爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

中国産の梅を国産と偽装、そのあおりで太宰府の人気商品「梅の実ひじき」が製造休止

太宰府のお土産としても人気のあった「梅の実ひじき」という製品の原料として使われていた梅が、国内産と表示されていたのにほとんどが中国産ということが、内部告発で判明したということです。

headlines.yahoo.co.jpどうやら、西日本新聞内部告発サイト?にタレコミがあったようで、しっかりとその事実は書いています。

 

北九州の食品加工会社が偽装工作をしており、「梅の実ひじき」等の製造会社には大分産として納入していました。

 

「梅の実ひじき」製造元の太宰府市の「十二堂えとや」はその事実を知らなかったものの、製品の製造は休止するということです。

なお、当然のことながら製品の安全性に問題はないそうです。

 

それにしても、北九州の会社の従業員は、中国産以外の原料を見たことがないと話しているそうで、そんなことをしてもバレないと思っているのでしょうか。

中国産忌避のムードはまだまだ根深いようです。

「日本人の性格構造とプロパガンダ」ジェフリー・ゴーラー著

戦後すぐに出版され大きな話題となった日本人論に、「菊と刀」という本があります。

これは、ルース・ベネディクトというアメリカ人女性が書いたのですが、実はそれに先行して戦時中に書かれた日本人論がありました。

それが、このゴーラーが書いた「日本人の性格構造とプロパガンダ」です。

 

ジェフリー・ゴーラーはイギリス人の社会学者で、サセックス大学にその資料は保管されています。

彼は一度も日本を訪れたことはなかったのですが、多くの日本滞在経験者と面談しその経験を聞くことで日本人についての意見を持つに至り、このレポートを書いてそれが当時のアメリカやイギリスなどの連合国の対日政策検討担当者に取り入れられました。

菊と刀ルース・ベネディクトともアメリカの戦時情報局を通じて接触し、ゴーラーの研究結果をベネディクトは引き継いだようです。

 

ゴーラーへの情報提供者となった人々の中でも、特に多くを語ったのが現在の横浜共立学園の校長を長く務めたクララ・デニスン・ルーミスでした。

クララは1901年に当時の共立女学校の第4代校長となり、35年間その職にありましたが、戦争悪化のために離日しアメリカに帰りました。

他にも多くの日本滞在経験者たちから話を聞き、日本人というものの姿を描き出していきました。

 

その観察は、無遠慮なまでに真実をつかもうとしており、驚くほどです。

日本人の子供に最も厳しく行われるのはトイレットトレーニングだそうです。

実に4ヶ月程度の赤ん坊から始められ、よちよち歩きをする頃にはもう完璧だとか。

日本人にとって最もひどい制裁は嘲笑であり、顔をつぶされるということは最大の恥辱と捉えられる。

自分の身体や家屋については異常なほどに清潔を求める。しかし見えないところにはその関心は及ばず逆の行動を取る。

 

天皇の戦犯追求などは絶対にやらないこと。

これがゴーラーの日本観でした。

中世のカトリックの法王のような存在であり、それを攻撃するのは神聖なものを犯すように思われます。

このゴーラーの主張は一貫しており、戦時情報局もそれに影響されたようです。

 

なお、大外れ?と言えるのは、「浪人」が出現するかもしれないという予想です。

こういった混乱期には武力を携えた浪人が活動し、彼らが占領政策を妨害するかもしれないとしていますが、そのような行動をするものはほとんどありませんでした。

 

百聞は一見にしかずと言いますが、見る目さえあれば実際にそこに行かなくても物が見えるようです。

 

日本人の性格構造とプロパガンダ

日本人の性格構造とプロパガンダ

 

 

サンマが不漁、でも外食産業では「生サンマ」が出されるわけ

サンマが不漁となりなかなか見ることもできません。

それについて、ダイアモンドオンラインで気になる記事が出ていました。

diamond.jp8月の漁獲量は1000tあまりと、例年の7分の1程度しかなく、価格も倍以上となっているそうです。

 

