爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1193 再び核兵器の恐怖へ

北朝鮮の核ミサイルの恐怖が現実のものとなるかもしれない状況で、賀茂川さんも取り上げています。

kamogawakosuke.info

日本でも核シェルターの販売が増加したとか。

米ソの冷戦時代の悪夢が再現しているのでしょうか。

 

ただし、賀茂川さんの指摘にあるように、当時のアメリカでは十分な設備を備えた核シェルターは政府要人のためだけ作られており、一般民衆の保護などまったく想定されていませんでした。

核攻撃を受けてシェルターに逃げ込むことができるのは特別のIDカードを持つ大統領はじめ米国政府のエリートたちだけであり、このシェルターにおいて政府機能を存続させていく計画である。核攻撃を受けたその他の国民は、広島や長崎で犠牲になった人々と同じ運命をたどる。これが米国政府の核戦争に対する準備なのである。民主主義国家において主権は政府ではなく国民にあり、法の下で平等な保護を受ける権利を持つ。基本的人権の擁護が民主主義国家の重要な機能の一つであることを考えても、アメリカは民主主義国家であるとは言えないだろう。

 

まさにそれがアメリカ民主主義の実態なのでしょう。

 

これを、スイスの実情と対比させています。

全国民のために核シェルターを持っているのがスイスである。永世中立国として自衛以外は戦争をする権利を持たず、他国が戦争状態にあっても中立を守るとしているスイスは、放射性物質から遮断するために、住宅、病院、学校、公共施設などに地下シェルターを造り、全国民の数を上回る人を収容できるようになっているという。

 

さらに、日本の状況はと言えば、

日本が攻撃を受けたら、政府は「国民保護サイレン」を鳴らして国民に知らせるという

これは、悪い冗談ですか。

 

別のニュースでは、自民党代議士が訪米しイージスシステムや新型防衛ミサイルの視察などをやっているそうです。

やるべきことはそんなところにはないでしょう。

 

 

夢の話「学園祭でボクシング試合」

またはるかに若い頃の出来事の夢です。

 

私はまだ大学生のようです。

学園祭が開催され、その中でボクシングのエキシビションマッチを主催することとなりました。

どうやら私が責任者のようですが、出場選手は同級生のようなイメージです。

会場設営などに大わらわなんですが、そのうちなぜか自分が出場しなければならない羽目におちいります。

開催時刻が迫ってくるのにどうしようどうしようという、いつもながらハラハラドキドキという夢になってしまいました。

 

 

実体験では、大学の学園祭というものには2回出場?しました。

3年生の時には模擬店で焼き鳥とビールの販売。

正門のすぐそばのスペースが抽選で当たったので、客が多く飛ぶように売れました。

4年生の時には金儲けには走らず、学科の連中と専攻に関連するテーマの発表、たしかガスクロを使わせてもらってコーヒーの香気成分の比較なんかをやったような記憶があります。

 

しかし、自分の身体の方はもう年老いて動きもおぼつかなくなっているのに、夢の中ではまだまだ20歳そこそこの身体です。いつまでもこういう夢をみるのか。

またいつものこの時期だけの「戦争反対」

一応、日本の称する終戦の日(これについても色々の議論があるそうですが)となり、戦争で辛い思いをされた方々についての報道など、例年通りにこの時期だけ満載です。

 

これについては、2年前にも記事を書きました。

sohujojo.hatenablog.com

簡単に「戦争をしてはいけない」なんて言っちゃって、大丈夫なのという思いでしたが、それは2年経ちさらに強くなりました。

 

明日にでも北朝鮮のミサイルが落下してくるかのような宣伝があちこちに流されています。

それに対して、防衛網構築と言う動きも強くなっていますが、これは一歩違えば敵基地攻撃と言う問題につながってきます。

もしも東京などにミサイルが命中すれば反撃をするということに抵抗を感じる人は少ないでしょう。

アメリカ軍がミサイルで反撃するかどうかは別として、日本の自衛隊も必ず行動を起こすでしょう。

 

しかし、「東京に命中」なら反撃に同意する人が多いでしょうが、東京落下途中に防衛ミサイルで撃墜できた場合はどうでしょう。

これでも反撃するでしょうか。

相模湾沖の太平洋にポッチャン」ならどうでしょう。

 

どうしても「戦争をしてはいけない」と言う思いが強いのならば、現在の北朝鮮とアメリカに言うべき言葉は数々あるはずです。

それをせずにただ制裁強化というでけでは北朝鮮を追い込んでいくだけです。

もしも、北朝鮮が「核武装国家として名誉ある処遇を受けたい」というのなら、それを飲んででも関係改善をはかるという道もあるはずです。

今のアメリカやそれに追随する日本の外交は戦争をしないという方向とは全く逆のようです。

 

