爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「右翼と左翼」浅羽通明著

右翼と左翼という言葉は、現在でも度々聞かれます。

最近ではカタカナで「ウヨクとサヨク」などと書かれることも多いようですし、派生して「ネトウヨ」などと使われることもあります。

しかし、実際に「何が右で何が左か」ということはそれほどはっきりとしたことではありません。

 

これがフランス革命当時のフランスの議会から起こったということは、知識として知っている人もいるかもしれませんが、事はそう簡単なものではないようです。

ヨーロッパやアメリカを始め各国でも「右・左」という分け方がされる場合がありますが、例えば北朝鮮はどちらでしょうか。中国が共産党を中心に統制を強める政策を行なったら「右傾化」でしょうか。そうは言わないようです。

 

というわけで、著述家の浅羽さんが誰にでも分かるように解説しました。何故かと言えば、専門の政治学者などはこういった本を誰も書いていないからだそうです。

 

かつては右左というものが分かりやすかったように感じられた時代もありました。

共産主義社会主義が左、だからソ連や中国は左、対するアメリカは右。

そこから派生し、右と左で対立させて表現すれば、

右は 保守的、軍国主義再軍備、暴力、九条改憲、体制的、与党、民族

左は 革新的、平和主義、非武装、話し合い、九条護憲、反体制的、野党、市民

 

といったものだったようです。

しかし、このような対立軸があったとしても、そもそも数直線のように表せる尺度なのでしょうか。

上記の例も少し突っ込んで考えればすぐにおかしいことがわかります。

左が平和主義といっても左の本尊のソ連は強力な赤軍を擁し、世界一の軍事大国でした。

実は左が平和主義というのは、ごく限られた状況だけで生まれたものだったのです。

 

しかし、辞書辞典類などを参照し整理してみると、最低限の定義のようなものは見えてきます。

「左・左翼」は、人間が本来「自由・平等」で、「人権がある」ということを世に実現しようとします。

「右・右翼」は、「伝統」や「人間の感情、情緒」を重視します。ここで、保守すべき「歴史や伝統」は各国、各民族で独自のものとなるので、どうしても「国粋主義」「民族主義」となり、「左翼」の国際主義・普遍主義とは対立します。

 

 本書はこのあと、フランス革命後の議会の状況から始まり、19世紀のヘーゲルマルクスの議論、共産主義出現からのナショナルとインターナショナルなどを論じ、ついで日本の戦前から戦後にかけての右と左を解説します。

この辺のところは詳細なものであり、知識として知っていれば相当なもの?かもしれませんが、略します。

一つ覚えておいたほうがよいのは、「日本には王党派という本来の右翼は存在しなかった」ということ。もう一つは、「日本では革命的・急進的民族主義者が右翼となった」ということでしょうか。

 

さて、太平洋戦争敗戦後の日本では、それまでの権力内右翼というものは存在を許されず反体制に押し出されました。

また共産党のような戦前は非合法だった左翼が合法化されました。

そのため、全勢力が一歩ずつ左にずらされたということができます。

 

また、戦後すぐにはアメリカ占領軍は日本の軍事体制からの解放軍と見られたために、共産党も一時はアメリカを歓迎したのでした。

しかしその後冷戦に移行するにつれさすがにアメリカは敵と気づきます。

そして昭和25年前後から戦後日本の右・左の図式は新たな状況に入ります。

それは一言で表せば「右・対米従属と再軍備と九条改憲」「左:中立と非武装と護憲」というもので、それが長く続くことになりました。

 

しかし、その双方ともアメリカの傘の下、甘さの目立つものでした。

左翼の甘えは、革命戦争というものを避けて非武装中立に逃げ込んだものです。これが日米安保体制の中での議論であるにも関わらず、ということです。

 

右翼の甘えは、国粋主義を表向き唱えても、実際は対米従属でしか居られなかったことです。本来は自主憲法を制定したら堂々と日本軍を再建しようというはずのものですが、右翼の中にもこういった論議をした人はほとんど居ませんでした。

 

