族たちが勝手気ままな分立をしているというものでした。

しかし、それが逆に商人などの勃興を許し、彼らが新たな国の基礎をなることで、近代社会が成立しました。

帝国の力が強すぎたイスラムや中国ではこのようなブルジョワジーの発展は見られず、近代はやってきませんでした。

 

21世紀がスタートした時には、このような西洋の大勝利を特にアメリカが自らのものとし、満足感に浸っていました。

しかし、その後のテロ攻撃、長引く戦争、金融危機など、多くの問題を抱えてしまいます。

ヨーロッパの各国も経済成長の鈍化や政治対立など混乱が増すばかりです。

もはや、「西洋の勝利」など信じられるものではなくなりました。

 「次にくる大転換」は中国をはじめとする「非西洋」の勃興であろうとしています。

 

これらの非西洋の新興国は西洋モデルとは異なるモデルで現在も発展を続けています。

実は、中産階級の勃興で国全体が発展するという西洋モデルは、極めて限られた条件でしか有効ではなかったと主張しています。

 

そのモデルとは、

独裁

 共同体主義独裁制 中国 個人の機会・自由よりも安定と経済成長を優先する

 家父長主義独裁制 ロシア 政治的に服従すれば国家が面倒を見てくれる

 部族独裁制 中東諸王国 血統と有力一族に仕事と財産を分与する。

 

中国型の共同主義独裁制には明白な強みがあります。

その最たるものは、面倒な民主的プロセスに邪魔されずに指導者が政策決定できること。

もちろんそれは弱点、あるいは汚点となり、市民自由の欠如、人権侵害、異論の抑圧が必ず起こります。

 

中東には部族独裁制の諸王国の他にも、神政政治を行うイランのような国もあり、これも一つの形となっています。

 

イスラエルも一見西欧型の民主主義国のように見えますが、実は正統派ユダヤ教徒は極めて強力な宗教感覚を持っており、それが大きな勢力を形作っています。

 

アフリカの諸国は、独裁制でもワンマン政治という形が特徴的です。それはこれまでのところ成功してはいないようです。

 

中南米諸国は新興国として発展の可能性がありますが、この近代モデルも独自のものです。

それは、「ポピュリズム」という言葉で表されます。

すでに人口の大半が都市部に住み、貧困層を形成しています。彼らの歓心を捉えることが必要条件となっています。

 

このような状況下でも、まだアメリカを中心に先進国は世界に自由民主主義を広めることが自らの使命だと考えている人が多くいます。

アラブの春という、象徴的な事件の際にもオバマ大統領は自由と民主化を広めることがアメリカであると演説しました。

ヨーロッパも基本的にはこの観念を共有しています。

 

しかし、この著者はこういった思い込みは新興国との軋轢を増すばかりであり有害だと断じ、非西洋モデルの各国に合わせた対応を取るべきだとしています。

 

中国など、明らかに内部で民主活動家を弾圧していても、あれはそういう国なんだと納得しろということでしょうか。やはりかなり抵抗を感じる論調でした。

 

ポスト西洋世界はどこに向かうのか: 「多様な近代」への大転換

ポスト西洋世界はどこに向かうのか: 「多様な近代」への大転換

 

 

「大隕石衝突の現実 天体衝突からいかに地球を守るか」日本スペースガード協会著

2013年2月15日、ロシアに隕石が落下しましたが、各地で撮影された動画が公開され衝撃を受けた人も多かったでしょう。

また、6500万年前の恐竜の絶滅は、ユカタン半島付近に落下した直径約10kmの小惑星の衝突によるという学説がほぼ認められるようになっており、またそこまで大きくなくても各地に隕石衝突の跡のクレーターが残っています。

 

このような天体衝突という現象は、これまでも何度も起きている以上、これからも起きる可能性があると言えます。

その時には人類は何もできずに絶滅を待つのでしょうか。

 

