爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「交通情報の女たち」室井昌也著

ちょっと思わせぶりな題名ですが、中身はいたって真面目なものです。

 

「交通情報」とは、最近ではネット経由などというものも増えているようですが、長らくは主にラジオを通じて流されていた道路の渋滞などの情報です。

 

かつては大抵の車ではカーラジオが付けられており、運転中はそれを聞いているのが普通でした。

特に、タクシーやトラックのドライバーたちはそれを流しながら運転していたので、時々放送される交通情報というものは貴重な情報源であったようです。

 

色々な組織があるようですが、もっとも広範囲にカバーしていたのは「日本道路交通情報センター」というところで、そこの職員がラジオ放送も担当しています。

 

この本では、その放送担当の職員、ほとんどが女性ですが、彼女たちにインタビューし、どういった経緯でその職を選んだのか、また苦労話や上手く話すための工夫などと聞き出しています。

 

色々な経歴の方が多く、アナウンサー志望でありながら局アナにはなれずという人が多いようですがそればかりでもないようです。

また、交通情報を担当するとずっとそのままと言うことも多く、非常にキャリアの長い人も多いようです。

おそらく、ここに出場してきた人たちの中には以前そのお声を聞いた方もいらっしゃるのでしょうが、残念ながらお名前に聞き覚えはありませんでした。

 

交通情報センターの九段センターというところでは、ラジオ各局12局を担当し、放送局が通常番組を流している内に時間になると「九段センターの何々さんから交通情報です」と言う形で情報センターに振ってきて、数分間で交通情報を伝えるという形式でやっています。

ラジオ局のアナウンサーによってはちょっと軽口を言ったりということもあるようですが、さらりと受け流して冷静に交通情報を流すのが腕の見せ所のようです。

 

担当の女性たちも、様々で車の運転はまったくしないという方も結構多いようです。

それでも地理的な感覚は必要なようで、それが無ければできないとか。

難読地名というものも始めのうちは戸惑っても、出てくる地名は繰り返し出るのですぐに覚えるとか。

 

交通情報の初めを知っている人のインタビューというものも採録されています。

ニッポン放送の営業担当であった、高見さんという方が、カーラジオの製造会社であった神戸工業という会社との話でやってみようかということになったそうです。

昭和36年のことだったのですが、当時はまだカーラジオなどというものは載せている車も少なく、「ラジオはお茶の間のもの」と言う感覚だったので、相当抵抗もあったようです。

また、警察も交通情報を流すと言う意識がなく、人手もないからできないと断られたとか。

仕方がないので、いくつかの渋滞しやすい交差点を選び、その近くのタバコ屋、酒屋等と交渉して渋滞しているかどうかを電話で報せてもらいそれを放送したそうです。

徐々に警察の協力も得られるようになり、交通情報センターも設立され、渋滞情報をきめ細かく流すことが渋滞緩和にもつながるという意識が普及したそうです。

 

最後に、インタビューした方々に問いかけたのは「交通情報の今後」ということです。

ネットを通じた情報が増えるに従い、ラジオからの交通情報と言うものの重要度は下がっています。

これがこのまま消滅してしまうのかどうか、難しいところで、答える人の中にも意見が分かれるようです。

 

あの、ラジオから流れる渋滞を告げる女性の声、このところしばらく聞いていませんが、耳の中に残っています。

 

交通情報の女たち

交通情報の女たち

 

 

「もう一つの鎖国 日本は世界で孤立する」カレル・ヴァン・ウォルフレン著

オランダ出身の国際政治学者、ウォルフレンさんが、日本の政治・外交についての評価を記した、2006年出版の本です。

当時は小泉首相がその職にあり、度重なる靖国神社参拝で特に中国・韓国の反発を招いていました。

 

本書題名に示されている「鎖国」とはもちろん江戸時代に徳川幕府がオランダ以外の通商を禁じた政策ですが、第二次大戦後アメリカの占領時代を経て一応講和条約を結んで諸国と通じることになったとしても、やはりその状態は「鎖国」と言えるのではないかというのが著者の意見です。