外交の場でも、絶対に戦争を避けたいのならば「我慢に我慢を重ねて」行かなければなりません。

中国の春秋時代、晋の国を分割して領有していた趙の趙鞅は嫡子を廃し、妾腹で卑しい生まれの子どもの無恤を後継としました。その際に「よく社稷のために恥を忍ばん」(淮南子)と語ったそうです。

つまり、どれだけ侮辱され辱められようが、簡単に怒るようでは国を守っていけないということです。

国会の議論程度ですぐにカッとなるようでは全く不適任ということでしょう。

 

 

歴史に学ぶのは当然すぎるほど当然の態度であり、完全に誤った道をたどった満州事変から日中戦争、太平洋戦争への課程をよく学び、どうすればよかったのかをきちんと総括し国民全体で共有するというのが必要なことでした。

しかし、これまでそういったまともな対応をしたことがあったでしょうか。

 

「戦争はいけない」というのなら、なぜ戦争に向かっていったのか、国民はどのような態度を取ったのか、そういったことを思わねばならないのに、すでにそういったことを知っていた人たちはほとんど記憶を抱えたまま鬼籍に入ってしまいました。

わずかに残った人々は幼くして戦争の災禍にあった被害者だけです。

今から見直すのは非常に難しいことです。しかしいつかはやらなければならないことでしょう。

 

「日本を再生! ご近所の公共哲学」小川仁志著

著者の小川さんは商社勤務やフリーター、市役所勤務を経て高等専門学校の教授となったという、変わった経歴の方です。

現在は、高専で教えながら地域での活動ということで「哲学カフェ」なるものを開いて、自分たちの周囲に密接に関係のある問題を自ら考えるということを広める活動をされています。

 

本書第6章に触れられているように、現代はインターネットを使わない人は居ないと言えるほどネット社会になっていますが、そのために特に若者の間に「ネット頭」というようなほとんど自分で考えるということ無しに、全部ネットで検索して済ませようという人たちが増えてしまいました。

学校のレポートも「コピペ」で済ませようというのですが、さらにテレビを見るときもスマホでネットの書き込みを見ながらでないと番組を見ることができないという人も居るそうです。

 

このような「ネット頭」は確実に思考力を侵食しているとしか言えません。

そこで、自らの頭で考える「哲学頭」養成のために「哲学カフェ」という活動を始めたということです。

そこで考えることは、哲学という語感から思いやすいような「人間どう生きる」といったことばかりではありません。

地域社会をどうするかといった、身近な話題から考えていくことも哲学であるということです。

特に、著者の住む山口県などでも地方の衰退ということが大きな問題となっています。これに対処するように考えていくのも哲学だそうです。

 

もちろん、それらの問題に対しての解決策を討議するということもありますが、それ以上に狙いとしては「思考力の向上」「プレゼンテーション能力の向上」「コミュニケーション能力の向上」「哲学に関する知識の習得」「純粋に哲学を楽しむ」というものだそうです。

 

そのためか、本書前半に書かれているその討論内容と言える部分はややつながりがわかりにくいものでした。

「公と私は対立するか」「エリート民主主義は克服できるか」「共同体について」等々、これらも哲学カフェで取り上げられた討論内容であるならば理解できます。

 

最後に付録として「哲学カフェマニュアル」なるものも付けられています。しかしどうも著者の一番言いたかったところはこのマニュアルを活用し、哲学カフェをあちこちで開催してねということだったようです。

 

日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (生きる技術!叢書)

日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (生きる技術!叢書)

 

 

「吟醸酒への招待」篠田次郎著

吟醸酒というと、日本酒の高級なものといったイメージでしょうが、実際は正確な定義で決まっており、精米歩合吟醸酒では60%以下、大吟醸で50%以下というものです。

精米歩合というのは、原料米を精米した時の歩留まりで、60%と言えば元の米の40%は捨ててしまうということになります。したがって、米の外側のタンパク質などが含まれた部分は取り去り、中心部の糖質部分だけで醸造することになるため、特別な吟醸香という香りが着くという性質があります。

 

この本は1997年の出版で、その頃にはかなり吟醸酒などの高級日本酒というものの認知度もあがってきた頃でした。

しかし、そのような傾向になったのはさほど古いことではなく、かつては物好きの道楽のように見られていた時期もあったのです。

 

著者はそういった昭和40年代に吟醸酒というものに触れる機会があり、それに惚れ込み、周囲の人たちも巻き込んで行ったという、吟醸酒ブームの火付け役のような人だそうです。

実は、酒造関係者というわけではなく、建築家で酒造会社の蔵の建築や補修などを請け負って仕事をしていた関係で、酒造会社の秘蔵の酒というものを飲む機会もあり、そこで吟醸酒を発見したということです。

