爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「戦国大名の正体 家中粛清と権威志向」鍛代敏雄著

著者のお名前は非常に難しい読み方ですが「きたい」と読むそうです。

日本中世史がご専門の歴史学者です。

 

戦国大名という人たちは、決して自分たちが「戦国大名」であるとは思っていませんでした。

しかし、ほぼ16世紀の100年間に国を支配していた大名たちが「戦国大名」であると言えます。

 

とはいえ、その時代の中でも性格の異なる戦国大名が様々存在しており、たとえば北条早雲黒田官兵衛はどちらも戦国大名と言えますが、まったく異なるものです。

 

 

戦国時代にはちょうどヨーロッパからの宣教師が盛んに来訪している時期でもあり、彼らの書いた報告などが残っていますが、そこで日本の戦国というものを評したルイス・フロイスの文章があります。

「われわれは土地や都市、村を奪うために戦うが、日本では戦争はいつでも米や麦などの食糧の奪い合いである」

このように、末期を除けば戦国時代の戦争というものは小規模な地域紛争であったようです。

 

また、大名家での家中の争いというものも多数発生しており、そこには家中の粛清と王殺し(主殺し)が頻発しています。

粛清し過ぎて家中の人間が少なくなり、家全体が力を失って他国に滅ぼされるということもあったようです。

 

 

大名はそれぞれ国を治めていました。その国を「国家」と呼んでいた例があるようです。

これは日本全体を国家と考えたわけではなく、自分が治める分国をそう呼んだということのようです。

 

室町時代から、守護大名は自分の領国を「御分国」と呼んでいたようです。

そのためか、その後の戦国大名も自分の国を「分国」と呼んでいた例が多いそうです。

 

また、自分自身のことをなんと言っていたかというと、「国主」という言い方はしていなかったようです。

足利将軍は「大樹」と称していたようですが、その有力大名は「屋形」という称号を許されていました。

戦国大名もそれにならって「御屋形様」と呼ばせていたようです。

また、「太守」という呼び方も大きな分国の領主である大内氏、大友氏、北条氏に見られます。

 

また、学校の日本史でも教えられているように、各大名が「分国法」を作ったとされています。

しかし、実際に知られている分国法はそれほど多いわけではなく、主に守護大名戦国大名となった、大内・今川・武田などに見られます。

その他の大名も分国法が無かったというわけではなく、成文法ではなくても判例法というべきものがあったようです。

 

 

戦国時代にはその前の時代とは異なり、大名の住む城館と家来や町人が住む町とが隣接するようになりました。

戦国城下町というものが成立するのですが、臣下を城下町に集めるということはなかなか難しいことだったようで、臣下の支配地の地元に残りたいという意識に対して、強権で集めるということも行われたようです。

 

 

戦国大名の正体 - 家中粛清と権威志向 (中公新書)

戦国大名の正体 - 家中粛清と権威志向 (中公新書)

 

 

この本も研究者の集大成といったもので、読むには手強いものでした。

まあ、あまりにも細かいところは飛ばし読みです。

 

「安心?!食べ物情報」にて渡辺宏さんが和牛についてまとめています。

いつも参考にさせていただいています、渡辺宏さんの「安心?!食べ物情報」今週の記事で、和牛に関する情報あれこれがまとめてあります。

 

http://food.kenji.ne.jp/review/review911.html

 

和牛子牛の販売価格が高騰しているとか。

 

酪農家の高齢化で廃業が相次いでいる他、口蹄疫の影響で殺処分も多く回復していないようです。

子牛育成酪農家は一息つけますが、肥育農家は苦しくなりそうです。

 

また、最近特に騒々しく言われている「A5ランク」などといった問題は、どうやらかつての牛肉輸入自由化の際に国産和牛の差別化という目的で作られた価値観によるようです。

 