天体衝突と言いますが、ごく微小な天体は毎日のように地球に降り注いでいます。

地表まで到達するのはほんの一部の大きなものだけで、ほとんどは大気圏で燃えて無くなってしまいます。

流れ星というものもその一種と言えるでしょう。

また、大気を持たない月を見れば多くのクレーターが天体衝突の事実を証明しています。

 

それでは、地表にまで到達し被害を出すような天体の衝突というものはどの程度の頻度で起きるのでしょうか。

ある程度以上の大きさで地球と衝突する可能性がある天体といえば、小惑星がそれにあたります。

その多くは火星と木星の間に著しい数のものが存在しています。

そのような小惑星は、これまでは一定の楕円軌道で太陽の周りを回っているのですが、様々な外力で時折軌道を外れ、小惑星帯を飛び出すことがあります。

それが地球の軌道と重なる場合に地球との衝突という事態になるということです。

 

また極端に長い周期の軌道を取る彗星も、いままで見つかっていないものが発見されそれが地球の軌道と重なる可能性もあります。

1994年に木星に激突した、シューメーカーレヴィ第9惑星と呼ばれるものは、軌道上で壊れていき分裂した破片が次々と木星に落下するという、興味深い運動をしました。

このような事態が地球にも起きないとは言えませんが、その頻度は極めて低いものです。

 

今後、地球に衝突するような天体があるのかどうか、多くの天文学者小惑星を観察し、その軌道を計算して地球に近づく可能性を調べています。

その大きさと衝突頻度とは密接に関係し、直径3m程度のものは数ヶ月に一度、10mくらいのもので数年に一度は衝突していますが、ツングースカの爆発を起こした直径50-100m程度のものは数百年に一度、恐竜を絶滅させた10kmクラスのものは1億年に一度といった具合です。

 

このような小天体が地球に衝突した場合、どのような現象が起きるのかは実ははっきりとは分かっていません。

様々な実験や、核爆発の観察などである程度の推測はできるのですが、それでも衝突した時に起きる現象はまだ不明です。

それでも直径10kmの衝突では1億メガトン級の爆発、1kmでも10万メガトン、100mでも100メガトンと、人類が今保有している核爆弾の総量(2300メガトン)と比較しても大変な爆発力があると考えられます。

直径500m以上の天体が衝突すれば、人類文明は壊滅の危険性があると言えそうです。

 

それでは、もし小天体の軌道が地球との衝突を予測できるものであったらどうするか。

その天体を破壊するというのは、かえって無数の小天体を生み出してしまい危険性が増します。

何らかの方法で軌道をずらすというのが生き延びる方法になりそうです。

色々な手段が考えられていますが、一番可能性が大きいのは核爆発ということです。

ただし、それに要する核爆弾の量は大量であり、そのために核爆弾を保有し続けることが良いのかどうか、それよりも核爆弾は一旦廃棄するほうが良いようです。

 

夢のような話ですが、この時にも実際に小惑星の観測をしている人たちがいます。

彼らの努力に感謝しましょうか。

 

 

「崩れゆく世界 生き延びる知恵」副島隆彦、佐藤優

注目している二人の論客が、対談をしたという本ですので期待しましたが、予想通りです。

2015年の出版ですので、まだトランプ大統領が決まる前のもので、ヒラリー・クリントンが大統領と予測されていますが、これはかえって良かったということでしょうか。

本書ではヒラリーが大統領になった場合の危険な予想ば強調されていました。

 

このようなお二人が、安倍政権、イスラム国、ウクライナ問題、ヒラリー・クリントン、行き詰まる日本経済について裏の裏まで見通して語っています。

 

安倍政権誕生に至る民主党政権の打倒にはやはりアメリカの仕掛けがからんでおり、反小沢クーデターが致命的でした。

現在は安倍の官邸主導という名の独裁政治となっており、大企業優位のまま中小企業はつぶす戦略、官僚を各省の課長クラスまで直接支配といった行動に出ているそうです。

安倍は普通の民主主義国とは波長が合わないとも言っています。

それで、仲がいいのがトランプ・アメリカとロシアだけなんだ。

 