 

こういった、政治経済関係の書籍は、賞味期限というものがあるようで通常は出版から10年以上も経過してみれば世界の情勢も大きく変わり、書籍に記されている内容も陳腐化していることが多いのですが、この本で著者が当時の小泉首相の施策を批判していることが、そのまま現在の安倍首相の施策にも通用しているのはどうなんでしょうか。

 

小泉とほとんど同様の行為を現在の安倍首相もやっているということでしょう。

しかも、当時の小泉首相は政治的な立場やその施策には大いに疑問点があったのですが、私的なスキャンダルはまったく明るみに出ることはありませんでした。

それが、現在の首相はスキャンダルまみれ、数々の疑惑を抱えています。

全体として施策の面では小泉と似通ったことをしている安倍ですが、その行状の腐敗度ははるかに小泉を超えています。

なんと嘆かわしい首相を選んでいることでしょうか。

 

そんなわけで、現在の日本にもかなりの程度通用するようなこの本の主張を、紹介してみるのも無駄にはならないようです。

 

当時のアメリカはブッシュ政権支配下にありました。

なんの証拠もない大量破壊兵器の疑惑を種に引き起こしたイラク戦争で無理やりフセイン大統領を殺し、その挙げ句に疑惑はなかったで済ませたと言う厚顔無恥大統領でした。

こういったブッシュを「魔法使いの弟子」と表現する人たちがいたそうです。

そして、日本は言ってみれば「魔法使いの弟子の家来」だったそうです。

 

アメリカの行動はアメリカ国内の識者だけでなく、世界中の人から疑惑を持って見られました。

そして、アメリカに何の疑問もなく付いて行くだけの日本もそれと同様と見られているということです。

 

江戸幕府鎖国政策は、幕府の衰退とともに破られ、明治政府は開国という政策を取りました。

最初は欧米に対して格差のある不平等条約の制限がありましたが、それを是正するとともに、欧米を真似た海外への拡張政策を取ったのが日本です。

しかし、その当時にはすでに欧米でも植民地政策は行き詰まり、そこからの脱却が模索されていました。

日本はそのような時代遅れの政策を一所懸命模倣するだけだったのです。

 

そのような拡張主義はあえなく失敗し、アメリカによる占領を経て一応講和条約を結び独立回復しました。

しかし、その実態はアメリカにすべての交渉権を与えてその庇護のもとに生きていくだけの「第二の鎖国」だったのです。

冷戦下で安保はすべてアメリカに任せ、経済活動だけに専念することで高度成長を成し遂げ、対外債権を獲得していきました。

90年代には世界最大の債権国となったのですが、外交はそれまで同様アメリカの指示通りに動くだけの鎖国国家だったのです。

 

これがいつまでも続くのならまだ問題発生はなかったのですが、さすがにそうは行きません。

アメリカが自ら日本の保護者であることを放棄しました。

日本が経済成長を成し遂げ、その分野でアメリカを凌駕していることがアメリカにも認識されたのです。

アメリカは日本の保護をもはや止めているにもかかわらず、日本の一部の政治家や官僚はそれを自覚せずにアメリカの保護を求める姿勢を変えていません。

 

冷戦が集結し、ソ連や東側諸国を仮想敵国として作られてきたアメリカの戦略もその相手が居なくなってしまいました。

相手なしならそのような戦略は不要とすればよいのに、それでは軍産複合体の仕事がなくなるために、次の仮想敵を作り出すことにやっきです。

ちょうど、台頭してきたのが中国なので、それを仮想敵に祭り上げました。

 

アメリカの指示に忠実な日本政府も中国を敵視した政策遂行に進んでいます。

 

ただし、問題は中国が実際はアメリカの経済活動に完全に取り込まれた活動だけをしているということです。

中国の工業生産がいかに世界を席巻しているといっても、それはアメリカに対して納入する製品を作るだけのものであり、独自の経済活動ではありません。

 