 その後、吟醸酒を楽しむ会というものを1975年に立ち上げファンを増やす活動をされてきました。

 

本書はそういった背景から、吟醸酒というものが無に等しい状況から徐々に拡大し市民権を獲得し、さらに広がりを見せるといった状況を非常に細かく記述されており、プロが書くより相応しかったかもしれません。

 

歴史的なことはとても一言でまとめられるものではなく、できれば本書を見ていただきたいところです。

 

この本が出版されてからすでに20年が経過しており、吟醸酒などの高級日本酒はある程度の市場の賑わいがある一方、普通酒という領域では果のない縮小が続いているようです。

まあ、元々日本酒というものは、安いものではなく、誰でもふんだんに飲めるわけでもなかったのですから、本来の姿に戻っているのでしょう。

 

ただし、この本の記述はやや過剰で贔屓の引き倒しという面もなきにしもあらずというところが見えます。

 

吟醸酒への招待―百年に一つの酒質を求めて (中公新書)

吟醸酒への招待―百年に一つの酒質を求めて (中公新書)

 

 

 

「デフレの正体 経済は〈人口の波〉で動く」藻谷浩介著

経済学者ではなくエコノミストですが、なかなか面白い見方をされている藻谷さんの、やや以前の2010年出版の本です。

 

一言でいえば(とあとがきに書いてあります)この本に書かれていることは、

経済を動かしているのは、景気の波ではなくて人口の波、つまり生産年齢人口=現役世代の数の増減だ。

ということです。

当然のように、これは通常の経済人の常識と大きく異なりますので、出版後には相当な反発も受けたようです。

 

また、本書記述もその主張を裏付けるための根拠を証拠とともに示すということが主になりますので、私のようにこういった主張がすぐに頭に入るような者にとっては、ややくどく感じるものでもありました。

しかし、ガチガチの経済人にとっては何度読んでも頭に入らない(入れたくない)ものかもしれません。

 

 

日本経済は停滞していると言われています。

それは、中国などとの国際競争に負けたからであるというのが通説ですが、それは違うということです。

自動車の国内販売台数が減少しているのは事実ですが、それを「若者の車離れ」などと解釈しています。

自動車会社の人も言っているように「外国での車販売は景気に連動するが、日本国内販売は景気に全然連動しない」ということです。

 

実は他の数値を見ても同様です。関係ないように見えるかもしれませんが、小売販売額だけでなく、国内輸送量や一人あたり水道使用量まで減少しています。

これらの数値は、本当は関係している日本人の数が非常に多い(ほとんどすべて)数字です。

これらの数字を問題にせず、景気を論じるのに使っているのは「有効求人倍率」や「失業率」の数値なのですが、これらは実は日本人全体のほんの数%にしか関わりません。

 

また、地域間格差ということが強く言われていますが、これも実際の数字を検討してみると、まったく違う印象を得ることができます。

「県民所得」などという、マクロ指標を使えば地方は非常に低いから経済が停滞していると見られるのですが、小売販売額や個人課税対象所得額といった、実数を扱う指標を見てみると、意外に地方の方が堅調で、逆に東京都市圏の方が危ないというところが見えてきます。

とはいえ、青森県の例を見ても地方はやはり相当衰退しています。ただし、それが「首都圏の成長」につながっているのかと言えばそうではなく、東京などの状況はさらに危険であると言えるようです。

 

これは、結局は地域間格差などで説明できる話ではなく、日本全体が内需不足に陥っているということなのです。

 

その理由としては、「現役世代の減少」が一番関与しているというのがこの本の主張です。

総人口と生産年齢人口(15-64歳)の動向を詳しく見ていけばそれが理解できます。

地方はその両方が大きく減少しているのは確かです。そのために内需が大きく落ち込み経済も衰退しています。

しかし、首都圏にその生産年齢の現役世代が流れ込み、増加しているかというとそうではありません。

2000年から2005年の間に、現役世代と総人口がどのように増減したのか。

実数で現役世代減少がもっとも多かったのは大阪府だったそうです。その次が北海道、次が埼玉、兵庫、千葉と続きます。実は都市部でも現役世代は減っているのです。

東京はかろうじて現役世代が1万人増加しました。しかし、その期間に実は高齢者は39万人増加しているのです。

 

その後、さらに団塊世代の高齢化が進み、現役世代に対する高齢者の増加はより激化しています。

それが、特に首都圏で大きいということです。

 

このような、消費力旺盛な現役世代がどんどんと減っていることが内需縮小の原因であり、一見好景気と見えても本格的に回復しない要因なのです。

 

人口減少は紛れもない事実ですから、その対策というのも考えられています。

しかし、それらも大きく的外れというものが多いようです。

 