ソ連崩壊による冷戦終結はこのような右翼左翼の対決を変化させたのですが、右翼が勝利とも言えません。

どちら側も焦点を失いぼんやりとしてきたようです。

「自由と平等」という思想であったはずが、各地で宗教原理主義民族主義の台頭にあっています。

本来は「自由と平等」はその当時圧倒的だった「帝国」に対抗して出現しました。しかし、現在は宗教原理主義民族主義を抑えるために帝国が必要になっているのかもしれません。

 

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

 

 いや、難しかった。あまり手軽に「右翼・左翼」なんて言えないようです。

 

「年代で見る 日本の地質と地形」高木秀雄著

日本列島は火山や断層の上に乗っているようなもので、地震や噴火の脅威を常に受け続けているようなものですが、それらは非常に美しい風景ともなっており、観光資源としても重要なものです。

 

地球の歴史の中で生まれてきた地質や地層などの典型を見られるという意味で、ジオパークというものを定める活動が行われており、2017年1月時点で国内ジオパークは43地域選定され、そのうちユネスコ世界ジオパークに認定されているものは8箇所となっています。

 

本書著者の高木さんは、地球科学の研究者であるとともに、ジオパーク運動に深く関わって来られ、日本ジオパーク委員会顧問だということです。

 

本書はそのようなジオパークを例に取り、日本列島の5億年の歴史をたどりながら、実際の地形や地層などに表れているところを、非常に美しい写真で示しています。

 

なお、ほとんどが有名観光地となっているところであり、私も訪れたことがある場所が多数含まれています。やはりこういったジオパークとしての要素は観光資源としても重要であるということなのでしょう。

 

地層が長年にわたって積み重なっているということでは、アメリカのコロラド平原などは典型的なものです。コロラド川により侵食されたグランドキャニオンは壮観ですが、地形的にはただほぼ水平に数十億年分重なっているだけとも言えるものです。

しかし、日本列島ではプレートが押し合いへし合いで複雑な動きとなり、下仁田ジオパークではおよそ2km四方の白亜紀の地層が完全にひっくり返っている場所もあるそうです。

 

 

日本列島はフィリピン海プレート、太平洋プレート、ユーラシアプレート、北アメリカプレートがぶつかり合っているところに形成されました。

プレート同士がぶつかり合うと一方が他方の下に潜り込むのですが、その時に水分も引きずり込むことで火山フロントも形成されます。

それとともに、プレートの動きにつられて動いてきた付加体と呼ばれる岩塊が地上に残ることになります。

日本列島というのは、実はこのような付加体が地形の骨組みとなり、その上に積み重なった堆積岩と、火山噴出物でできているようなものと言えるそうです。

 

さて、こういった基本知識の解説のあとはいよいよ「年代別」典型例の紹介になります。

 

最初は「日本最古の鉱物」です。 ただし、この本には「日本最古の」がつくものがいくつも出てきますので、注意が必要です。

 

日本最古の鉱物は、立山黒部ジオパークの宇奈月花崗岩に含まれるジルコンだそうです。

宇奈月花崗岩自体は1.8億年前にできたものですが、その中にもっと古い時代の鉱物片としてわずかにジルコンが残っていました。

 

日本最古の岩石としては、岐阜県上麻生のジュラ紀地層の中に礫(小石)として含まれていたものだそうです。これが20億年前。なお、ここは私の祖母の出身地の近くだそうです。

 

日本最古の岩体、つまりある程度の岩の塊として残っているものです。

これには、茨城県日立、熊本県竜峰山、宮城県早池峰などが挙げられます。

 

ここで驚いたのは「熊本県竜峰山」でした。こう聞かされてもほとんどの人はどこだか分からないと思いますが、熊本県でも南部の八代平野の東側の低山です。

我が家から道路に出ると眼の前にそびえている山です。こんなところにそういうものがあったとは。

 

日本最古の地層は、岐阜県上宝村の飛騨外縁帯と言われているところです。4.5億年前ほどでしょうか。オルドビス紀の化石を含みます。

 

その後のシルル紀デボン紀以降の堆積岩や石灰岩は化石を大量に含んでいます。

これらの地層が日本列島の骨格を形成しました。

 

