爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「アベノミクス効果」などすでに何もない。政府は経済対策として巨額の国費投入。

五輪後の景気対策とか、国土強靭化とか、何のかのと口実をつけて巨額の国費投入を決めました。

www.nikkei.com事業規模26兆円とか。

大きなところは国土強靭化とか災害復興とか銘打っているものの、これまでどおりの建設土木の公共事業への投入です。

 

アベノミクスで経済は上向いたのでは。

もはや、その幻想もなにも無くなってしまい、手当たりしだいに金を突っ込まなければどうしようもなくなっているのでしょう。

 

この原資は建設国債などと言っているものの、国債に変わりはありません。

 

さらに社会福祉を削り、教育費を削り、研究開発費も削り、堤防に囲まれただけのボロボロ国家にしていこうとしています。

 

税金を使うことだけは貪欲なこの政府はすぐに潰さなければ、日本自体が潰れていくでしょう。

「自分で耐震診断ができる本 木造住宅編」保坂貴司著

地震の時に建物が壊れてしまうということは非常に怖ろしいものです。

これまでも多くの地震が起こり建物倒壊により被害者が出てきました。

そのため、建物の強度を上げるような建築基準の改定が繰り返され、徐々に被害が減ってきています。

 

この前の熊本地震でも、最新の建築基準で建てられた建物は最悪の震度7の揺れが2回続けて起きた益城町でもほとんど倒壊は免れました。

しかし、建築基準は建物を新築する時にのみ関係し、古い建物はそのままということになりがちです。

耐震性向上の改築が必要なのですが、かなりの費用もかかり中々取り組まれていない状況です。

専門家に自家の耐震性の診断を頼むこともできますが、それだけでも数万円の費用がかかり簡単には行きません。

 

といったわけで、少しでも参考になるようにと耐震研究会の専門家の保坂さんが、木造住宅の耐震性診断を自分でもできるようにと書かれたのがこの本です。

 

とはいえ、それほど詳しい内容ではなく、大体の状況が分かればもしも危ないようならそこからは専門業者に任せましょうということです。

 

まず、大きな点は「1981年」以前の建築かどうかです。

この年の建築基準改正で、建物の強度は大きく変わりました。

それ以前の建物はかなり地震の揺れには弱いので注意すべきです。

 

さらに、これまでに大きな地震、台風、水害にあっていないか。

完全な状態であればよいのですが、こういった災害で傷ついてそのまま補修をしていないと建物の強度が落ちているそうです。

 

また、斜面のような土地で隣との間に高低差があったり、地盤に液状化が起きる可能性がある場合は建物の強度はあっても地震で被害が出る危険性が高まります。

熊本地震の場合も最新の建築基準で建てられた家が地盤が悪くて倒壊した例がありました。

 

古い建物には良くあることですが、無理な改装・改築が行われていると建物強度が極端に落ちることもあるようです。

特に、平屋建てに二階を増築といったことをすると、強度が不足することになります。

 

この本ではこのような診断基準で簡易的ながら点数をつけ、ある程度以下の場合はすぐに専門家に相談することを勧められています。

 

自分で耐震診断ができる本 木造住宅編[改訂新版]

自分で耐震診断ができる本 木造住宅編[改訂新版]

  • 作者: 一般社団法人耐震研究会保坂貴司
  • 出版社/メーカー: LLPブックエンド
  • 発売日: 2018/12/13
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 熊本地震の本震では、我が家のある八代市震源から40kmほど離れていたために、震度は下がり幸いにも家の被害は出ずに済みました。

しかし、その後の話によると、この地震震源となった布田川断層の歪はほとんど解消されたものの、それと接する日奈久断層の歪はまだ残ったままで、この前のものと同様の規模の地震が起きる危険性があるとか。

耐震性診断が必要かと思いましたが、役所からの助成金が出るのは古い住宅だけで我が家は当てはまらず、高額の費用が必要です。

そんなわけで、この本を読みましたが、まあそれほど心配はないだろうということになってしまい、本当かいなと心配が残るばかりです。

トランプ大統領は米軍駐留経費負担増を日本にも要求

トランプ大統領が、米軍駐留経費を各国に求めている問題で、直接発言しています。

www.yomiuri.co.jp「友人の安倍首相に助けを求めた」と言っているとか。

名古屋の小学生の金要求イジメと同じように見えます。

「仲間から外されたくなかったら金もってこい」

 