まだヒラリー・クリントンが大統領選優勢という状況だったためか、ヒラリーの危険性について強調されています。

ヒラリーは人道主義的介入主義者というべきで、積極的に海外へ軍事介入をするという思想を持っています。

これは共和党ネオコン系とも通じるものであり、それが裏で手を握って世界中で紛争に介入しかねないということです。

今、世界が不安定になっている要因は、この第4世代ネオコンとヒラリー派、統一教会だそうです。

 

この当時はちょうどトマ・ピケティの「21世紀の資本」が人気だった頃でした。

この本も最後はピケティについての対談です。

副島さんもピケティはカール・マルクスの再来と評価しています。

しかし、問題点もありそれは最後の結論とか。

大企業の暴走を食い止めるために、資本税といったもので彼らの儲けを回収するということですが、副島さんによればこれは国家ファシズムとでも言うべきものにつながることになります。

課税により富の再配分をしようとする行為は、国家社会主義とも言うべきものであり、今でも思い上がって課税を言う国税庁のような連中にさらに大きな権力を渡すことに他ならないとか。

 

この最後の部分は、私もそう考えていただけに衝撃的です。

確かに、大企業の暴走を食い止めるために課税強化して膨れ上がった内部留保を取り上げるのは、逆に見れば課税する政府の権限を限りなく強化することです。

だったらどうすればよいのか、迷いが深まります。

 

崩れゆく世界 生き延びる知恵

崩れゆく世界 生き延びる知恵

 

 

「これが日本の民主主義」池上彰著

テレビでもよく拝見し、本も何冊も読んでいる池上さんですが、日本の民主主義というものについて、かなり厳しく指摘した本です。

 

日本は第二次世界大戦の敗戦により民主主義というものをアメリカから与えられました。

その中味を皆が理解しているとは言えないまま、次第に自己流の「民主主義」を作り上げてしまったようです。

 

戦後、アメリカは占領している日本について、「戦争ができない国にする」という方針のもと、日本国憲法を示し戦争放棄を決めさせました。

しかし、その後の国際情勢の変化でアメリカの態度も変化し、自らの傘下で軍事力を行使させようとしたのですが、逆に憲法を盾に思う通りには動かなかったのが日本政府でした。

今になって、ようやくアメリカの言う通りに動く政権を樹立させました。

安保方針等を日本に指示した文書も存在しています。

2012年に発表された「アーミテージ・ナイ・レポート」というものは、その中身は日本政府への提案と言われていますが、その後の日本の政府決定はすべてこれに沿っていることが分かります。

こういった問題について、国内で真面目な議論が行われたことはありません。

これが「日本の民主主義」であるということです。

 

日本の農政は、戦後すぐの食糧不足対応というところから始まりましたが、その後は自民党の票田とも言うべき農家に対しての補助金分配に過ぎないものになっていきます。

農産物の輸入自由化の海外からの圧力は上がり続けましたが、これに対しての貿易自由化の対策費というものはほとんどその補助金に使われました。

これも「日本の民主主義」のレベルの問題です。

 

1949年にカール・シャウプが日本の税制の問題点についての報告書をまとめました。これをシャウプ勧告と呼びます。

これによって戦前の間接税主流の税制を改革し、所得税法人税などの直接税主体の税制へと移行しました。

戦時中には戦費を賄うために多額の赤字国債を発行し、それが戦後の超インフレの原因ともなったために、財政法という法律で国債発行を禁じました。

しかし、東京オリンピックの翌年には公共事業減少から深刻な不況となったために、特例公債法という法律を作ってまで、赤字国債を発行しました。

それがオイルショック後にも「特例」で国債発行、その後も特別な事情で国債発行を続け、今ではとんでもない額の国債残高が残っています。

それを是正しようと消費税など導入を図るたびに選挙で大敗するということが繰り返されています。

税制と財政をめぐる動きを見ていると、「日本の民主主義」のレベルを改めて考えさせられます。

 

様々な面から、池上さんは「日本の民主主義」について論じています。

非常に低いレベルのものだということでしょう。

 

これが「日本の民主主義」!