時代は一気に下り、2000万年前の新第三紀以降になると、日本海が拡大していきいよいよ日本列島が分離されてきます。

そこに取り上げられているジオパークなどの写真は有名観光地が続出です。

山陰の香住海岸、青森の仏ヶ浦、茨城の袋田の滝、栃木県大谷石、等よく見る風景が続きます。

 

第四紀に入り、現在まで続く火山活動が活発化し多くのカルデラが形成されてきます。

こういったカルデラがすべて大規模噴火を伴っていたことを思うとこれが現在起きたらという怖さとともに興味も湧きます。

妙義荒船もカルデラの痕跡でした。北アルプスの槍穂高付近にも現在は表れていないカルデラがあったそうです。

日本最大級のカルデラは9万年前の阿蘇噴火でした。これでは九州のほぼ全域を火砕流が埋め尽くし、火山灰は北海道まで確認されます。

さらに、2.6万年前には姶良カルデラの大規模噴火、そして今のところ最後のカルデラ噴火である、7300年前の鬼界カルデラ噴火でした。

地質時代の長さから考えるとこのような噴火はごく最近と思えるものです。

しかし、阿蘇第4ほどでなくても姶良カルデラ噴火でも今起きれば日本はほぼ破滅でしょう。

 

最後の方には、地震断層の実画像として、濃尾地震の根尾断層、阪神淡路地震の野島断層のものが載せられています。地面の下に大きな力がかかっていて、時折動き出す。日本列島の宿命と感じます。

怖ろしいことかもしれませんが、しかしその風景は美しい。

 

 

お酒の話 酒会社での体験 その4 なんと清酒製造

その当時勤務していた熊本県の工場では、本格焼酎(乙類焼酎)の米・麦と、アルコールを割水した甲類焼酎を製造していました。

 

熊本県でも現在は焼酎全盛になっていますが、実は40年ほど前の私が入社した頃はまだ日本酒(清酒)を飲む人が多かったのです。

ただし、人吉市などの球磨地方だけはその当時から米焼酎ばかりでした。

 

私は焼酎会社に就職したので焼酎を普通に飲んでいましたが、会社外の人と付き合うことも出てくると、その人たちは焼酎などは下に見て日本酒を飲んでいるのでびっくりしたものです。

しかし、清酒製造の限界線というものがあり、普通に作っている酒造会社というのは熊本市やその隣町の城南町といったところが最南端でした。

よく知られているように、清酒製造には高温が大敵で、できるだけ冷やすことが必要なんですが、熊本も県南より南では真冬でも温度が高すぎたようです。

(ただし、水俣のすぐとなりの津奈木町に亀萬酒造というところがあり、清酒を作っていますが、ここは昔から仕込みに大量の氷を使うという特殊な醸造法によっています)

 

しかし、徐々に世の中の趨勢も清酒から焼酎に移るようになってきたのですが、そんなある日突然「清酒を作ってみる」という話が持ち上がりました。

 

この裏にはあきれるほど変な話がありました。

それまでは、会社では関東地方の工場と、神戸市東灘区の関連会社工場で清酒を作っていたのですが、その神戸の会社の工場が阪神淡路大震災で被災し操業不能となったまま廃業することとなりました。

しかし、その工場の清酒製造免許が「もったいない」というのが、熊本の工場に清酒製造を持ってこようという発想の基になったものです。

もちろん、継続的にこちらで製造しようという考えはなかったのですが、免許維持のためには年に1度一定量清酒製造をしなければならないという規定だったため、無理やり作るぞということになったものです。

 まったく、無理無駄を絵に描いたような話ですが、酒類の製造免許というものは国税庁の方針でほとんど新規に取得するということができず、一度手に入れた製造免許はなんとしても守るというのが当然視されていたので、仕方のないところでした。

 

 

ちょうどその当時は私の職務は製造課長ではなく技術サポート部門だったので、私にその調査企画の役が回ってきました。(というか、押し付けられました)

 

細かいことはまだ書けませんが(さすがに名誉な話ではありません・墓場まで持っていくか)さんざん苦労して1回だけ作ったものの出来は悪く、ちょっと口にする気もしないものでした。

ほろ苦いどころか、かなり苦い”酒”、いやいや”体験”でした。

 