日本政府はこの件についてずっと否定してきました。

それがウソだったことも、トランプ自らが明らかにしてくれました。

 

どうせこうなるから、始めから本当のことを言っておけば良いのに。

それをしないから、ますます安倍政権はウソだらけと言われます。

 

日本に限らず、在外駐留米軍がその国の防衛のために居るなどということはなく、アメリカの勢力圏を広げるために駐留しているというのは明らかであり、終戦後ここまでの基地使用料を請求しないだけマシと思ってもらいたいほどのものです。

日本はさらにアメリカ防衛用のイージス・アショアまで自費で買って自国内に設置しようとしています。

アメリカの防衛のために何もしていないなどということはなく、負担を強いられているというのが正確でしょう。

 

安倍はトランプのお友達(金づるの)ですが、もう勝手に貢がないように監視を強めなければなりません。

 

「聖書を読みとく 天地創造からバベルの塔まで」石田友雄著

キリスト教徒の両親の影響で幼い頃から聖書に親しんできた著者は、その後も長く聖書に親しむ会を主催していましたが、日本人の聖書というものに対する感覚はいまだに「よく分からない宗教書」と言うものです。

著者は、その後イスラエルに留学しますが、ユダヤ人の聖書に向ける感覚はキリスト教徒とは全く異なることに気づきます。

ユダヤ人はいわゆる旧約聖書のみを「聖書」と位置づけており、その読み方も「民族史」であるかのように扱っています。

確かに、その中身は当時としては民族の歴史そのものであり、これを紀元前の頃に強烈に意識していたというのは他の民族には見られない特徴でした。

この本ではそういったユダヤ人の聖書に対する思いを詳しく解説しています。

 

天地創造の物語を書いたのは、紀元前6世紀にエルサレムからバビロンに捕囚されてきた人々でした。

バビロンではその数千年も前から文字が使われていたので、その影響を受けています。

書いたのはユダヤ人の中でも祭司の階級の人々でした。

この中で、神はただ「神」とのみ呼ばれています。

 

その後に書かれた「エデンの園」と「失楽園」の部分では神は「ヤハウェ神」と呼ばれています。

聖書学者の間では、この部分を書いた人々は「ヤハウェイスト」と呼ばれています。

天地創造を書いた祭司階級とは別であると考えられています。

この2つのグループはそれ以降の聖書の中でも別々に書き残しているということです。

 

なお、バビロンでは他の諸民族と同様に多神教が信じられていました。

ユダヤ人はすでに一神教を採っていたのですが、天地創造の中では一部に「神々」や神が「我ら」と呼んでいる部分があり、混乱が見られます。

 

 

ノアの洪水のエピソードは、メソポタミアの先行する文明にも同様の記述があり、実際にその地方で起こった大洪水の記憶を取り入れられたのであろうと推測されます。

しかし、その洪水で地上のすべての生き物が死に絶え、ノアとその子孫、ノアの方舟に乗せられた生物の子孫のみがその後の世界の生き物であるということにしたために、ノアの息子がユダヤ民族だけでなく他の諸民族の開祖となるということにせざるを得ませんでした。

ノアの息子はセム、ハム、ヤフェトの3人であり、その名の通りセム民族、ハム民族とヤフェトの末裔となるギリシャコーカサス等のインドヨーロッパ語族の祖先となったとされています。

興味深いのは、イスラエル人が住むようになったカナン地方の先住民族であるカナン人は3人の息子の中でも一番貶めれているハムの子孫とされているところです。

実際にはイスラエル人とほとんど同じ民族であるはずなのですが、最も近いところにいたために衝突することも多かったのでしょう。

 

そのような民族の来歴を語る「民族表」というものが聖書の最後に付されています。

当時の彼らの考えによる全世界の全民族の家系を、イスラエル人が勝手に作り上げたものですが、後世の民俗学者がその「セム」と「ハム」を実際の民族系統の名称に使ってしまったために混乱が起きてしまいました。

カナン人イスラエルと同様にセム系になるはずですが、イスラエル人がもっとも敵意を持っていたエジプト人の属するハム系に無理やり入れてしまっています。

 

このように、ユダヤ人の記した聖書(旧約聖書)は、ユダヤの民族史そのものとも言えるものです。

それを捉えた上で新約聖書というものも読んでいかなければならないのでしょう。

 

