爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「サブプライム危機はこうして始まった 決定版アメリカからの最新レポート」ブルース・E・ヘンダーソン、ジョージア・ガイス著

サブプライム危機、現在ではそれから引き続いて起きた最大の金融機関倒産であるリーマンブラザーズ破綻から「リーマンショック」という方が通りが良いかと思いますが、リーマン破綻が2008年9月、本書出版は2008年8月であり、本書には「リーマン」の文字は見られません。

 

このように、この本はサブプライム住宅ローンという、住宅購入ブームのアメリカで起きた徒花のような必然的に破綻することが運命づけられていたような金融マジック(というか詐欺というか)の破綻から、投資銀行などの連鎖的危機が連続した事件の、発端部分だけの記述となってしまいました。

今となってはそれ以上の大事件が続いていたことを皆が知っていれば、あまりこの本を読む価値もないのかもしれません。

「最新レポート」の悲しさと言えるでしょうか。

 

そのようなわけで、本書は「サブプライム住宅ローン」という、金融工学の粋を集めて作ったようなものの詳細な紹介、そしてそれを使って(収入の割には)立派な家を建ててアメリカンドリームを達成したと思った哀れな人々、それが破綻して住居を差し押さえられた悲劇の人々、といったことを描いています。

 

これが全世界に与えた衝撃から見れば、住居の差し押さえ程度の悲劇など悲劇のうちにも入らないようなものですが、本書執筆当時にはそれが大問題であったということで、そのややセンチメンタル過ぎる描写も仕方ないことかもしれません。

 

そんなわけで、経済本は鮮度が第一ということを教えてくれる本でした。

 

サブプライム危機はこうして始まった 決定版 アメリカからの最新リポート

サブプライム危機はこうして始まった 決定版 アメリカからの最新リポート

 

 

「土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆくえ」中西友子著

2011年3月の東日本大震災で起きた福島第一原発の事故による、放射性物質の放出は大きな社会問題を引き起こしました。

本書著者の中西さんをはじめとする、東京大学農学部の人々は総力をあげてその状況の調査研究を繰り広げました。

農学部には、土壌、各種農産物(コメ、果樹、野菜等々)、森林、畜産、水産等の多くの専門家が居り、トータルで放射性物質による放射線汚染の状況を調べることができました。

 

事故発生から2年あまりの調査研究を経て、かなり多くの判明した事実があると同時に、未解明の部分もあるのですが、2013年の時点での知り得た事実をまとめて出版されたのが本書です。

そこでは、未だ完全ではないながらも相当な知見が得られています。

単純に農産物に放射性物質が移行するなどという事実はほとんどありえないということも分かってきています。(起きるという事例もあります)

この本が出てからすでに4年以上が経っているにも関わらず、未だに福島県農産物に対する危険意識があるということは実に情けない話です。

 

まず、ここで取り上げられている放射性物質はほぼ放射性セシウムに限られます。

事故発生当初は放射性ヨウ素なども放出されましたが、崩壊速度の速いものは瞬く間に消えてしまい、半減期の長い放射性セシウムのみを考えれば良いという状況になっています。

また、放出当初は様々な植物体や動物に直接放射性物質が付着するという事態も起きたのですが、しばらく時間が経過した後はセシウムの物理化学的特性から、ほとんど「土壌に吸着」されています。

この事実をしっかりと認識しなければ判断の間違いも起きてしまうでしょう。

 

しかし、「土壌」というものについての認識自体、あまり広く確実に行き渡っているとは言えない状況です。

土壌は田畑など農耕地に大量に存在するかのように思われているかもしれませんが、実は通常の田畑でもその表面の15cmから20cmの深さに存在するだけです。

これは世界のどこの農地でも同様であり、全世界の農業はこの極めて薄い土壌に依存しているとも言えるものです。

 

放射性セシウムというものは、その特性からこの極めて薄い「土壌」に強く吸着しています。(放射性でなくても、セシウムというものはそういうものです)

そして、植物がそこに育ってもセシウムを吸収するということがほとんど起きません。

つまり、若干の放射性セシウムが農地にあったとしてもそこで栽培した植物に移行することは起きないということです。

 