【引用】

そして決定的な出来事が1990年代に起こる。GATTウルグアイ・ラ
ウンドによる牛肉自由化である。それまで輸入に高い障壁を設けて
いた牛肉市場を、基本的に自由化することとなったのである。欧米
の畜産国から見れば日本の畜産事情はまだまだ中小規模であり、価
格面では太刀打ちできない。ヘタをすれば日本の肉牛産業は壊滅し
てしまいかねない。

  そこで、日本の畜産を守ろうとする人たちはこう考えたのだろう
と推察する。

 欧米で生産される肉のほとんどが赤身中心の肉である。ならば日
本の牛の基準を霜降り度合いを重視するものにしてしまおう。そう
すれば、黒毛和牛に勝てる霜降りをもつ輸入肉などないのだから、
多くの日本の肉牛農家を守ることができる。赤身中心の輸入牛肉と
直接競合するのはホルスタインと交雑種だが、そこはなんとか生き
延びてもらおう。

 かくして、日本の牛肉の評価は、肉質(霜降り度合い)と歩留ま
り(1頭からどれだけの肉が取れるか)の2つに収斂していった。

 

実はそれまでの牛肉というものはここまでサシの入ったものでは無かったようです。

 

それでも食事の洋風化の影響もあり、徐々に脂肪分の多いものが好まれるようにはなってきており「霜降り」という言葉は広がっていました。

 

私も、「霜降り」はかなり以前から聞いたことがありますが、「A5ランク」などという文句はごく最近のように思います。

 

それがちょうどバブル前後のグルメブームとも重なり、高いものは美味いといった価値観醸成ともあいまって、「A5ランク和牛が味も最高」といったものになっていったんでしょう。

渡辺さんは触れていませんが、ここらへんにはテレビのグルメ番組の影響も強いのでしょうね。

 

渡辺さんの記事の中にもあるように、老舗すき焼き店でもあまりにもサシの多すぎる牛肉は旨味に乏しいとして使わなくなったところがあるそうです。

 

せいぜい脂肪分30%程度がもっとも美味しいとか。

 

 

食肉類のなかでも牛肉というものは他の鶏肉、豚肉、マトン、馬肉等と比べてもはるかに脂肪分が多くなりやすい肉質だそうです。

そして、牛の中でも特に黒毛和牛という種が霜降り状に脂肪が入りやすい性質があり、そのなかでも現在のA5ランク和牛を産み出している系統の血統がその性質が強かったとか。

 

 

こういう風に詳細な説明で、ようやくはっきりと現在の牛肉の状況がつかめました。

 

なお、我が家では和牛ステーキなどA5どころかはるかに下の等級でも食べません。(買えません)

まあ金が無いというのも主な理由ですが、どうも脂肪分が多すぎるのには舌がついていけないという理由もかなりの部分を占めています。

 

牛肉をたま~に食べる場合も赤身がたっぷりの海外産肉ばかりですが、その方が肉の旨味が味わえると感じていました。

 

それに間違いは無かったということが納得できました。

「沖縄・久米島から日本国家を読み解く」佐藤優著

著者の佐藤さんはロシア語の堪能な外交官として活躍されていたのですが、鈴木宗男議員の事件に巻き込まれ500日以上の長期にわたって勾留されるという経験をされました。

その後は著述家として多くの著作を発表されています。

 

その独房の中で、不思議に頭に浮かんだのが沖縄、久米島の風景であったということです。

 

佐藤さんは東京生まれですが、母上が久米島の出身で、幼い頃からその島の風景などについて話を聞いていたそうです。

それが、不可解な事件に巻き込まれての理不尽な拘束という状況下で自らが半分は沖縄の血を引いているということの意味を気付かされたのではないかということです。

 

勾留中に差し入れてもらって読んだ多数の書物の中でも、沖縄関係の本に大きな影響を受けたそうです。

「おもろそうし」という沖縄の「おもろ」(歌謡)集めた本の中には、久米島のオモロも含まれていました。

それには、世界は久米島の中の神聖な地、新垣の社から始まったという伝承が書かれていたそうです。

世界は決してクレムリンホワイトハウスだけが中心ではないという視点の転換だったのでしょうか。

 