聖書を読みとく―天地創造からバベルの塔まで

聖書を読みとく―天地創造からバベルの塔まで

 

 

 

OECDの学力調査で、日本の文章読解力が急落

OECDが加盟国を中心に実施している学力調査(PISA)で、日本の15歳の読解力が急落し前回(2015年)の8位から15位になったそうです。

かなりの衝撃だったためか、新聞でも大きな扱い、テレビでも報道されました。

headlines.yahoo.co.jp今回から出題がパソコンを使って行われたため、パソコン使用の授業がほとんどない日本が不利だったなどと言う、的外れな解析をした関係者もいたそうですが、もちろんそんなことよりも大事な要素があります。

 

文句なしに、「読書習慣の減少」が理由でしょう。

 

このPISAは、OECD関係国が対象ということで、先進国内だけの話になりますが、かつては「ゆとり教育」のせいで順位が落ちたとして、ゆとり教育からの転換につながったということもあります。

 

今回も、これで衝撃を受けて「読書重視」に変わればまだよいのかもしれませんが、どうせそうはならないでしょう。

 

PISAの試験内容は、単純な知識の記憶だけでどうなるものでもないのに、「ゆとり教育」攻撃に使われ、逆に「詰め込み教育」復活につなげるという、理屈に合わない変更に利用されてしまいました。

今回もどうなることやら。

 

読書習慣の減少というのは、受験エリートにも少なからず降りかかっているはずです。

現在の受験は、予備校などの受験対策プロたちの解析がどんどんと進み、数学ですら問題の分析と解法のパターン化によって暗記科目化しているようです。

暗記することばかりが増え、ポイントの定まらない読書などに使える時間は減る一方でしょう。

 

しかも、文章読解に技術と感性が必要な小説などの高度な文章は使えなくなり、IT機器の使用説明書を読むような訓練しかしなくなっています。

含意がそこら中にちりばめられ、布石と隠喩がふんだんに配置されるような高度な文学的文章を読まずに、読解力が進むはずもありません。

外国人労働者に日本語を教える程度のレベルのものしか、日本人生徒に与えていないのならば、高度な読解力はどっかい行ってしまうのかもしれません。

(高度なダジャレも交えてみました)

「科学者が消える ノーベル賞が取れなくなる日本」岩本宣明著

この数年、毎年のように日本人のノーベル賞受賞者が出ており、だんだんとそれが当然のように感じられるほどになってきました。

韓国や中国ではなかなか受賞者が現れないということで、そちらでは焦りを感じていると言った報道も、(日本メディアが優越感を感じていることがありありと分かる論調で)為されています。

 

しかし、受賞者の会見などでは日本の科学界の今後について極めて悲観的であることを皆が表明しています。

ところがどうも、メディアも政府もそれに真剣に取り組もうという姿勢は感じられません。

 そこのところを、ノンフィクションライターの岩本さんが多くの研究者にインタビューし、豊富なデータをもとに調べ、「ノーベル賞が取れなくなる」どころか科学者自体が激減しかねないという大変な状況であることを報告しています。

 

ノーベル賞受賞者の多くはアメリカやヨーロッパの科学者ですが、実は21世紀に入ってからは日本人がアメリカに次いで2位の受賞者数を誇っています。

ただし、このノーベル賞を貰うのは既に老齢になってからの人が多いのですが、その受賞理由となる研究は彼らの若手の時代の業績であることがほとんどです。

つまり、現在の日本人受賞者の受賞理由の研究は今からかなり前の青年時代のものです。

20年後、30年後のノーベル賞受賞者は、現在若手として研究に没頭している人の中から出るということになります。

 

しかし、現在の若手研究者の状況は、そのような基礎研究に没頭することを不可能としています。

 

理工系大学院の入学者は増えていますが、修士課程を終了した後博士課程に進む者は激減しており、ピーク時の3分の2ほどです。

修士終了で就職する人はほとんどが企業に入社しますが、そこでは研究に従事するものは少なくそれ以外の職種を担当します。

博士課程に進む人は研究者を目指すということになるのですが、現在は博士をとっても職がありません。

実に博士課程修了者の6割が非正規雇用かポスト待ちの無給研究員として大学に残っています。

 