しかも、アメリカの弱体化した財政を尻拭いしてきたのは、日本そして中国です。

アメリカが放漫財政で垂れ流した国債を長らく買い続けてきたのは日本でした。

日本が買いきれなくなったら、次は中国が買い続けています。

かつて、韓国がアメリカ国債を売却する可能性をほのめかしただけで、大きな混乱が起きました。

日本や中国がアメリカ国債売却ということになれば、世界経済が破綻します。

このような三角関係にあるのが、アメリカ・中国・日本の関係と言えます。

反発しながらも頼り切っている、そして破滅するのも一蓮托生ということです。

 

この時点では、日本の再生には外務省の再生が欠かせないと著者は言っています。

今ならさしずめ財務省でしょうか。

いずれにせよ、今の官僚制のために日本は破滅に向かっていきそうです。

 

もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する

もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する

 

 

「耳で考える 脳は名曲を欲する」養老孟司、久石譲著

音楽というものが、脳に対してどのように働きかけているのか、考えてみれば色々と面白い話がありそうです。

というわけで、養老さんが作曲家の久石譲さんと対談し、音楽と脳の関係についてあれこれと話題にしましたという本です。

 

目で見て耳で聞く楽しみ、映像と音楽は似たようなものと見えるかもしれませんが、実は映像と音楽を受容する脳の機能にはかなりの差がありそうです。

 

映画は映像に音楽を付けて供されます。

かつてのフィルムでは、1秒に24コマの映像を流し、音楽はそのサイドに付けられました。

その際、久石さんの経験では音楽は5コマくらい遅くしてみるとちょうど映像と合うそうです。

光速は音速より速いはずなのに、音の方が遅くても同時に感じられるのはなぜか、疑問がありました。

 

これは、脳内の音と光を伝達する神経細胞が、働きが違うからだそうです。

音の処理と光の処理では、やっていることがそうとう違うのですが、それを脳の働きで情報を統合しようとしています。

目と耳との機能は本来まったく無関係なのですが、それを関連させて処理せざるを得ないということになっているということです。

 

視覚、聴覚などの五感と言うものは、皆「二重構造」になっているそうです。

古い器官と、新しい器官なのですが、その中で耳の感覚器は非常に古い器官が残っているそうです。

それは、三半規管の体の平均を司る場所とつながっているために、感情の古い場所に直接働く、それが音楽が情動に強く影響するという現象の理由なのかもしれません。

 

五感すべてについて、現代人は感覚が退化し鈍感になってきました。

しかし、その中で他人の臭いに対する嗅覚だけは鋭敏になっているように見えます。

そのため?消臭グッズ、脱臭剤といったものが大流行しています。

これはどうやら、嗅覚が鋭敏になっているわけではなく、臭いがあるのが普通という常識が通用しなくなっているだけということです。

 

志向性、インテンショナリティというものは、人の意識が集中している方向には感覚も鋭敏になるということを示します。

うるさい部屋の中でも、聞きたいと思う相手からの言葉は聞き取ることができるということがそれを示します。

ただし、これは聴覚について言えることで、視覚にはそれはありません。

視覚は求心性のみを備えており、聴覚とは異なり聞きたくないものは聞かないということはできず、何でも目に入る物は見てしまうと言う性質があります。

抑制機能があれば、見たくないものは目に見えていても感じないということもあったのかもしれません。

 

日本人にはハーモニー感覚がないそうです。

ヨーロッパであれば、酒場で酔っ払っているおじさんであっても、人が歌いだせばそれの3度下でハモったりということは普通にできるのですが、日本人はハーモニー感覚が無く、ヘテロフォニーしか無いということです。

 

この部分は、「日本人は」と言われても「私は違います」と言わざるを得ません。

合唱をやっているせいもあるのか、カラオケでも他人の歌にハーモニーをつけるというのは得意で、(相手が嫌がっても)すぐにやっています。

 

脳の働きということは徐々に解明されていますが、音楽という特異な分野でそれを解析するということは今後も続いていくでしょう。面白いような怖いような話です。

 

 