また、土壌というものは農地としてきちんと使えるようになるまでに非常に長い時間を必要とします。

したがって、土壌の放射性物質汚染があるからと言って、簡単に土壌ごと除去して除染などと言われても農家は困惑するわけです。

そこからまた土壌を農業用に再生するためにはとんでもなく長い期間が必要となります。

 

なお、そうは言っても福島県産のコメで非常に高い放射線が検出されたことがありました。

この事例の特殊性も徐々に明らかになっています。

この水田は、山林のすぐ下にありそこからの水分で栽培されていたのですが、山林土壌に吸着された放射性セシウムが、土壌ごと懸濁されたような液となり水田で栽培されているイネに供給されました。

どうやら、この「懸濁液状態の水分」はそれごと吸収するという性質がイネには備わっているようです。そのために、放射性セシウムを吸着した土壌がそのままイネに吸収されたということです。

このような事例はごく稀ですので、それ以降のコメには放射能は検出されないのも当然のことです。

 

以前に大きな問題となった、重金属汚染というものは(水銀やカドミウム)生物濃縮ということが起こり、食物連鎖の上位の人間などに大きな影響を及ぼしました。

放射性セシウムの場合もこのようなことが起きるのではないかという危険性を持つのではないかと怖れられましたが、セシウムの場合は生物による体内での貯蔵というものは起きません。

代謝により排出されるために、放射性セシウムが仮に体内に取り入れられたとしても徐々に抜けていくようです。

それが分からなかった初期に、家畜で体内に放射性物質を取り込んだものは屠殺され埋められたことがありました。実に可哀相な話でそのまま放射性物質を含まない餌をやっていれば徐々に減少していったはずでした。

 

山林の汚染物質というものは除染もできないために問題だということも言われましたが、山林においてもセシウムの土壌吸着というものは非常に強固であり、そこから雨水により流れ出すということも起きていないようです。

ただし、キノコへのセシウム吸収ということは起こり得ることであり、実はカリウムの高度吸収ということを起こす種がありカリウムと同様の挙動を示すセシウムも取り込んでしまうようです。

しかし、このセシウム高濃度含有キノコというものは、実はこれまでの核実験によるセシウムも吸収しており、フクシマ由来とは言えないものもあるとか。

 

福島の放射性物質汚染状況というものをトータルで見直すことができるもので、農学という学問の底力を感じさせてくれるものでした。私も農学部出身ですので嬉しい限りです。

 

土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆくえ (NHKブックス)

土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆくえ (NHKブックス)

 

 

「健康不安社会を生きる」飯島裕一編著

世界でもトップクラスの長寿国でありながら、健康不安が増大している日本ですが、そこには巨大になった健康産業も大きく関わってきます。

このような「健康不安社会」の様相を、信濃毎日新聞社編集委員である編著者飯島さんを中心として各分野の専門家に取材し、紙上で連載されたものをまとめて本書としました。

 

健康不安社会を作り出している社会的雰囲気の基本から、様々な健康情報、そして医療分野の話まで広範囲なものとなっており、群馬大学の高橋久仁子さん、法政大学の左巻健男さんなど、馴染みの顔ぶれの記事も含まれていました。

 

香川大学の上杉正幸さんの話にあるように、「健康」というものに対する観念が徐々に移動し(させられ?)求められるレベルがどんどんと上げられているのかもしれません。

また、「健康でいる」ということは個人の問題であるのに、あたかもそれが当然の責任であるかのような言い方もされています。医療費増大を口実として使われることがありますが、実際はそこまで悪くないのに対処が必然のようにも仕向けられています。(メタボ問題)

 

北里大学新村拓さんは、健康が義務であるかのような風潮はナチスドイツや戦前の日本などの体制でも見られたもので、制定された健康増進法の危うさを語っています。

 

健康情報への対応で語られている上述の高橋さん、左巻さん、そして京都大学伊勢田哲治さんなどは、皆「科学を恣意的に歪めた商業化情報」の害を論じています。

マスコミを圧倒的な情報量で支配しているかのような健康産業ですが、そこから溢れ出してくる情報に対するのは難しいことかもしれません。

 