ここで言う「非正規雇用研究員」というのが非常に多くなっています。

これは、普通の社会で言う非正規雇用労働者とは少し異なり、研究職ではあるものの研究プロジェクトの期間中のみ雇われる「期限付き」(任期制)研究員ということです。

一般社会の非正規労働者ほどの薄給ではありませんが、期間が終われば職がなくなります。

 博士課程修了者の目指すのは大学の助教(昔の助手)や公的研究機関の安定した無期限の研究員の地位なのですが、それを得られるのはわずか1割程度という惨状です。

これでは、理系で大学院に進学しようとする人でも博士課程に進むことは考えられないでしょう。

 

しかし、望み通りに大学の助教などとして安定した職につけたとしても、思い通りに研究ができるわけではありません。

大学の研究者の研究環境は悪化し続けています。

研究費として使える国立大学の運営交付金科研費が減り続けており、競争的研究資金へ依存する割合が増加しています。

また、研究費も「選択と集中」で一部のトップレベルの大学に多くが配分されるようになり、地方の大学や多くの私立大学の予算はより切り詰められています。

 

また、大学の助教なども研究者としての側面の他に、学生への講義や事務対応の時間が取られます。

研究時間の減少は甚だしいもので、特に大学法人化以降は研究時間が25%減ったという調査結果があります。

2002年には研究時間が職務時間の46%であったのが、2008年には36%に減少したそうです。

研究時間に代わって増えているのが、「教育」と「社会サービス:教育関連、その他」です。

学生の教育に費やす時間が増加しています。

大学の使命として、学生教育の充実を掲げることが多くなり、しかも教員の数が減らされているために、教員一人あたりの授業時間が増えています。

特に、助教や講師といった若手の人々がそれに従事することが多いために、研究にもっとも当たるべき若手の研究者の時間が激減しています。

 

これには、大学進学者の大幅な増加も関わっており、それは高校までの授業を消化しきれていない学生の増加にもつながっています。

彼らに対する補習授業(中高の内容を教える)も教員の負担となっています。

 

こういった状況は、政府の無策によるものです。

財政が厳しくなることは分かっていながら、社会保障費や防衛費の増加を優先し研究開発費を削り続けた。

受け入れ先も無いのに博士課程の定員を増やし、1990年から10年で博士を2倍にした。

このような結果として、大学院に進学しても優秀な学生ほど修士修了で企業に就職してしまう。

また博士で優秀な人材はすでに続々と海外に流出していく。

このままでは、ノーベル賞が取れるかどうかどころの話ではなく、日本の科学、特に基礎分野は壊滅しかねないところまで来ています。

少なくとも、大学は解体して教育機関と研究機関をはっきりと分ける必要があります。

 

科学者が消える: ノーベル賞が取れなくなる日本

科学者が消える: ノーベル賞が取れなくなる日本

私自身は研究者としての経験はありませんが、大学に近い場所で仕事をしていた関係で研究者の人たちとも知り合う機会がありました。

「任期付き研究職」という若い人たちも居ましたが、はっきり言って悲惨な状況です。

次の仕事の見通しもつかず、現在の仕事も夢のあるものではない。

気の毒としか言えないものでした。

 

 

 

 

 

相変わらずの論点ずらしで逃げ切り図る。「アベ、お前がジャパンライフ会長と個人的関係があるかどうかなんて聞いてないよ」

桜を見る会」に”反社会勢力”と見なされるジャパンライフの会長が、「アベ枠」で招待されていた件について、国会で首相が釈明したんですけどね。

mainichi.jpジャパンライフの元会長と個人的な関係はない」と言うばかり。

 

そんなことは聞いてないよ。

と言ったところでしょうか。

 

あんたの招待枠で出てきたのかどうか。

それがどういう経緯だったのか。

別に「秘書の誰かが入れさせた」でも構わないので真相をしゃべれ。

ということです。

 

さらに、小役人が野党の質問があるからということで、焦って資料を廃棄した件も何も語らず。

 

これで、「十分に説明」したことにするという、いつもの戦略か。

 

資料廃棄も、まさかこんなことを政治家が指示するはずもないので、官僚の「忖度」でしょう。

これも何度も言っています。

政治家の明確な指示なしに勝手に忖度したような官僚は「官界からの永久追放」

それで、政治家の潔白を証明していかなければ政官癒着と言われるだけです。

 

どうやら、まだこの問題は政権の退陣にまで至るほどの大きなものという認識が不足しているようです。