人口減少は生産性上昇で補えるという思い込みも強いようです。

しかし、「生産性」というものが「付加価値額」を「労働者数」で割ったものであるということを忘れているため、生産性を上げるために労働者を減らすと言った本末転倒の対応がなされてしまいます。

本来は、付加価値額を多く上げる産業が育成されることが、内需拡大につながるはずです。

しかし、付加価値額が多い産業というものが何かを間違えています。サービス業(労働者数が多い)が一番付加価値額が多く、自動車などのハイテク産業は逆に低いのです。

 

生産性向上のために労働者減少、労働時間延長といった方向に走る場合もあります。

しかし、その「労働時間」というものは、その労働者にとってみれば決まった「総時間」から生活のための時間や、そして一番重要な「消費のための時間」を引いたものなのです。

労働時間が延長されれば「消費の時間」は削られます。いくら金を稼いでも使う時間がないということにもなりかねません。事実、高収入労働者はこういった状況になっているようです。

 

人口が減っているのだから「出生率上昇」という直接の対策をしようという人も居ます。

しかし、これは今日取り掛かったとしても効果が出るのは遥かに後の話です。とても間に合いません。

また、「外国人労働者受け入れ」で乗り切ろうという話も出ます。

団塊世代の労働者だけでも1000万人以上います。これを乗り切るためにそれだけの外国人労働者を受け入れることができるでしょうか。まったく桁が違う話です。

 

実は人口減少はアジア全体の話です。日本になど来てくれる労働者は居なくなるかもしれません。

中国でも上海では出生率が0.65、日本よりはるかに低い値になっています。

インドはまだ減少に向かっていないように見えますが、これも今後は減少するでしょう。

 

著者が提唱する対策は次のものです。

☆高齢富裕層から若者への所得移転を進める。

高齢者といっても貧困層は別です。富裕層は使いみちがなく貯め込んでいます。これを使わせる方向に持っていくことが重要です。

☆女性の就労と経営参加を進める。

専業主婦の4割が働けば団塊世代労働者の退職を補えるそうです。

外国人労働者ではなく、観光客増加を目指す。

国内で消費する人を増やすということです。

 

こう見てみると、書いてある内容にはまったく間違いなく見えるのですが、これでも普通の経済人(学者、エコノミスト、財界人)にはまったく受け入れられないもののようです。

それが不思議。

 

デフレの正体  経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

 

 

 

「面白くて眠れなくなる元素」左巻健男著

PHPエディターズ・グループより出版されている「面白くて眠れなくなる」シリーズは相当数になりますが、左巻さんはその幾つかを担当されているようです。

 

これは、「元素」それぞれについて幾つかのエピソードを書いていくというもので、まあ「眠れなくなる」ほどではありませんでした。

 

化学物質なんていうと何か怖ろしいもののように感じる人もいるかもしれませんが、動植物や天然物など含めてもすべては元素からできています。

その一つ一つの元素について、語っているのですが、長いものでも水素で9ページ、短いものはウラン以降の人工元素で1行(114 Fl フレロビウム 人工元素 と言った調子)

よく知っている元素では物足りず、知らない元素はどうでも良い?、程度の記述といったところでしょうか。

 

それでも数々のエピソードの中には今まで知らなかったこともいくつかありました。

 

フッ素Fは酸化作用が強く猛毒ですが、これは「電気陰性度」が最大であるからだそうです。

ほぼすべての元素を酸化してフッ化物を作り、希ガスのキセノンやクリプトンとも化合物を作るそうです。

そのため、初期にフッ素について研究を始めた科学者たちは中毒にかかり死亡してしまいました。イタリアのボルタやアイルランドのクノックス兄弟も中毒になったそうです。

 

硫黄Sはいろいろな植物などにも含まれ、独特の臭いの元にもなっていますが、実は硫黄自体は無臭です。よく、温泉などで「硫黄の臭がする」というのは硫化水素の臭いです。

また、硫化水素の臭いを「卵の腐ったような臭い」と表現しますが、「卵の腐ったところ」を実際に見た人がどれだけ居るでしょうか。

著者はこれは「固茹で卵の臭い」と表現すべきとしています。ごもっとも。

 

鉄Feは言うまでもなく広く使われていますが、不純物が通常は0.1%以上含まれています。

これを純度99.999%以上にまで精製するということが、1999年に東北大学の安彦さんにより成功しました。

この超高純度鉄は希塩酸にはほとんど溶けません。酸への耐食性が10倍以上高くなるようです。

また、一般の鉄より可塑性が高くなり、この可塑性は液体ヘリウム温度でも失われないそうです。

 

まあ、こういった本で化学を好きになる人が増えれば良いけど、元々好きな人じゃなきゃ読まないかな。

 

面白くて眠れなくなる元素

面白くて眠れなくなる元素