「ナポレオン 戦争全史」松村劭著

著者の松村さんは自衛隊で作戦幕僚などを歴任、実際に戦闘経験はないでしょうが、戦略というものを仕事にしてきた方です。

以前、現代戦の戦法について書かれた本を読んだことがあり、「これはかなりの珍品だ」という感想を持ったのですが、今度読んだこの本は歴史書としては珍品とは言えないでしょう。

sohujojo.hatenablog.com

ナポレオンはフランス革命に続くフランスを中心としたヨーロッパの混乱期に、非常に優れた戦術で一時は全ヨーロッパを席巻しました。

しかし、結局は破れてしまったために、その戦術・戦法を自身で書き残すことはありませんでした。

世界的に見ても、日本でも、ナポレオンの伝記を書いたものはあっても戦術・戦法を解析した戦史というものはあまり見られないそうです。

そこで、ナポレオンが関わったすべての戦闘を解析し、後進の参考になればと言う思いでこの本を書かれたということです。

 

ナポレオンの時代、19世紀のはじめには、兵器と戦術の進歩が急激に進み、それを天才的に上手に活用したナポレオンが数多くの会戦で勝利することとなりました。

フリントロック式の銃剣付きマスケット銃と滑腔カノン砲はほとんど完成の域に達しましたが、回転式弾倉銃はまだ開発途上でした。

 

戦術では、それまでの騎兵主体の軍編成が、小銃の性能向上により歩兵主体に変わりつつありました。

また、ナポレオンの戦闘としていくつもの「会戦」が有名になっていますが、この「会戦戦略」とも言えるものが、実はナポレオンの戦術の特色でもあったわけです。

彼は会戦において徹底的に敵を撃破しないうちに、戦略的、政治的要地を占領しようとはしませんでした。

 

小銃のみを装備する軽歩兵という編成は、18世紀頃から主役の座に座りました。

かつては、弓、投石、投槍などを持ち戦闘開始時にはそれらを放ってすぐに横に避けたのですが、小銃を手にすることにより戦闘中常に主力となる部隊となりました。

しかし、その身分は低かったために、規律が悪く命令を守るとはみなされなかったようです。

フランスが彼らを正規軍として扱い、厳しい訓練を施して主力部隊とするのは他国より先んじていました。

プロイセンやイギリスでは保守派からの反対があり、軽歩兵主体の編成とはできなかったという動きがあったのに対し、フランスでは革命以前から軽歩兵が縦の陣形で突撃する戦法が採用されました。

 

騎兵部隊はかつては花形だったのですが、徐々に重要度を下げていきました。

それでもこの時代まではなんとか存続していたのですが、ナポレオンは騎兵が大砲を牽引し機動力をもたせるということをしました。

これがナポレオン戦争初期には効果的に機能したようです。

しかし、徐々にこの戦法を周辺諸国も真似をし、その差がなくなっていきました。

 

また、ナポレオンは兵站支援システム改善の名人でした。

当時の軍隊は移動先の住民から糧食の提供を受けるのが当然でしたが、ナポレオンはそれを求めつつも、自らも補給品の調達と輸送を考慮しました。

そのために、当時の常識からは驚くほど速く移動することが可能になりました。

1805年のフランス北部からアウステルリッツに向かう進軍では、20万の軍隊が1日平均20-25kmの速度で5週間移動し続けました。

この兵站支援システムは1812年のロシア侵攻までは十分に機能しました。

しかし、ロシアにおいては道路事情が最悪、ゲリラが活動、さらに住民から糧食を求めようとしても皆貧困で何も持っていなかったと言う悪条件が重なり、補給に失敗しました。

 

第2章以下は、ナポレオンの戦争すべての詳細な解説がなされています。

関係者の移動、開戦からは略図で図示してあり、わかりやすく書かれています。

名前だけでも知っているというものも少ないのですが、マレンゴ会戦、アウステルリッツ三帝会戦ワーテルローの戦闘といったところは有名なものでした。

戦闘の結果としてどの程度の兵士が亡くなったかということも書かれていますが、少なくても数千、多い時には数万人が戦死または戦病死しています。

フランスばかりでなく相手国も相当な痛手を被ったことが分かります。

 