これが「日本の民主主義」!

 

 

「日本全国駅名めぐり」今尾恵介著

日本全国には、鉄道の駅というものが1万以上あるそうです。

その名称は、単にその駅の所在地の地名を付けたというだけではなく、地元の事情、鉄道会社の思惑など、いろいろなものが絡み合ってできています。

そのような駅名、実例を多数あげて説明されています。

 

JRなどの「東京」駅。

大都会東京の玄関口として多くの列車が行き来しています。

しかし、「東京」といえば都市としての名称、行政区分の「東京都」、など非常に広い地域を代表する名前です。

それがあの駅の名前として付けられたわけです。現在ではそれに疑問の余地はありませんが、最初からそうであったとも言えないでしょう。

もっと小さな区域の地名を取って「丸の内」でも良かったのかもしれません。

 

日本ではじめての鉄道は明治初年に新橋と横浜の間で開通しました。

その東京側の出発地を「東京」と名付けても間違ってはいなかったでしょう。

しかし、そこを「新橋」としたのは、鉄道建設の指導役として招聘したイギリス人技術者の「ロンドンにロンドン駅なし、パリにパリ駅なし」という意識があったようです。

ロンドン市には、「ロンドン」と名付けられた駅は無く、各地の名前が付けられています。(ヴィクトリア、パディントン、ウォータールー等)

その時はイギリス流で出発駅を「東京」とはしなかったのですが、その後認識が変わったようです。

 

 

特に私鉄の場合に顕著なのが「駅名でお客を呼ぶ」意識です。

これは日本の特徴とも言えるのですが、「前」のつく駅名が多いということがあります。

欧米ではまず見当たらないこの「前」付きの駅名。

全国で300以上あるそうです。

あえて、公共施設や商業施設、学校などの名称に「前」をつけることで、利用者の利便性を高めるという鉄道会社の意識があるようです。

 

各地にあるのが「市役所前」、「大学前」、ですが、悩みもあります。

その施設が無くなったり、名称が変わった場合に駅名をどうするかという問題が発生します。

鹿児島市電の「県庁前停留場」は、県庁が移転してしまったために「県庁跡」に改名したとか。

また、「前」は付いていないものの、東急東横線の「学芸大学」駅は、「碑文谷」「青山師範」「第一師範」「学芸大学」と何度も改称せざるを得ないことになりました。

しかも、現在は学芸大学は移転してしまい存在しない学校名ですが、駅名だけは変えられません。

 

 

駅名としては駅の所在地の地名を名乗るのが原則ですが、平成の大合併で市町村が多数合併し、新しい名称を名乗っています。

ただし、今回の合併では新自治体の名称が非常に大きい範囲を示すものになった例が多く、駅名はさすがにそれに追随するわけには行かないようです。

旧国名を新しい市の名前としたものも多く、その自治体が旧国の中心というわけでもないために、市名を駅名とすると不都合が生じます。

たとえば、北陸本線武生駅を「越前駅」、飛騨古川駅を「飛騨駅」、修善寺駅を「伊豆駅」などとしてしまうと、多くの関係者に異論が続出しそうです。

 

 

新たな駅ができた時に、そこがどの地域を代表するか、簡単ではない場合が多いようで、その妥協案?で地名をつなげてしまうということが最近では頻発しています。

これも「民主主義」の影響でしょうか。

大阪の地下鉄はそれがもっとも実感できる例であるようです。

太子橋今市四天王寺前夕陽ヶ丘、駒川中野、喜連瓜破西中島南方ドーム前千代崎今福鶴見等々です。

福岡市営地下鉄の「千代県庁口」もその一種のようですが、実際にこの路線に著者が乗ったところ車内放送で「県庁・県警察本部へは、次の馬出九大病院前が便利です」と言われたとか。ここまでくるとブラックジョークのようです。