「日本は、」G.D.グリーンバーグ著

著者のグリーンバーグさんはアメリカ出身で大学で経済学を教えていたそうですが、詳細は自分でも明らかにしていないものの40年ほど前に大学を追われ日本にやってきたそうです。

 それからずっと日本の大学で教えて過ごしてきたそうですが、日本に来て感じた日本文化や習慣など公平な感覚で見られているようです。

アメリカのことは善悪含めて精通しているので、そちらの影響も正確に判定しています。

 

そのようなグリーンバーグさんですが、ツイッターで数多くのつぶやきを残しています。

それが秀逸ということで、まとめて本にするということになったそうです。

 

本はほとんどすべてが「つぶやき」のみという構成で、解説も何もありません。

さすがに、まだそれほど時が離れていないため、何についてのつぶやきかということもそれほど無理なく想像することができますが、しばらくするとそれも分からなくなるかもしれません。

 

万葉集など、古代の和歌集には「詞書(ことばがき)」という、その歌が詠まれた背景や解説などが付記されていますが、ツイッターもまとめる際は詞書が必要になるかもしれません。

 

どれもなかなか鋭い一刺しのつぶやきばかりですが、中からいくつか選んでみました。(私の独断の選考です)

 

☆日本人女性の美しさ、「近くに行くのにも化粧をして着飾る手間と金を惜しまない」と世界の女性に賞賛される。しかし世界の女性は小声で囁く。「なぜ?美しい黒髪の色を変え、きれいな地肌を化粧で隠し、体臭もないのに香水を付ける。なぜ?」

 

☆「日本人ばなれしたー」なんと自虐的な表現!

 

☆すべての神秘主義を否定する私としては占いの類が嫌いである。ワイドショーの星座占いですら不愉快だが、心から憤慨したのは、加入していた大手生命保険の冊子内の占いコーナー。保険というシビアに未来を見つめる立場から占いを見せられ、私はその保険を解約した。

 

☆世界の下品。イギリスのゴシップ誌、日本のエロ本、そしてアメリカ人そのもの。

 

☆アメリカはいつも日本に「規制緩和」を要求するが、それはたとえば医療保険のように米企業が大手を振って参入するために他ならない。ただ日本にもそういう例があって、宮内義彦氏による「規制緩和」「行政改革」の後にはオリックスが大手を振って参入している。

 

☆日本人が思う世界はアメリカ。アメリカ人が思う世界もアメリカ。

 

ジャイアンツが主導し、ジャイアンツが得をする逆指名ドラフトは(一応)崩壊した。自民党が主導し自民党が得をする小選挙区制、比例代表制も崩壊させられるはずだと信じたい。

 

☆つくづく思うが日本のロックの歌詞における英語の貧しさ。発音がひどい。意味がわからない。意味がわかっても前後の文脈とあっていない。合っていても田舎の中学生のような言葉遣い。作詞をしている若者ははっぴいえんどブルーハーツの高潔な日本語歌詞を知らないのだろうか。

 

 

いやあ、本当にお上手。こういったつぶやきが他にもどんどんと並んでいます。

しかし、これだけ粒ぞろいのものを書いていくのも相当大変なのでは。

ご苦労様です。出版時には83歳におなりだそうです。

 

日本は、

日本は、

 

 

夢の話「温泉旅館グループのネットサイトを立ち上げるが、創業者が急死しお手上げドタバタ」

またまた不条理この上ない、しかもなんでこんなシチュエーションがリアリティたっぷりに夢に出てくるのかよくわからない夢を見てしまいました。

 

状況は、地域の温泉旅館をグループ化してネット上でアピールし予約をつかむという、変なサイトを立ち上げる、アイデアマンの40代男性に私も協力者として参加します。

 

そのシステムは、24軒の旅館をランクごとに分類し一覧表のように並べて一括予約を請け負うネットサイトというもので、最初に一つの地域で成功し、徐々に他の温泉にも広げていくというものでした。

 

私自身の役割というものが何かは今ひとつ具体的ではなかったのですが、創業者男性にかなり近い立場のようでした。

 

しかし、その創業者が40代の若さでガンにかかり急死してしまうのでした。

せっかく軌道に乗りかけていた予約サイトも運営が上手く行かず、予約率も軒並み下落していき、他の温泉の参加旅館もどんどんと離脱、創業時の最初の地域でも苦しくなってどうしようというところでした。