このような大きなテーマに取り組んだのは、さすが信濃毎日新聞と言えるかもしれません。

 

健康不安社会を生きる (岩波新書)

健康不安社会を生きる (岩波新書)

 

 

「本当のかしこさとは何か 感情知性(EI)を育む心理学」日本心理学会監修 箱田裕司・遠藤利彦編

人間の知性を測る方法としては、知能指数(IQ)がありますが、これは知性のごく一部のみを測っているにすぎないものです。

すくなくとも心理の働きとしては、感情と理性とがあるはずですが、その両方をつなぎ合わせるものとして、感情知性(emotional inteligence)というものが注目されるようになってきています。

現在、世界の心理学会ではEIについて様々な研究や応用が為されつつありますが、しかしそのEIというものが本当は何を意味するのかといった基本がきちんと議論を尽くされているとは言えない状況のようです。

 

本書はそういったEIをめぐる研究や議論の現状を整理して示すことで今後の発展を期するというものです。

そのため、編者の他に数名のEI研究者がそれぞれの専門分野の解説をしています。

 

EIというものの概念というものもはっきりと整理されているとは言えないようです。

IQの概念に含まれる言語的能力や論理数学的能力等の他に、対他的な能力(他者の感情や意図の理解能力)、対自的能力(自分の心的状態の確知、識別の能力)など人の心の全体的な賢さと言えるものがそれです。

また、知能論者スタンバーグは人の知能というものが分析的能力、創造的能力、実践的能力からなるとしていますが、その実践的能力というものがEI的なものであろうということです。

ただし、EI的能力ということについても、研究者の中で変遷が起きておりいまだ決まってはいないようです。

 

EIが能力であるというならば、それを測る方法というものがあるはずであり、色々と考えられています。

パフォーマンス法と自己評定法とがあるようですが、パフォーマンス法は日本ではまだ開発されていません。

自己評定法というものは、古くから性格検査に用いられてきたものと同様の手法で行われるようです。

こういった評価でEIが高いとされる人たちは、一言で言えば外向性、開放性であり、感情を動かした事物に対しての記憶が優れ、学業成績とも相関するようです。

 

EIはIQと異なり適切な方法で上昇させることができるようです。

小学生や中学生に対して、実験的なプログラム実施を行なっており感情のコントロールといった方向で向上することがあるようです。

また、こういった面で非常に問題のあるのが非行傾向のある青少年ですが、そういった人々に対する教育も研究されています。

 

ただし、やはりEI測定という方法には客観性の維持ということが問題となるようで、その方法論自体にまだ問題が残っているようです。

 

この本の記述は研究者それぞれの考えを示しているのでしょうが、やはりまだ発展途上の学問であるという印象が強いものでした。

IQだけでは人間の能力が測れないということは間違いのないことでしょうが、それを補う評価法としてEIが使えるようになるのかどうか、まだ分からないというところでしょうか。

 

本当のかしこさとは何か:感情知性(EI)を育む心理学 (心理学叢書)

本当のかしこさとは何か:感情知性(EI)を育む心理学 (心理学叢書)

 

 

「横浜黄金町パフィー通り」阿川大樹著

私は小説は原則として読まない、特に現代小説は。と言っていたんですがちょっと関わりがあって阿川大樹氏の「横浜黄金町パフィー通り」を読んでみました。

 

横浜の中区黄金町とは、京浜急行で横浜から逗子方面に3つめの黄金町駅周辺ですが、つい最近まで違法な売春地帯として有名だったところでした。

この本はその黄金町が住民たちの運動によって売春追放に成功するまでを、ドキュメンタリーではなくフィクションとして描いたものです。

あとがきにもあるように、「この物語は実在する町とその歴史を題材にしていますが、あくまでもフィクションであり、事実関係において必ずしも現実と一致するものではありません」ということです。

 

ただし、実際にこの町が違法売春地帯から抜け出したことは事実でしょうし、それがどの程度脚色されているのか少し分かりにくいものです。

 