 

ただ電車に乗っているだけでは見落としてしまいそうな「駅名」の謎。結構面白いものかもしれません。

 

日本全国 駅名めぐり

日本全国 駅名めぐり

 

 

「道路整備事業の大罪 道路は地方を救えない」服部圭郎著

「道路整備事業」と題されていますが、広く自動車社会そのものを問題とする内容となっています。

 

ガソリン税など、自動車関係の諸税を道路整備にのみ使うことのできる「道路特定財源」という制度は、長い間道路整備の財源として機能し続けましたが、ようやく2008年になって一般財源とするように改正されました。

しかし、実情ではまだ多くの費用をかけて道路整備に明け暮れている状況です。

 

かつては「日本の道路は最悪」と言われ続け、「道路後進国」だから道路整備を進めなければならないというのがトラウマのようになっていました。

いまだに、その感覚が変わらない人々が多数居るようです。

 

しかし、道路関係の統計を見てみれば、道路延長距離については、国土面積あたりの数字も、人口あたりの数字も、さらに可住地面積あたりの数字も、どれをとってもヨーロッパの国々より道路延長は長くなっています。

さらに、道路の質をとってみれば、これは世界でもトップクラスの維持管理水準であることは間違いありません。もちろんそれだけの金をかけているのも間違いありません。

 

かつて、石原慎太郎東京都知事は、東京都の道路整備率が低いと主張しました。

ニューヨーク、サンフランシスコやロンドン、パリと比べても道路率(道路の占める面積比率)が低いということだったのですが、どうもその根拠も怪しいだけでなく、アメリカの大都市は極めて密度の低い構造であるということを無視した論理でした。

すでに先進国の道路行政論議では、道路率が低いほど都市環境が良いということになっています。

 

道路整備を進めることで政治家や地元に利権が転がり込むという体制を作ったのは田中角栄でした。

上記の道路特定財源制度の基を作ったのは角栄ですし、高速道路の利用料金をさらに高速道路建設にあてるという制度も作りました。

その当時は圧倒的に低い道路レベルを上げていくという意味がないわけではなかったでしょうが、すでに時代は変わっています。

 

地方においては、いまだに道路整備が地域活性化につながり、道路ができれば産業も増え、人口も増えるという信仰のような思いが残っています。

しかし、これまでの道路と地方の状況を見れば、まったく逆の現象が起きていることがわかります。

辺鄙な土地であったところに道路を整備し外部との交通を便利にすると、逆に人口がどんどんと減っていくというのが常に見られる現象です。

特徴的なのが、それまでは細々とでも営業していた小売店が閉店してしまうことです。

車で外部の大型ショッピングセンターに通えるようになると、地域の商店はやっていけません。

さらに、群馬県南牧村の例では、村の職員まで便利な都市部に家を持ち、そこから通ってくるようになってしまいます。

そうなると、村に残るのは車の運転のできない老人ばかりとなり、衰退する一方となります。

 

大きな地域でみれば、「ストロー効果」というものがどこでも具現化しています。

高速道路が開通し、高速バスが運行することにより、長岡市福島市山形市佐賀市などはそれぞれ新潟市仙台市、福岡市に消費者を吸い取られ、特に贈答品などの高級品需要が減少してしまいます。

 

また、道路整備の理由の一つとして「渋滞緩和」が持ち出されるのが特に都市部で顕著ですが、これもバイパス開通でかえって「誘発交通」という現象が起き、整備すればするほど交通量が増えるということになります。

バイパス整備で渋滞緩和するのは、ほんの一瞬とも言える状態です。

 