なお、ついでながらエピソードとして、ジョセフィーヌの不倫、ジョセフィーヌを離縁してオーストリア王女マリー・ルイーズと結婚、ポーランド侵攻の際に愛人としたワレフスカ侯爵夫人など、女性関係についても触れています。まあ、戦闘には直接は関係ないでしょうが。

 

確かに、アレクサンダー大王、ジンギス汗と並び称されるべきなんでしょう。

しかしもう少し上手くやっていればと言う思いがしてきます。

 

ナポレオン戦争全史

ナポレオン戦争全史

 

 

大阪地震、学校のブロック塀倒壊は専門家が危険と指摘していた

大阪の地震で登校中の少女が圧死したブロック塀倒壊では、すでに専門家が危険性を指摘していたにも関わらず、高槻市は簡単な検査だけで安全としていたことが分かりました。

 

www.sankei.com

防災アドバイザーの吉田亮一さんという方が、3年前に気が付き学校側に指摘したものの、市教育委員会はそこの無資格の職員が見ただけで安全と判断していたということです。

何のための防災アドバイスか、情けない話です。

 

おそらく、市側はそのブロック塀が建築基準法違反である可能性すら認識せず、ヒビや割れが無ければ良いといった程度の考えだったのでしょう。

 

教育委員会と言う組織、その構成員に建築基準法の知識など何もないことは明らかですので、こういった問題を理解できる人間にすぐさま伝えると言う体制になっていなければ、どのような専門家が見たところで豚に真珠、馬の耳に念仏というところでしょうか。

 

この事件を見て(もう事故とも言えません)福島原発事故の前に大津波の予測を伝えても東電は無視したという話を思い出しました。

www.jiji.com

もちろん、高槻市教育委員会は無能だからという理由であり、東電のように恣意的に予測を排除したものとは違いますが、事故が起こり大変な事態を招いたのは一緒でしょう。

 

今回の事件で、全国各地で「ブロック塀の状態」だけを集中して検査しています。

何か起きればそれと同じものだけを見直す。自ら考えることもできない無能さをさらけ出しているということを考えていないのでしょう。

「よくわかる 渋滞学」西成活裕著

「無駄学」「誤解学」といった本も書いておられる西成さんですが、その論議の進め方は極めて科学の原則に従ったものと見えます。

しばらく前に「誤解学」という本を読みましたが、その中で「渋滞学」に関する言及もありました。

sohujojo.hatenablog.com

渋滞学の本には、様々な方面からまったくピント外れの批判が来たと書いてありましたので、その点の興味も少しありました。

とはいっても、この本は渋滞学を一般向けに簡単に解説したものですので、さほど文句のつけようもないかもしれません。

 

 渋滞と言ってすぐ思い出されるのは、車の交通の渋滞でしょうが、その他にも扱われるものとしては、人間の行列(窓口や商店など)、インターネットの接続といったものは考えやすいものですが、他にも在庫の渋滞、人体の中の血流の渋滞といったものも同様のようです。

 

渋滞を理論的に扱ったものとして、セルオートマトン理論、ランダムウォーク、といったものもありますが、流体力学の応用と言うことも行われているようです。

 

行列を待っている人はどのような行動を取るか、もとは電話交換機の効率の研究というところから始まったようですが、すでに20世紀初めにアーランという研究者が論文を発表しています。

その後は道路の渋滞が増えて来たり、人口集中で各所に行列待ちができるようになり、その理論の応用を発展させる動きが強まりました。

 

道路の渋滞を理論的に扱う場合には、ニュートン型の運動理論では解析できない部分が多く、これには流体力学の方がふさわしいことが分かってきました。

特に、水などの密度を一定として扱うことのできる非圧縮性流体力学より、密度が変化する空気などの圧縮性流体力学の方が道路渋滞に応用できるようです。

これは、自動車同士の車間距離が渋滞の程度によって変化するということが、密度が容易に変化する空気の移動の場合と類似し、その知見が応用できるということです。

 

