爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「詩経 中国の古代歌謡」白川静著

白川静さんといえば字統、字訓といった漢字学の集大成の著書で有名ですが、中国の古代の歌謡の記録である詩経の研究もされています。

 

この本は、中国古代でも氏族制社会が崩れていく中で多くの詩が作られ、そしておそらくは声に出して詠まれていたということを、ちょうど社会の動きとして極めて類似している日本の万葉集と対比させて解説しています。

 

中国で詩が作られたのはおそらく周王朝の前半でしょう。当時はそれまでの氏族制社会が徐々に王朝を中心とした社会に変化しているところでした。

それは、個人の感情を歌うものではなく、氏族の祭祀のためのものであったそれ以前の詩というものが、民衆というものの成立とともに個人にまで降りてきたというものだったのかもしれません。

 

しかし、周王朝も一旦滅びたあとに東遷したころから春秋時代と呼ばれる諸侯の国の並立する状態に移行すると、盛んに国同士の外交といったものが盛んになります。

その場で、外交交渉の手法として使われるようになったのが詩というものでした。

これに通じた者のみが貴族的教養を持ち外交者として適任であると言った価値観が形作られるようになると、詩本来の意味を考えること無く教養を表す手段としてのみ使われるようになってしまいます。

 

ここで、中国古代の詩という文学作品は大きく変質してしまいました。

 

さらに儒教集団に取り込まれ、「詩経」という「経」扱いをされるということにもなってきます。

その中で、詩というものの内容の解釈も、社会的、政治的意味合いを持つものであったというような強引な解釈法が横行するようになっていきます。

 

こういった解釈法を「美刺(びし)」と呼ぶそうですが、この観念が漢時代ころから広く通用した詩経学でした。

漢代にはその直前の大乱からの回復のために様々な古典の調査や整理が行われたのですが、その一環として詩経も多くのテキストが整理されました。

その中でも後漢の毛亨のまとめた毛伝というものが詩経学の主流になったそうです。

しかし、これも数々の国々の説話と詩篇とを結びつけて牽強付会の解釈を与えたものでした。

 

そういった古典的な解釈にやや疑問が出されたのは、ようやく宋代になってのことでしたが、それも不十分なもので、詩篇の文学的な内容まで問題にするようになったのは、ようやく新中国になってからのことでした。しかしそれらもまだまだであると著者は判断しています。

 

この後、この本は詩経の中の詩を取り上げてそれがどのような成立条件のもとで出来上がってきたのかということを分析し、さらに万葉集の歌と比較して論じていきますが、多数になりますので詳述は避けます。

 

一つの例のみ。

周南の「巻耳」(けんじ)という詩は美しいものとして知られています。

采采巻耳 不盈頃筐

寒嗟懐人 眞彼周行

と始まりますが、「はこべ」の類の草を摘んでもなかなか籠にいっぱいにならない。

ようやく摘み終えたものを、征人として出征している夫の無事を祈って道に置くというものです。

 

このような風習は万葉集にも多く見られ、

難波辺に人の行ければおくれ居て若菜摘む児を見るがかなしき

という歌にも詠まれているように、女が男に会えるような祈りを込める行為であったようです。

 

詩経―中国の古代歌謡 (中公文庫BIBLIO)

詩経―中国の古代歌謡 (中公文庫BIBLIO)

 

 

私が詩経というものについて知りたいと思ったのも、春秋左氏伝や史記などを読んでいるとあちこちに教養ある貴族がその知識を見せるために詩篇を詠じるという場面が頻出するため、その中味がどのようなものかということを見たいということからでした。

しかし、どうやらそういった詩篇の利用というものは、白川さんに言わせれば間違いであったということのようです。

 

脱エネルギー社会の構築に向けて(2) 自動車社会の解体の現実

話を続ける必要上、自動車社会解体のために石油燃料車の使用禁止に向けた政策を考えるという方向で書こうとしたら、イギリスやフランスでガソリン車使用禁止という話が飛び込み驚きました。