この理由については記事中には「気候変動による資源量の減少」と「中国や台湾などの外国船による漁獲増加」を挙げていますが、まあこれはここでは触れません。

 

興味あるのは次の項目です。

 

外食産業でも大戸屋では発売中止となっているものの、吉野家かっぱ寿司では販売を継続しているとか。

しかも「生サンマ」と表示しているそうです。

 

スーパーなどでの販売では、冷凍品を解凍して売る場合は「解凍サンマ」と表示してありますが、これは食品表示法に基づいて決められています。

 

しかし、外食産業はこの食品表示法の食品表示基準には従う必要はないそうです。

 

したがって、昨年以前に水揚げされたサンマでその後冷凍されていたものを解凍していても、「加熱処理や塩漬けなどをしていなければ”生サンマ”と表示して構わない」ということだそうです。

 

何か、引っかかる表現ですが、法的には問題がないということなのでしょう。

 

「資本主義って悪者なの?」ジャン・ジグレール著

著者のジグレール博士はスイスの社会学者で貧困と社会構造について研究をしてきました。

2000年には国連の「食糧に対する権利」の特別報告者も務めています。

世界各国に広がる貧困や格差は、資本主義というもの自体が引き起こしていると主張しています。

1934年生まれということですので、実際にも孫娘が居てもおかしくない年でしょうが、この本もジグレール教授が孫娘のゾーラと話をするという形で作られています。

まあ、こういった作りの本によくあるように、とても子供が話すとは思えない内容が続いていますが。

 

資本主義は資本を持ったものがそれを最大限に利用し、利潤を生み出していこうというものであり、そこには他者に対する思いやりも公正といったものの尊重も何もありません。

したがって、より上の立場から統制しない限り、資本の暴走は止めようがなく、現代はそういった状況に陥っています。

 

資本主義というものを深く洞察したのはマルクスでした。

彼がその欠点の克服のために考えた共産主義が現実の場面で彼の理想とは異なる部分で破綻したために、マルクスの思想自体が問題とされるようですが、資本主義というものについての意見は捨てられるべきではありません。

 

マルクスは、資本家は利益、剰余価値を増やそうと努力し、それを再投資し、資本がどんどんと蓄積されていくことを見通していました。

そのごく一部の大金持ちをオリガーキー(寡占支配者)と呼びました。

しかし、労働者は貧しくなる一方でもはや商品を買うことができなくなり、資本主義は自滅すると考えましたが、今までのところそこまでは行き着いていないようです。

 

ヨーロッパの最初の資本の蓄積は、新大陸を舞台に先住民やアフリカから連れてきた奴隷を使って成し遂げられました。

これは主にスペインとポルトガルがやったことですが、他のヨーロッパの国々もそれに続いて植民地の犠牲のもとに資本を貯め続けました。

 

共産主義が一時的に広がったせいで、資本家のオリガーキー化は遅くなりましたが、1991年の共産主義の崩壊によりそれは加速されました。

ちょうどその頃までに急速に発展した通信技術の高度化とともに、金融資本の世界支配が起きました。

彼らは世界的な事業の展開と称し、タックスヘイブンに本拠地を名ばかり置いて税金も払わずに儲けを貯め続けています。

 

工場などの産業の移転を進め、安い労働力の国で作るために先進国の労働者は失業しています。

生産を進めている国々にはまだ環境意識も低いままのため、汚染防止もいい加減です。

環境を汚染し、住民に汚染被害を与えています。

 

「市場の見えざる手」という神話を掲げた、新自由主義という名の人々がこれらの蛮行を応援しています。

ジグレール教授も会ったことがある人のひとりに、オーストラリア出身のジェームズ・ウォルフェンソンという人物がいました。

彼は世界銀行総裁にもなりましたが、国家を無視できる企業による世界統治を目指していました。

これこそが新自由主義という、資本家たちの究極の理想です。

 

しかし、フランスの社会学者ピエール・ブルデユウーは新自由主義は妄想だとしていました。

彼ら、新自由主義者は平気で嘘を垂れ流す連中だと言っていました。

 