導入部は、運動成功後に写真を撮るのが好きで町に訪れる女子高生を主人公としていますが、これは架空の人物だろうとは思います。

しかし、その他の登場人物である町の住人たちはモデルとなった実在の人物が居たのではないかと思わせるようなものになっています。

 

売春を稼業とする店は終戦後のドタバタに乗じて京浜急行のガード下に居座り営業を続けていました。

最初は日本人女性が主であったのでしょうが、その後はアジアからの出稼ぎ違法入国者によって続けられていました。

暴力団の資金源として使われていたようです。

それが、阪神淡路大震災の影響で京浜急行も高架線路の耐震工事補強をしなければならないということになり、ガード下の店も立ち退きを迫ることになりました。

それで、売春地帯も解消されるかと思ったら付近の住宅などを買い上げてそちらに移転して続けるということになってしまいました。

それで町を破壊された住人たちが追放運動を組織し、ちょうど行政側の動きとも一致して浄化に成功したというのがあらすじですが、それを架空の登場人物の物語として色々な方向から描き出しています。

 

違法営業店の追放には成功しても、それらの店舗は空き家のまま放置され、その人々や客を相手にしていた飲食店なども閉店を余儀なくされるなど、町の再生にはまだ長い時がかかりそうです。

 

著者が単なるドキュメンタリーではなくフィクションとしてこの物語を作り上げた趣旨は何だったのでしょうか。

やはり人の心の動きを活写するのはドキュメンタリーでは難しかったからでしょうか。

それが、単に売春店追放に成功して良かったというだけに留まらない地域の問題の描写にも表れているのかもしれません。

 

横浜黄金町パフィー通り (文芸書)

横浜黄金町パフィー通り (文芸書)

 

 

不毛なCOP23

COP23,国連気候変動フィジー会議といっても、フィジーでは会場も無いためにドイツで開かれているという会議が開かれています。

 

パリ協定の具現化を目指しルール作りを行うということですが、アメリカがしゃしゃり出てきて化石燃料の重要性をアピールするとか、なかなか方向性も見えないようなものでしょうか。

 

他にもこれに合わせて発表されたアピールで、石炭火力発電に力を入れる日本を非難したり、アメリカの連邦政府はもはや頼りにならないので州単位で参加したりとか、あまり実効性のある話が伝わってこないような程度のものになっているようです。

 

確かに気候変動はその影響が強く出ているようです。しかしそれが二酸化炭素による温暖化かどうかということはまだ結論は出せるものではないでしょう。

 

このような状況では、いくら気候変動の被害者(島嶼国、熱帯地方各国)がその危険性を強調したところでその望む方向に進めることはできないでしょう。

 

私の主張はこれまでもこのブログの「エネルギー文明論」で示していますが、現代の文明は石油などの化石燃料に過度に依存した文明であることを再認識し、そしてその化石燃料がいつまでも変わらずに供給できるものではないことを初認識し、その必然的な結論としてすぐさま化石燃料依存の文明をストップすべきだというものです。

 

これは、二酸化炭素による温暖化を避けようとする連中の主張と同じように見えるかもしれません。

しかし、そこには大きな違いがあります。

彼らは、「化石燃料の使用が二酸化炭素濃度上昇につながり、その結果として地球が温暖化し、その結果として気候変動につながり危険性が増すために化石燃料使用に制限をかける」という、非常に回りくどい論法を使っています。

 

私は、「化石燃料に依存する文明は間違いであるのですぐにやめろ」と言っています。

どちらがクリアか比べるまでもないでしょう。

 

二酸化炭素温暖化論者は、その科学的根拠の段階から立証に苦労しなければならなくなります。(まあ無理でしょうが)

そんな苦労はせずとも、化石燃料を使う事自体がいけないことだと言えば良いのに。

 

しかも、すぐにでも化石燃料依存の社会を作り出そうともせず、アメリカや中国の批判、日本の石炭火力発電批判など、他人の批判だけをするだけで、なぜ化石燃料依存文明の阻止に動こうとしないのでしょう。

車を使う社会の阻止、電気を使う社会を阻止など、アメリカや中国を批判する前にできることなどいくらでもあるはずです。

 