自動車優先の都市として世界的に有名なのはロサンゼルスとブラジリアですが、どちらも社会生活が破綻しかけており、そこからの脱却を模索している状況です。

日本の都市がこれらの失敗例の後を追う必要は全くありません。

 

日本で「道路特定財源制度」が作られたのは1950年代ですが、それには欧米各国の先例がありました。

イギリスでは1909年、フランスでは1951年にそれに類する制度を定めましたが、いずれも早い時期に廃止されています。

アメリカではいまだにこの制度が維持されていますが、中味の見直しはされているようです。

特に商店街という地域の活性化のためには、内部にまで自動車を入らせることはしないということの方が成功につながるようです。

 

ヨーロッパの諸都市では市電などの公共交通を整備し自動車の市街地への進入を排除する方向を取るところが増えているようです。

しかし、日本ではいまだに公共交通においても、事業採算性をうるさく言い出して反対する動きが強いようです。

この件に関して、本書の次の記述は重いものがあります。

「道路は公共財として無料で提供されるために事業採算という考えからすれば100%赤字となる。私的な交通手段である自動車が利用する道路に事業採算性のモノサシを導入せず、より公的性の強い交通手段である公共交通に関してばかりこの点を議論するのはおかしな話だろう」

 

まさに、その通りという主張です。

 

本書題名のとおり、「道路は地方を救えない」ということを早く認識できるかどうかが、地方の将来を決めそうです。

 

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

 

 

「宅配クライシス」日本経済新聞社

ネット通販の爆発的な増加で、宅配業者の対応能力を荷物個数が上回り、配達員が休みも取れず、長時間の労働を強いられるなど、運送業の限界が見えてきたような状況になったのは、昨年のことでした。

 

2017年2月23日の新聞には「ヤマト、サービス維持限界、宅配総量抑制へ」という記事が載りました。

1976年のサービス開始時より着実に伸びてきた宅配は、2016年にはヤマトで18億個、業界全体で40億個の荷物を運ぶまでになりました。

 

しかし、インターネット通販の急激な増加で、このようなヤマトを始めとする業界のビジネスモデルが破壊されようとしています。

宅配業、すなわち家の玄関まで、手渡しで届け、届くまでは再配達という、外国からみれば過剰ではないかというほどのサービスを比較的安価で行ってきたものが、不可能になりつつあったのです。

これを「宅配クライシス」と呼びました。

 

その最大の理由はアマゾンなどのネット通販の拡大です。

2007年にアマゾンが会員制サービスを開始し、その後は宅配便取扱数は毎年1割ずつ増加し、15年度には37億個、16年度には40億個となりました。

ヤマト運輸では従業員の負担が限界に来たとして、労使交渉で宅配便数抑制という道を探ります。

アマゾンなど大口顧客へ値上げの要請、それができなければ契約打ち切りというところまで視野に入れての交渉でした。

 

さらに次々と問題が噴出、時間帯指定では昼は廃止、夜も時間拡大、宅配ロッカー設置などの対策も必要となりました。

 

受取人不在の場合の再配達も、その割合が2割に達し、それがますます業務を圧迫しました。

再配達を有料とするというプランも考慮されましたが、それは採用は難しいということになっています。

 

アマゾンはヤマトを使った当日配達は停止、その業務は中小の運輸業者に委託するということにしました。

しかし、その配達業務のレベルはヤマトには遠く及ばず、トラブルが続出だったそうです。

 

ヤマトが取扱総量抑制という中で、佐川急便や日本郵政に溢れた分が流れていますが、そちらの取扱能力も限界に近づき、値上げの動きも出ているようです。

 

宅配クライシス

宅配クライシス

 

 スーパーでの買い物なども宅配へという話は、さすがにやりすぎだろうと思っていましたが、こういった方面から厳しいブレーキがかかったということでしょう。無料のサービスなど無いということだと思います。