最後に告白されているのは、ジグレール教授も資本主義の代わりとなるべき経済と社会の体制については何も知らないということです。

しかし、それは必ず今の若い世代が作り出してくれるとも期待しています。

民主制度というものは、皆が目覚めれば大きな力を持つものです。

しかし、今は皆が幻を見ているだけです。

希望を持ち続けることはできるのでしょうか。

 

資本主義って悪者なの? ジグレール教授が孫娘に語るグローバル経済の未来

資本主義って悪者なの? ジグレール教授が孫娘に語るグローバル経済の未来

 

 

 

 

"賀茂川耕助のブログ”を読んで、No.1264香港の大規模抗議デモ

賀茂川耕助のブログ」では香港で続く抗議デモについて触れられています。

kamogawakosuke.infoその論調は、すでに暴力的な行為に陥っているデモ側に厳しいものとなっています。

 

欧米や日本の報道では、香港当局や中国政府の強圧的な取締姿勢を批判的に扱われる方が多いので、少し厳しい見方かもしれません。

 

しかし、デモ側がどの程度統制が取れているのか疑問ですが、記事中にあるように国際空港を占拠してしまうなどはもしもヒースロー空港JFK空港がそのようになればどうするかと言うまでもなく、論外でしょう。

 

この先の展開は、田中宇さんの「国際ニュース解説」でも「中共の勝ち・香港と軍産英の負け」と9月11日付の記事で触れられているように、中国側の有利な展開になるのでしょう。(この記事は有料のためコピーもできません)

 

デモ参加者の中には非暴力的な人々も多いのでしょうが、彼らにとっては厳しい展開となりそうです。

 

「考える江戸の人々 自立する生き方をさぐる」柴田純著

1995年に起きた阪神淡路大震災の頃、テレビなどで「人を救うのは人だけだ」というフレーズが繰り返し語られるようになりました。

人々にボランティア活動への参加を呼びかけるものでした。

この言葉に接して、ボランティア活動をするかどうかというのは個人の事情により違ったでしょうが、この表現自体に疑問を感じるということはほとんどなかったでしょう。

 

しかし、このような考え方が当たり前のことと考えられたのは、それほど古い昔からのことではありません。

日本だけでなく、世界の多くの地域で神仏の力が絶対的であり、人の努力など大した価値はないとされていたのは、ごく近い過去までは普通のことでした。

 

それでは、いつ頃からこの考えが普及したのか。

思想の歴史の研究者である著者は、それは16世紀末から17世紀にかけて、つまり中世末の戦国時代が終わって江戸時代の「平和」が実現された頃からであろうと考えています。

 

古代から中世までは人の力は限定的なものであり、ほとんどのことは神仏の考え次第という観念が支配的でした。

自然災害や飢饉が起きても神仏に祈るのみでした。

ところが、応仁の乱以降戦乱が続くと、神仏の権威に対する懐疑心が生まれます。

そして、織田豊臣に続いて徳川が戦乱を収めると、これまでより人間の力というものへの信頼が格段に高まっていきます。

いろいろな問題に対して、人間自身の力で解決しなければならないという考え方が生まれ、拡大していきました。

 

こういった社会と個人の変化というものが、どのように生まれ育っていったのか、多くの人々が残した文書などを基にその意識を探っていきます。

取り上げられているのは、彦根藩藩主の井伊直孝、その孫の直興で、彼らが子や孫、家臣団に対して出した書状、指示書等々に書かれていることから、自身で頭を使ってよく考え行動することの大切さを示しています。

特に、井伊直孝は藩主でありながら幕府要職に就いたため、ほとんど国元に戻らず江戸住まいで、国元の政治は留守居役に任せたままという状況のため、細かいところまで指示をしています。

 