 

久米島は南西諸島のなかでも沖縄本島を含む沖縄諸島の最西端で、本島からは約100km、そこから西にはもはや宮古八重山列島しか無いというところです。

歴史的にも琉球王朝の支配に入ったのは遅く、長い間独立を守っていました。

琉球と中国の間にあり、交易が盛んな頃はその中継で栄えたそうですが、琉球薩摩藩が実質支配して後は自由貿易もできなくなり貧しい地方となったようです。

しかし、直接戦乱に巻き込まれることもなく歴史資料も保存されています。

 

久米島出身で沖縄に関する学問(沖縄学)の研究者である、仲原善忠の著作に大きな影響を受けたということで、それについても多くを記述しています。

 

著者はかつてロシア外交の専門家であったので、ソ連(ロシア)の大問題であった民族問題も精通しています。その知識から振り返れば、沖縄問題というものはロシアでいうナロードノスチ(亜民族)と同列のものだそうです。

ロシアの多くのナロードノスチはソ連の政策によりほとんどロシアに同化してしまいました。

 

 

この本も非常に手強いものでした。

沖縄に関する基礎知識が乏しいために何が書かれているかが掴みづらく著者の本当に言いたいことが伝わっているか自信が持てません。

また、他の本も読んだ後にもう一度挑戦すべきかもしれません。

 

沖縄久米島から日本国家を読み解く

沖縄久米島から日本国家を読み解く

 

 

「コルトレーン ジャズの殉教者」藤岡靖洋著

著者の藤岡さんはコルトレーン研究者と名乗っていますが、検索してみるとどうやら「世界的研究者」のようです。

 

そのような藤岡さんは、2007年にも「ザ・ジョン・コルトレーン・リファレンス」という本も出版され、好評であったそうですが、今回はさらに全米の資料館、図書館の調査、コルトレーンの親類縁者へインタビューも新たに実施し、新たなコルトレーン像を打ち立てようとしたそうです。

 

そして、それは最晩年の名曲「至上の愛」、有名な発言の「私は聖者になりたい」という言葉の真の意味も初めて解明し本書に盛り込むことができたということです。

 

 

ジョン・コルトレーンはジャズサックス奏者ですが、亡くなった1967年からはもう50年経ちます。

しかし、今でもやはりジャズの巨人であり続けているように感じられます。

 

本書は、彼の亡くなる前年の日本公演の描写から始まります。

東京・大阪での公演のあと、広島、長崎でもコンサートを行っています。

非常に厳しいスケジュールの中、今よりはるかに時間のかかる移動をしてもあえて広島長崎の訪問を選んだのはコルトレーン本人の希望があったようです。

 

ただし、その時期にはすでにコルトレーンの音楽は常人では計り知れないところまで進んでいたようで、演奏曲目としては「至上の愛」や「インプレッションズ」などの代表曲も挙げられていたにも関わらず、実際のコンサートではその一曲も演奏されず、何がやられているのか聴衆は分からなかったそうです。

 

その後は、伝記の常法にのっとって生い立ちから成長、音楽との出会い、デビュー等々が続いて描かれています。

 

同年齢ながらすでにかなりの業績を挙げていたマイルズ・デイヴィスによって、コルトレーンは見出されますが、麻薬中毒のために辞めさせられることになります。

その後悔があったようで、コルトレーンはその後麻薬からは足を洗い、さらに独自の音楽を作り出していくことになります。

 

その後、ジャイアントステップやマイ・フェイバリット・シングスなどの名曲を送り出し、ジャズの巨人としての名声を確立するのですが、本人はさらに奥深く突き進んでしまいます。

 

なお、この時期の曲ではテナーサックスからソプラノサックスに持ち替えて吹いているものが多いのですが、それについての記述で本書p106に「ソプラノサックスは、テナーサックスと同じEフラットキーであるため、持ち替えても吹きやすい」とあります。