 

news.yahoo.co.jpこれは先を越されたかと思って少々焦りましたが、まあ私の考えとはそこまで重なるものではないようです。

とはいえ、ヨーロッパ先進国ではそういった政治的方向性を確実に検討しているわけで、自動車の経済効果だけを考えている日本政府やアメリカトランプとは大きな差が生じているのは間違いなさそうです。

 

それでは、どこが違うかを見ていきましょうか。

 

イギリス・フランスは2040年までに電気自動車化を進め、その年にはガソリン車・ディーゼル車の販売を禁止するということです。

つまり、社会構造の変革といった根本改造を政府として主導するということは考えず、あくまでも電気自動車代替を進める中で社会の変化も促すということでしょう。

 

私の考えでは、これは非常に難しいものと思っています。

電気自動車は今はまだ非常に微小と言えるほどの規模しか占めていません。

ガソリン車は今では様々な資源の搭載を行なっているとは言え、基本的には鉄だけで作られるものです。だからこそ現在のように数億台の自動車が地球上に氾濫することになりました。

しかし、電気自動車には鉄以外にどうしても避けられない蓄電池というものが必要になります。

これに鉛を使うか、リチウムを使うか、さらに別の資源を使うかはわかりませんが、いずれにしても大量の資源が必要となります。

これが現在のガソリン車と同数の電気自動車の分だけ供給できるのか。

また、現在では電力供給も問題とはなっていませんが、将来仮に自動車がすべて電気自動車となった場合に電力は大丈夫なのか。これも現在のままごとのような電気自動車使用状況とは異なってきます。

私は完全には代替は不可能と考えています。

 

つまり、「自動車の総数」というものがかなり減少する状態で、ガソリン車禁止ということをしなければならないということです。

あと、20年余りでそのような状況に対応できるような社会変化が「自然に」起きるでしょうか。

 

ここはやはり「社会変革」を最初から主たる目標とするべきでしょう。

つまり、自動車総数を相当減らすことを前提とし、それでも動くような社会に変えていくということです。

これは事実上、「自動車社会の解体」ということになるはずです。

 

私の考えでは、「ガソリン車販売禁止」などという野蛮な手法は取りません。

やるべきことは、ガソリン等化石燃料使用車に対する高額な税金賦課です。

その具体的数値はまだ算定できませんが、ガソリン税だけでも数十倍、その他自動車保有税、道路使用税等といった負担をしていただければ、走行自体を禁止することはないでしょう。

そして、それらの税金を用いて大規模な公共交通の整備を行うわけです。

 

その公共交通体系の再構築というものが、何度も書いているように「脱自動車社会の構築」というものにつながっていくわけです。

 

(続く)

またも「政権受け皿談義」

日曜の朝、のんびりしながら(まあ毎日のんびりですが)テレビなど見ていると、いつもの放談番組で「政権受け皿」談義です。

 

いよいよ安倍政権も先が無くなったと見えてきたのでしょうか。遅すぎるのですが、ようやくというところでしょう。

 

しかし、ここで「受け皿」とはなんでしょう。

安倍政権もデフレ対策や経済成長戦略では良かったけれど、政治姿勢が悪すぎるからそこだけ清潔な政治家に任せようとでも言わんばかりの様子でした。

 

「受け皿」論については、東京都議選が終わったあとに書いています。

sohujojo.hatenablog.com

確かに、安倍内閣の数々のスキャンダルはこれまでの歴代内閣と比べてもその質、量ともに群を抜いたひどさですが、しかしあの政権の一番のひどさはその看板政策のアベノミクス・デフレ対策等々であるということはこれまで何度も書いてきました。

 

年金資産などの国民の財産を株式などに投資し株価を釣り上げ、まぼろしの株式市場上昇を作り上げて景気回復のイメージを上げて支持率を上げ、本当にやりたい憲法改悪、安保法制整備などに邁進するという悪辣ぶりでした。

 

ここをきちんと取り上げて批判し、政権を葬るというのがまともな道でしたが、それができないまま結局は政権自滅のスキャンダル待ちでしかありませんでした。

 