 

その「予約表」というのがまた、リアルなんです。昔のテレビ番組のパネルクイズという感じの段組みで、予約が入ると裏返していくと言ったもので、見るだけで予約状況が分かるんですが、それが不調になるとどこも裏返せない。

まるで都知事選挙の時の自民党選対のような感じでした。

 

その「どうしたら良いのだ」という焦りの気持ちが、朝まで続く寝室の蒸し暑さとあいまって、早くから目覚めてしまいました。さすがに3時台では起きるには早いと思い寝直しましたが、こういう時は朝から不調です。

 

「禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄」藤田一照、伊藤比呂美著

曹洞宗僧侶ですが、その経歴はいろいろとあったという藤田さんが、詩人でありながら最近は仏教関係の書籍も多数出版されている(ただし、坐禅には挑戦はしたものの上手く行ったことがない)伊藤さんと、坐禅仏教そのものについて対談したという、会話記録のようなものです。

 

伊藤さんは仏教関係の書物を書かれているとはいえ、仏教というものを詩人らしく言葉で理解しようとしてきました。それを坐禅という言葉以外のもので伝えようとする手段によって理解させてきた藤田さんが対決?しどのようなことになったのか、結論ははっきり出ているわけではないので、その対話の課程を楽しもうという本になっています。

 

そもそも仏教とは、禅とはといったところから話が始まるのは已むを得ないでしょう。

もうほとんどすべての読者たちもそういった知識は持っていないでしょうから。

 

仏教とは、ゴータマ・シッダールタがああしてこうして、ということろから始まり、さらに禅というものがどこからどうなって、というのが基本知識のところです。

 

 続いて、伊藤さんはこれまでも何度か坐禅をする機会があったものの、何か上手く行かないという体験をして来られたのですが、それがなぜか、どうすればよいのかといった話を藤田さんが誘導していくこととなります。

藤田さんも長い修行時代を経ているわけですが、坐禅のやり方、教え方も指導者によってかなり変わるそうです。

しかし、あくまでもやらされるのではなく自発的に禅に取り組むということが大切なようです。

 

坐禅は決して苦行ではなく、楽しいと思えるものでなければならないというのは、体験者から聞かないとわからないものでしょう。

 

坐禅というもののイメージを変えてくれた本だったかもしれません。

 

禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書)
 

 

内閣支持率下落、それでも受け皿が無いって、どういう政党なら受け皿になるの

安倍内閣が数々のスキャンダルで支持率が下落していますが、それでも民進党などの野党が政権の受け皿として期待できないことからそれ以上の崩壊にまでは至っていないということです。

 

東京都議会では小池新党である都民ファーストがあるということで、あっさりと自民党崩壊の道筋を示してしまいました。

 

私もさすがに今の民進党が「政権の受け皿」になるなどとは夢にも思えません。

ならば、どういった政党であれば「受け皿」になるのでしょうか。

 

基本的には、現政権同様の「経済優先、それも景気回復、経済成長」路線でしょう。

(ただし、現政権はそれは見せかけだけで本心は別のようですが)

 

そのためには、民進党左派(そんなの居るんかね)や共産党のような産業政策自体が大きく変化するようなところには任せられないというものでしょう。

 

そこで、すっかり評判を下げていますが一時の維新の会、そして小池新党の全国版といったものに期待が集まりやすいのでしょう。

 

そういった基本路線の中で、付加価値として原発政策であったり、新エネルギー政策であったり、福祉政策や年金問題であったりという点を取り入れるといったところでしょうか。

 

私の見る所、モノになりそうで、できたら一気に政権の受け皿になるかもというのは、小池新党に自民党の反安倍グループが大挙して押し寄せた場合でしょうか。

 

そして、それは政策としては「これまでと大差なし」になることがほぼ決まりです。

政権を取ったとしてもすぐに馬脚を表すことが間違い無しのようなものです。

 

本当に長続きするような方向性は「脱成長」「脱エネルギー」社会の構築に向けた社会変革を実行することだけです。

そういった勢力は現在まったく存在しません。

当分は真っ暗闇の続くことになるのでしょう。