ここは何かの勘違いでしょうか。これは「Bフラットキー」であると思います。

Eフラット楽器は、アルトサックス、バリトンサックス等のはずです。

 

この時期に発売されたレコードに「バラード」があります。(1961年)

発売時の評価では賛否ばらばらで、けなす評論家も多かったようですが、現在でも「究極のバラード」と絶賛されるものです。

実は、私が昔購入したコルトレーンのLPはこれだけでした。

マイルズのレコードでコルトレーン参加のものは何枚か持っていますが、結局彼の名義のレコードは他には買えませんでした。

今は、ネットでフリーで聞くこともできますが、昔はレコードも高価でなかなか買えなかったものです。

 

 

彼が亡くなった1967年はアメリカがベトナム戦争の泥沼に入り込み、他にも数々の戦乱があった頃です。

世界の平和を望んでいたコルトレーンは音楽で平和をもたらしたいという希望を持っていました。

それが、「私は聖者になりたい」という言葉にあらわれていたというのが、著者の辿り着いた結論でした。

 

 

コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書)

コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書)

 

 

なお、コルトレーンの死んだ1967年は、またビートルズが爆発的に広がり、他にもロックミュージシャンが出現しだすという時期でもありました。

それまでのジャズブームがそれからはロックに押され続ける時代になります。

コルトレーンが生きていてもそれは止められなかったかもしれません。

 

「6度目の大絶滅」エリザベス・コルバート著

生物の大絶滅と言う事件が、これまでに5回起きました。

その原因は様々ですが、ほとんどの生物が死滅してしまいました。

 

有名なものは、白亜紀末の6600万年前に小惑星の衝突で起きたと言われるもので、恐竜のほとんどが死滅しました。

 

そういった大絶滅と同様の事態が現在起きつつあるというのが、「6度目の大絶滅」です。

 

これには、これまでの5回のような、小惑星衝突や火山大爆発などは関わっていません。

その原因は「人間の大量繁茂」です。

それにより、多くの地域での自然破壊、二酸化炭素排出による温暖化などが起き、生物が住むことができなくなって絶滅していきます。

 

 

ただし、巻末の訳者あとがきにあるように、本書はその人類による大量絶滅を食い止めるための処方箋を説くものではありません。

アメリカマストドン、オオウミガラスアンモナイト、フデイシ、スマトラサイ、サンゴ等々、これまでに絶滅してきた数多くの生物、これから絶滅しようとしている多くの生物を取材した克明な記録であり、それを通して現状を語っています。

 

とはいえ、読後感は「あまりに冗長」でした。

一つ一つの生物が滅び、またこれから滅びようとしている状況というのは壮大な物語なのですが、そこに至るまでの著者の旅の苦労を一々読んでいくのも苦痛でした。

 

それだけ読まされて、「ならどうしたら良いの」にはまったく答えないのでは、ちょっと徒労感ばかりです。

 

なお、現代は地質時代としてはすでにこれまでの「完新世」から「人新世」に入っているという議論がされているようです。

もはや人類の影響はそこまで大きくなってしまっているということなのでしょう。

多くの生物が絶滅してしまうか、その前に人類が自滅してしまうか。どうなるのでしょう。

 

6度目の大絶滅

6度目の大絶滅

 

 

いよいよ憲法を変えると言い出した

安倍首相は2020年を目標に憲法を変えると明言しました。

それも9条に自衛隊を書き込むことが主となるものだということです。

 

blogos.com

憲法には多くの問題点があり、それを放っておいてはいけないのは明らかなのですが、自衛隊云々はかなり低い順位のものでしかありません。

 

最も大きな問題は国会をどうするのか。このままで良いのか考えなければなりません。

そもそも二院制が必要なのか。参議院の選挙方法は衆議院と似たりよったりで良いのか。(人口比例ではなく、アメリカ上院のように各都道府県代表とするか)

衆院優位という言葉だけで良いのか。

衆議院も人口比例を厳格に守らなくてよいのか。

小選挙区制を憲法に書かなくてよいのか。

 