まあ、細かい理論的なところはよく分からないので略しますが。

 

高速道路で特異的に渋滞が発生するサグと呼ばれる部分、緩やかな上り坂やトンネルの入り口などでは、自然に速度が下がることが追従する車のブレーキにつながり渋滞を生むそうです。

だからといって、上り坂になる箇所に「加速せよ」という標識を出すわけにはいかないのが辛いところで、せいぜい「上り坂、速度回復」といった書き方しかできないそうです。

 

個人個人の注意で渋滞を防ぐ運転方法と言うのもあります。

3台以上先の状況まで注意し、急ブレーキ急ハンドルをしないこと。

合流地点では譲り合ってスムーズな運転ができるようにすること。

交通量が増えても車間距離を詰めすぎないこと。

等々だそうです。

 

カーナビのジレンマと言うのもあり、リアルタイムの渋滞情報が得られる機種も増えてきましたが、これも「皆が付けてしまうと一緒の行動になる」ということがあります。

迂回路に行く車が少ないうちは渋滞緩和になりますが、皆がそちらに行くとかえってひどい渋滞になるとか。

 

トイレやレジなどで有名な話に、「フォーク待ち」と「並列待ち」の問題がありますが、整然とできるならば確実に「フォーク待ち」の方が効率が良いようです。

それは、並列待ちでは必ず窓口(またはトイレ)に稼働していない時間ができるからだそうです。

 

面白いことを研究している人がいるもんだというのが感想です。

 

よくわかる渋滞学 (図解雑学)

よくわかる渋滞学 (図解雑学)

 

 

議員の程度の低さには今更ながら恐れ入る 参考人に対して下劣なヤジ

自民党の穴見衆議院議員が、受動喫煙防止について審議している委員会に招致されて発言した参考人に対し「いいかげんにしろ」という下劣なヤジを飛ばし、批判を受けたので謝罪したそうです。

www.asahi.com

参考人として発言していた方は、日本肺がん患者連絡会の代表ということで、受動喫煙を防ぐという観点から喫煙場所の厳しい制限を主張したのですが、自身も喫煙者である穴見議員はそれに対して暴言を吐いたとか。

 

批判を受けた穴見は、謝罪?として

参考人のご発言を妨害するような意図は全くなく、喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶやいた」と弁明。「参考人の方はもとより、ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くおわび申し上げる」と謝罪した。

というコメントを出したそうですが、これが「謝罪」に当たるかどうかはともかくとして、「つぶやいた」はないでしょ。

 

だいたい、議員の「ヤジ」というものは、他の議員の発言に対して行われるものであり、「参考人」などの議会以外の人に対して行うなどというのは論外です。

それすらわきまえないようなものに、議員の資格はありません。

 

 

この穴見も、「魔の三回生」の一人だそうです。

2012年の民主党から政権奪回を果たした選挙で当選した議員のうち、そこが初当選の議員が今まで続いていれば「三回生」と言うことになります。

 

数々の問題を引き起こしているのもこの連中で、以下のようなものです。

mainichi.jpスキャンダル、トラブル続出です。

 

2012年の選挙では、民主党政権への不信感から一気に自民党に票が戻り、自民党大勝となりました。

しかし、必要な候補が足りなかったためか、相当おかしな連中まで候補にしたのが、こういった事態を招いたようです。

 

まあ、これまでにも小泉選挙や小沢一郎のブームの時に初当選した議員には変なのが多く問題を起こしたということもありましたので、これが最初ではありませんが、安倍の政権の長過ぎる期間のせいで、大きな影響が出てきているようです。

 

このような不適格議員も大問題ですが、それ以上に「不適格首相」が居るんだからこういったトラブルも当然か。

 

なお、穴見は九州一円に店舗を構えるファミレス「ジョイフル」の創業者元社長だそうです。

最近はあまり行かなくなりましたが、手頃な値段で食べられるということで、よく食べに行きました。

もう今後は近寄らないかな。