ここでスキャンダルは批判し政権交代を唱えても、根本の間違いを論じないまま「受け皿」などと言い出しても、安倍亜流を作り出すだけです。

 

形ばかりの安倍批判にも目をくらまされることなく、本当に日本の将来を考えていく必要があります。

(「日本の将来を考える人を選ぶ」ではありません。自分のことなんだから自分で考えろということです。)

 

その点、もし参考になれば私の「脱エネルギー社会実現」という記事も読んで下さい。

「九州男児の解説書」九州男児を愛する会著

まあ、まったく他愛のない内容の本でして、出張帰りの新幹線などでビール片手に読むのに最適といった本でしょう。

ただし、そのわりには税抜き1000円というのはやや高めかも。

想像ですが、この本は博多駅福岡空港の売店で売ることを想定していたのでは。そこで東京や大阪に帰るサラリーマンたちが購入、読みながら博多の出張先で出会った連中のことを振り返ったりして。

 

生まれも育ちも他地方でありながら、たまたま就職したのが熊本の会社というので赴任して以来数十年。周りのほとんどを九州男児に囲まれて暮らしている私にとっては、「九州男児」というものは見えるようで見えない、感じているようでそうでもないという、矛盾に満ちた存在です。

 

まあ日本の他の地域の方々がイメージされているような「九州男児」像というものはほとんど間違いと思いますが、さてこの本ではなんと書いてあるのでしょう。

 

☆「思いついたことはすぐに口に出す」だそうです。

これはそうかもしれません。九州男児ではありませんが、完全な「九州女子」であるうちの家内など完全にこれです。

 

☆「運動会の騎馬戦はガチンコ勝負でないと燃えない」

これは最近はやりづらいのでしょうね。しかし、運動会の異様な雰囲気というのは他の地方とはやはり違うのでしょう。ひしひしと感じました。

 

☆「男女平等っていまひとつピンとこない」なんですが。

実は、形の上では家庭内でも女性差別とみられることは多々あると思います。

しかし、実質的には完全女性上位であることが多いようです。

 

☆「基本的に人の話は聞いていない」

という人が私の周囲にも多々見られるようです。これも当たり。

 

☆「東京にはジョイフルがなくてびっくりした」

ジョイフルにはたびたびお世話になってます。

 

なお、最後にまとめてある「九州男児データ」では、自己破産率の都道府県別順位の1位から10位までの中に高知・北海道・山口を除きすべて九州でした。

また、離婚率も宮崎4位、福岡5位など上位に並んでいます。

あまり、先のことを考えないのは確かでしょう。

 

まあ悪い人はあまり居ないんですけどね。

「ご飯のおかず」と「酒の肴」

時々見に行く新聞社のネットサイトで、女性がよく書き込む掲示板があるのですが、(読売新聞発言小町)そこに興味深い話題がありました。

 

それは、「コロッケはご飯のおかずじゃないの」というものでした。

 

書き込んだのは若い奥さんのようですが、手作りのコロッケにソースをかけてご飯を食べるのが大好きということです。

しかし、それに対してご主人の母親が「コロッケなんてご飯のおかずにならない、酒のつまみだ」と言ったとか。それにショックを受けたその方は、そこで皆さんのご意見を聞きたいということでした。

 

まあ、「ご飯のおかず」と「酒のつまみ」にすべての料理が二分されるわけでもないと思いますが、この区分けというのは各家庭の食習慣によるものでしょう。

 

それも、「生まれ育った生家の食習慣」によるのではないかと思います。

 

そもそも、酒を全く飲まない家庭というのもあります。こういう家庭では作られる料理はすべてが「ご飯のおかず」であるはずです。

 

実は私の生家もこれに近いものでした。

父は酒はよく飲んでいたのですが、平日はほとんど会社の接待で外で飲むため、家ではほとんど飲みませんでした。

もちろん、定年退職後家にいるようになったら家庭で何かをつまみに飲むようになりましたが、それは私が就職して家を離れた後ですので、どういったものを食べたのかもよく知りません。