また、三権分立に関しても考えるべき点は数多くあり、現在のどう見ても与党独裁制に歯止めをかける仕組みがないのは問題です。

官僚の暴走を食い止める仕組みもなんとかしなければならないでしょう。

 

人権と義務の点でも多くを現状に合わせ、さらに理想形をうたわなければいけません。

 

防衛に関しても(順位は低いかもしれませんが、ちょっとだけ言えば)まず個別的自衛権のみに留めるという原則の明記なしに政権の思うままに集団的自衛権になだれ込んでしまうことを憲法が阻止できるものにしなければなりません。(そうすれば9条に自衛隊を書き込むことも我慢してやろう)

 

このような大問題を捨て置いて、自衛隊の認知だけを目標の憲法変更とは、なんとレベルの低い改憲論議か。

 

こんな程度の改憲で、歴史に名を残す宰相などとは片腹痛い。

出直し。

 

ついつい怒りが湧いてしまいました。人柄を疑わせる乱文で失礼しました。

「満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦」安富歩著

著者の安富さんは東京大学東洋文化研究所教授ですが、経済学博士であり、「東大話法」という言葉を編み出した方のようです。

また、最近自ら女装を選択したということで、一筋縄ではいかない人だということが分かります。

この本も、満洲国という多くの人に災難をもたらした存在を歴史的に振り返るというにはとどまらないものを含んだ内容となっています。

 

とは言え、もちろん歴史事実の発掘ということは十分に調査研究をされているようで、そこら辺の記述は詳細なものとなっています。

 

 

本書冒頭に描かれているように、「満洲のイメージ」と言われれば「どこまでも続く地平線、果てしなく広がる大豆畑」でしょう。

私もその通りのイメージを持っていました。

 

しかし、この地は清朝を建てた満洲族の故地であったために、清の時代には開発が厳しく制限されていて、清朝盛期には移住や耕作といった開発は禁止されていました。

したがって、その当時の満洲の地は実は「樹齢500年を越える大木の大森林や広大な湿地帯、草原など多様な自然が残る動植物のユートピア」だったそうです。

 

1905年の日露戦争で戦った日本軍の記録にも当地にはまだ森が残り豹が出たというものがあったのですが、その後の1930年代に日本からの満洲開拓団が入った頃には森林は消え去り山は禿山となっていました。

つまり、わずか20年たらずでこのような大規模な森林伐採、自然破壊が行われたのです。

 

 

1895年に日清戦争の結果日本が遼東半島を獲得したのに対し、ドイツ・ロシア・フランスが異議を唱えて戻させたのが、「三国干渉」ですが、その代償としてロシアが清から獲得したのが、満洲を通りウラジオストクと旅順までの「東清鉄道」の敷設権でした。

シベリア鉄道の途中から別れてハルビンを通るというものでしたが、これを1905年に日露戦争の一応の勝利の代償として、ハルビン以南の路線を日本が獲得しました。

ここに日本が設立したのが、「南満州鉄道株式会社」いわゆる「満鉄」です。

 

それまでに、ロシアの東清鉄道では木材の薪を炊いて列車を走らせていましたのですでに相当の森林を伐採していましたが、満鉄になり各地に支線を伸ばすことでさらに森林を切り開いていきました。

そして、そこに大豆を栽培する農家が大量に入植し、生産物の大豆を満鉄で輸送するという社会が急速に出来上がっていったそうです。

 

こういった社会は伝統的な中国の農村社会と異なり、単純構造でした。そのために日本からの植民地化の進展においても、中心地の政権を押さえれば後は楽に進行するということができたため、比較的容易に進んだようです。

 

実はこのことが、その後に華北地方に侵攻した日本軍が満洲とまったく異なる社会であることに気付かずに苦戦をする伏線にもなっています。

こういった満洲華北の社会構造の違いということにも意識が向かないままの戦略だったのでしょう。

 

 