さらに、江戸時代の思想家の思想履歴についても調べていきます。

藤原惺窩、林羅山伊藤仁斎荻生徂徠といった面々ですが、中にひとり、さほど有名ではない思想家ですが、那波活所という人物について詳しく述べています。

那波活所は武士の生まれではなく、祖父が一代で巨万の富を築いた姫路の豪商で、活所は幼少より学問に優れていたために藤原惺窩に師事します。

そして、熊本藩和歌山藩儒者として仕えています。

彼の思想は儒学を基本としていますが、「中人思想」というものが特徴的です。

 中人とは、人間を三分類した場合に、大賢、中人、下愚と分けられるその中間です。

活所はさらにその最高位に至聖、最下位に至愚を置き五分類としていますが、いずれにせよその中間の大多数は中人であるとしています。

そして、彼は自分自身も中人であると自称します。

これは、近世という時代が日本においても社会的中間層が現れ増大していくということも背景にあります。

ただし、こういった中人にも向上の可能性がありその努力が必要としているのは時代を表しています。

 

本書後半では、著者のもう一つの研究分野であると見られる、寺子屋を舞台とした庶民の教育機会の増大が扱われています。

すでに、16世紀には畿内では子どもたちの教育のために旅の僧侶を村にとどめるという慣行がありました。

そして、17世紀半ばを過ぎると各地で寺子屋が活動していたことが記録にあります。

各地で活躍した近江商人の出身地の一つ、現在の滋賀県東近江市、当時の五個荘町という村の時習斎という寺子屋は、元禄9年(1696年)の開校でした。

五個荘町には他にも多くの寺子屋があり、他の地域と比べて読書・習字の他に算術を教えているところが多かった特色があり、これが近江商人としての活躍の基礎となっていたようです。

 

時習斎は、そこを開設した中村家に多くの文書が残っていたという幸運があり、当時の様子がよく分かります。

また、100年分以上の生徒の資料、門人録というものも残っており当時の貴重な記録となっています。

それを見ると、寺子屋に通う子どもたちの家は上層階級だけでなく、中下層の人々も含まれており、ほぼ村内皆学といえる状況だったようです。

おそらく全国的にも最も教育が普及していたのでしょう。

なお、女子の教育も徐々に増加しておりその需要も高かったことが分かります。

 

いろいろな面から見て、江戸時代に日本の社会というものががらりと変わったと言えますが、このように人々の思考というもの自体がこの時代に大きく変化しそれが現代につながっているということが良く分かります。

 

また、巻末には「考える」に関してAI(人工知能)についても触れています。

AIの可能性ばかりを強調される事が多いのですが、AIの限界も歴然としています。

数学者の新井紀子さんによれば、

AIに使えるのは論理と確率と統計だけ。AIの弱点は「まるで意味が分かっていない」こと。

逆に言えば、「意味を理解しなくてもできる仕事」はAIに奪われる。

人は「意味を理解する」仕事をする必要がある。

また、羽生善治さんも、「AIがはじき出す膨大な情報から意味あるものを見つけ出す”価値判断”、AIに何を考えさせるかという”問を立てる”ことは人間にしかできない」と言っているそうです。

 

考える江戸の人々: 自立する生き方をさぐる

考える江戸の人々: 自立する生き方をさぐる

 

 

台風被害で千葉県内ではまだ停電が続く

台風15号の被害で、特に千葉県内では送電線鉄塔だけでなく多くの電柱が倒れるという被害が続出し、3日以上が経過してもまだ40万軒以上が停電しているようです。

www.yomiuri.co.jp停電すると大きな影響が出るのはもちろんで、熱中症で死亡者も出ています。

 

ただし、この対策が遅れていると東京電力を非難する人もいますが、それほど大変な台風だったということでしょう。

台風が毎年襲う沖縄は別格として、九州でも風速50mを越えることはあまりありません。

1999年の台風18号は、熊本を直撃し不知火町(当時)では高潮で多くの犠牲者を出しました。

その時の最大瞬間風速が天草の牛深で66m、最大風速は45mだったそうです。

そのときは、私の住む熊本南部でも電柱が数多く倒れ、市内中心部では2日程度、郊外の農村部では1週間以上停電が続きました。

今回の台風でも千葉市で最大瞬間風速55mとか。

復旧にあたる電気工事の人々の頑張りに敬意を表します。