それ以前、学校時代に生家に居た頃はどんな料理も必ず「ご飯のおかず」でした。

そのため、逆に結婚後は「何でも酒の肴にもご飯のおかずにもなる」という感覚です。

 

一方、私の家内の実家では、父親が必ず毎晩の晩酌を欠かさなかったようです。それもほとんどが刺し身で晩酌というもので、そのためか家内は結婚30年以上たった今でも「刺し身でご飯は食べられない」と言っています。

「刺し身は酒の肴」という観念が頭の中に強く刷り込まれてしまっているようです。

また、「米の入っている料理では酒は飲めない」という感覚も強いらしく、私などは炊き込みご飯やパエリアなどでは十分にお酒を楽しむことができますが、これが苦手のようです。

 

食習慣というものは、一つ間違えれば生活習慣病の原因ともなるものですから、気をつけなければいけないのですが、そこまで行かなくても様々な問題を引き起こすようです。

 

なお、「ご飯のおかず」にも「酒のつまみ」にもしにくいというものがありまして、私の場合”ホワイトシチュー”がそれです。これはパンと一緒に食べるしか無く、ご飯にも合わず酒にも合わないという感覚です。これはちょっと別問題。

 

脱エネルギー社会の構築に向けて(1) まず進めるべきは自動車社会の解体

これまでも現代のエネルギー依存文明から脱却し、脱エネルギー社会を構築する必要性については何度か書いてきました。

 

エネルギー消費量半減のための社会改革 1- 爽風上々のブログ

私の目指す日本 政治とはそれを作り出すもの - 爽風上々のブログ

 

その最大の理由は、エネルギー供給の不安が存在する中では、最悪の状態にでも対処できる方策を取ることがもっとも安全であるからということです。

すなわち、石油などの化石燃料が供給減少に向かう可能性があり、しかも自然エネルギー(この名称は本来は使えませんが)の供給力開発が間に合わない場合は、世界全体を巻き込んだエネルギー争奪戦になる危険性が高く、その場合に脱エネルギー社会に移行できている国や地域は相当有利な地位を保てるからです。

 

もちろん、化石燃料が供給不足になるのはまだ遠い将来にまで伸びるかもしれませんし、それ以前に別手段でエネルギー供給源開発が進むかもしれません。

しかし、そのような僥倖に国の安全を賭けるわけには行きません。あくまでも最悪の状況にでも対処できる方策を取るべきです。

 

また、これを少しでも早く取り組むかどうかが、もしかすると今後数百年間の国の運命を決めることになるかもしれません。

 

ちょっと太り過ぎてダイエットという人は多いでしょうが、この原則として「太った年月と同じくらいのペースで体重を落とすこと」ということがあります。

1年で3kg太ってしまったとしたら、3kg落とすのに1年かけなければいけないということです。

もし、そこら中に蔓延しているCMのように「3週間で10kg減量!」なんていうことをしたら身体に悪いに決っているからです。

 

それと一緒です。ここまで社会全体が石油などの化石燃料依存に陥ったのには少なくとも100年以上の年月がかかっています。

これだけ社会の隅々まで変化させた構造を作り変えるには、同じ年月すなわち100年かかることも覚悟しなければならないでしょう。

だからこそ、今すぐ取り掛からねばならないのです。それでも遅いかもしれません。

 

 

 それではどこから取り掛かるのか。

 やはりここは「自動車社会」の解体ということが必要になってきます。

 

2011年のエネルギーフロー概要を見てみましょう。(資源エネルギー庁HPより)

 

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石油はエネルギー源としてはいまだに非常に大きな部分を占めていますが、その多くは輸送用燃料として使われています。

民生用、産業用エネルギーでは電力使用が多いのですが、これは天然ガスや石炭由来のものが多くなっています。

 

化石燃料削減といっても、もちろん一番急ぐべきは石油依存からの脱却です。そして、今一番石油に依存しているのは文句なしに輸送、すなわち自動車でしょう。

 