満洲においては、馬賊あがりの張作霖軍閥政権を作っていましたが、強固な政権というわけにも行かないままだったので、日本の関東軍が取って代わるということも容易でした。

そこで満州事変を起こし、さらに満洲国を作り上げてしまいます。

 

1931年9月、奉天郊外の柳条湖で爆発が起き、それを口実に関東軍は一気の進軍で中国軍を追い払いました。

これは板垣征四郎石原莞爾らの謀略であることが後に判明し、さらに林銑十郎の朝鮮軍が独断で参戦します。これらの軍規違反は軍法会議で厳しく追求すべきものでしたが、勝利したということでまったくお咎めなし、さらに賞賛するという国内の反応でした。

このように、「原則に固執せず、既成事実に弱いというのが日本人全般の特徴だ」というのが著者の恩師の森嶋通夫氏が繰り返し言っていたことだそうです。

逆に、原則に固執する人を毛嫌いする傾向があります。これが、戦争を引き起こした日本人の性癖だろうとも語っていました。

こういった特徴は福島原発事故時にもみられたということで、著者が「東大話法」を取り上げたのはその点についての危惧からだそうです。

 

こうやって成立した満洲国ですが、このわずかな歴史の裏には「大豆・総力戦・立場主義」があるということです。

 

満洲大豆は日本にも大量に運ばれます。これは大豆粕として畑に入れる肥料にしました。

つまり、長年積み重ねてきた満洲の森林の肥沃な有機物が大豆に形を変えて日本の大地を潤したことになります。

さらに、満洲大豆は日露戦争後にはヨーロッパにも運ばれました。

ドイツで発展した化学工業の原料に大豆油が大きな役割を果たしたそうです。

 

総力戦という言葉は、第一次世界大戦から使われました。

しかし、著者によればこの「total war」 の訳語としての「総力戦」は誤訳であり、「すべてを包括する戦争」とすべきでした。

総力戦と訳したために、「すべてをつぎ込めば勝てる」かのような幻想を生み出したのではないかということです。

そうではなく、「国のすべてを巻き込む戦争」と考えるべきでした。

 

前述の石原莞爾もこれからの戦争は総力戦になることをはっきりと認識していました。

そして、総力戦となればアメリカなどと戦って勝てるわけがないことも理解していました。

しかし、彼らがその対策として考えたのは、「全中国を占領して国力を上げる」ことだったそうです。まったくの妄想というものでした。

 

なお、他の軍人が考えたのも「総力戦になると勝てないので、短期決戦に持ち込む」といった誤った観念でした。

 「勝てないので戦わない」というのが唯一の正解だったのですが。

 

 

もう一つの「立場主義」というものが、著者がこの本で一番書きたかったことのようです。

日本は個人主義の国であるか、家制度の残る封建主義の国であるかと考えると、もちろん個人主義であるはずもありませんが、実は家制度というものも明治時代以降どんどんと崩壊していっており、とてもそれが支配するような国ではないと言えます。

 

それならば、日本はどうやって成り立っているかというと、それが「立場主義」だということです。

日本人の行動を支配するのは、その各人の「立場」であるということです。

 

著者はこの国を「日本立場主義人民共和国」と呼んでいますが、その「立場主義三原則」は次のとおりです。

 

前文 「役」を果たせば「立場」が守られる

第1条 「役」をはたすためには何でもしなければならない

第2条 「立場」を守るためなら何をしても良い

第3条 他人の「立場」を脅かしてはならない

 

結局、大戦時には陸海軍ともに自分自身の「立場」の暴走を止められませんでした。

STAP細胞事件も取り上げられています。

結局、理研小保方晴子さんを辞めさせることすらできませんでした。(依願退職

もし辞めさせるとなると、彼女を雇った人、一緒に研究した人、管理職などの人々の「立場」が無くなるからと見ています。

 

 

このように、満洲は「立場主義」の暴走で破滅しました。

しかし、著者の見る所、現在の日本もまさに「満洲国」同様の状況にあるようです。