結局、彼らは二酸化炭素温暖化が気候変動の主因であることなど、自分たちも信じてはいないのでしょう。

そして、それをすぐにでも断つべき方策をすることもなく、アメリカや中国日本などを非難していれば良いと考えているのでしょう。

 

これだけでもCOP23の不毛であることは分かると思います。

「地球の履歴書」大河内直彦著

大河内さんの本は以前にも読んだことがあり、地球科学の分野以外にもエネルギー資源等の議論も肯ける論旨と感じました。

sohujojo.hatenablog.com

この本は統一したテーマというわけではなく、地球科学に関する様々な文を集めたというもののようです。

 

第2章で語られているのは、海底の地形についてのことですが、これが地球科学全体の見方にも影響を与えました。

海底がどのようになっているかということは、意外に新しい時代まで不明であったようですが、その探査の歴史もやはり戦争が絡んだ話です。

ソナーを用いた海底調査というものができるようになったのもその頃ですが、それでようやく海底にも巨大な海山があることが分かるようになりました。

ギヨーと名づけられたものは、かなりの高さがあるものの頂上が平らになっている盆状のものです。そして、それはほとんど西太平洋の深海に集中しており、さらに白亜紀にできたものであることが分かってきます。

サンゴ礁に由来する石灰岩は元々は浅い海にできたはずです。それが深海に沈み込んでいるということから、プレートテクトニクスにつながりました。

 

そのような石灰岩が大量に作られたのが白亜紀と言う時代でしたが、そこではそれと同時に石油の元となるヘドロのような有機物も大量に作られていました。それが石灰岩の蓋をかぶせられることによって熟成し石油になりました。

しかし、同時に1億2000万年前という時期には地球史上でもまれに見る大規模な火山活動が起きた時代でもあったようです。

通常はマントルはゆっくりと対流し地表からの熱エネルギー放射を引き起こしているのですが、それだけでは地中の深い部分の熱が徐々に上がってきてしまい、あるところで限界を越えて急激に膨張して地表に湧き上がってきました。

この時期に出来上がった火山性台地は、アメリカのコロンビア川流域やシベリア・トラップデカン高原のデカン・トラップなど大規模なものが世界中に広がっているということです。

 

海の水は地表の温度によって膨張したり収縮したりを繰り返してきました。

今からわずか2万年前、古代文明縄文時代の直前の頃には最後の氷河期でカナダやヨーロッパも厚い氷河に覆われていました。

実はその前の今から10万年前には現在と同じような温暖気候であり、海岸線も現在に近いものでした。

それが氷河期までに130mも海面が下がったことになります。

 

津軽海峡も陸続き、対馬海峡もわずか2kmほどの水路にまで狭まってしまいました。

このため、現在対馬海流と呼んでいる暖流は日本海に流れ込むことがなく、日本海の海水温も低下しました。

現在の気候で冬に大量の積雪を日本列島にもたらしているのは、日本海に温かい海流が入り込み大量の水蒸気を供給しているからです。したがって、氷期にはほとんど日本には雪は降らなかったようです。

 

それが温暖化に伴い海面が上昇していきました。それは今から14500年前のことです。

海面上昇のスピードは1年に5cm以上になりました。現代の急激な海面上昇といっているスピードのさらに20倍の速さでした。

実は、この現象は世界中で同時に起きていました。

すでに文明化の玄関に入り込んでいた人類には記憶を残す方法を持っている者もいました。

彼らが覚えていた、このような海面上昇が「ノアの洪水」のような洪水伝説として世界各地に残っているのではないかということです。

これは、場所によっては「ムー大陸」や「アトランティス大陸」の伝説となっている場合もあるのかもしれません。

 

あとがきには、著者は「いつの時代にも人類社会は近々破綻すると主張する論客はいたが、科学や技術の成長により回避された。今後も技術革新で乗り切れる」と論じています。

これは少々甘いのではと感じます。これまでも「エネルギー供給の縮小」ということは解決されていません。これがこれからの焦点ではないでしょうか。

 

まあ、この誤解をしている中には科学者でもほとんどの人が含まれますので仕方のないことですが。

 

地球の履歴書 (新潮選書)

地球の履歴書 (新潮選書)