そして、それを実施するためにもっとも大きな障害は現代社会が「自動車完全依存社会」であるからです。

私はこれまでも現代文明が「エネルギー依存文明」であると言い続けてきました。

そのもっとも明確な側面がこの「自動車完全依存社会」なのです。

直接的に、自動車メーカーや関連会社、運送会社等に勤務する人はその家族だけでも日本国民全体の数割という割合でしょう。さらに車に依存して業務を行っている人たちはそればかりではないでしょう。ほとんどすべての人が車に依存して生きている社会が日本なのです。(日本だけじゃないけど)

だから、いくら事故での犠牲者が出ても車社会をどうにかしようなどと言えるはずもありません。共同正犯や従犯でしかない、アルコールや認知症てんかん、などに罪を着せるばかりです。

 

これを変えようとしたら、現代社会を根底から変えていく覚悟が必要です。

これまでどおりの社会ではありません。しかし、それが必要なことなのです。

 

 (この項目、しばらく連載します)

 

「日本史の一級史料」山本博文著

著者は東京大学史料編纂所教授で、近代史を専門に史料を丹念に掘り起こし研究を重ね、著書も数多く出版されています。

 

「一級史料」といってもどれが一級か二級かという定義もないのですが、しかし、これまでの歴史通説に変更を加えさせたという史料は確かに「一級」といっても差し支えないものでしょう。

 

この本は著者がこれまでの歴史研究の中で出会ったそういた「一級史料」を紹介するために書いたということです。

 

「一級史料」というのはあくまでも主観に基づく価値観ですが、「一次史料」というのは決まっています。

書かれている事柄の当事者やそれに近い人が実際の見聞きしたものを自ら書き残したものといえば良いのでしょうか。

こういったものは、日記などの記録として残っているものが多いようです。

 

宮本武蔵といえば数々の挿話が知られており、映画やドラマにも何度も取り上げられている歴史上の有名人ですが、実は確実な「一次史料」というものはほとんど残っていません。

武蔵の養子の宮本伊織が福岡県小倉に建てた石碑と、武蔵の著書とされる「五輪書」の一部だけです。

ただし、これらも「一次」とは言えずせいぜい「良質な二次史料」程度のものです。

 

その一方、忠臣蔵として知られる赤穂事件については、それに関する一次史料が豊富に残されています。

これは、事件発生当時から世間の注目を集めるものであったために、周囲の関係者もその記録を書き残すことが多かったためです。

ただし、内匠頭切腹の際の状況や辞世の句を書き残した、幕府目付の多門伝八郎という人が残したものは、書かれた日時が切腹直後でなく浪士たちが討ち入りを果たした後であるということで、内容が真実そのものかどうか疑問が生じる点があるそうです。

 

東京大学史料編纂所というところは、寛政時代に幕府の和学講談所として開設されたという、日本一古い歴史を持つ史料研究所ですが、それでもそこに収められた史料だけを研究するのではなく、広く全国に史料探索の活動を常に実施されているそうです。

 

著者もずっと毎年各地に史料探索に出かけたのですが、その中で超一級と言えるものが、江戸時代の萩藩関係の史料の「毛利家文庫」のうち、江戸時代初期の留守居役福間彦右衛門の日記、「公儀所日乗」というものだそうです。

これで、三代将軍家光の時代の幕府と大藩の関係がかつてないほどの密度で研究できるようになったということです。

 

また、薩摩の島津藩も様々な文書を保存していました。

その中に、文政2年に薩摩藩大御隠居の島津重豪江戸城に登城し、将軍家斉に拝謁した時の「将軍の言葉」が残されていたそうです。

重豪は当時79歳、ですが藩主島津斉興の後見を勤めており、さらに将軍家斉の岳父にも当たるという重要人物でした。

その場で、家斉からねぎらいの言葉をかけられたのですが、老人でもありその言葉が上手く聞き取れなかったそうです。

そこで、老中に「無理を承知で頂いた言葉を書付にしてくれ」と申し入れ、老中も仕方ないかと将軍に許可を取り、そこで前代未聞の「将軍の言葉の書付」が渡されたとか。

 

いや、歴史と言うものは本当に面白いものです。

 

日本史の一級史料 (光文社新書)

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