爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

公的年金の運用益が10兆円以上の黒字 これで危機は去ったのか

公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)によると昨年10月ー12月期の運用実績は10兆円以上の黒字となり、運用益は過去最高となったそうです。

 

www.nikkei.com

昨年の始めには5兆円もの赤字を出したということで、年金基金株式投資に大きく振り向けたことによる危機感を感じました。

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1157 加速するアベノミクス - 爽風上々のブログ

 

そして、何よりもアベノミクスの最大の成果と言われていた株式市場の活性化というものが、実は公的年金基金を注ぎ込んだだけのものであるということがはっきりと認識できたということでした。

 

さて、それが昨年後期の第4四半期では大きくプラスに振り戻しました。

 

それでは、これで状況が好転したのでしょうか。

 

株式をご存知の方なら誰でも分かるように、この運用益というものは現金を手にしたものではありません。

株式の評価価格を計算しただけであり、持っているのは株だけです。

 

これを現金化しようとしても、それは不可能です。売ろうとしたらその情報だけでも株式市場全体が暴落するでしょう。

 

しかも、どうやらこの株式投資は「売らないことを約束」しているのではないかという観測もあります。

 

「裏読み日本経済 本当は何がおきているのか」朝倉慶著 - 爽風上々のブログ

この本の著者によれば、日本政府が持つ日本株は絶対に売らない(だから上がる一方)ということを提示し、外国投資家に日本への投資を促したということです。

 

これが本当なら、年金資金による株式投資は絶対に売られることはないでしょう。

 

現在の株式市場の高騰はトランプバブルとでも言うべきアメリカ新政権の政策に対する期待だけで成り立っているものです。

いずれは破綻する運命にあるのは当然でしょう。

その時にはGPIFの投資はどうなるのか。これも危ういものと言わざるを得ません。

しかも危機の寸前に売り抜けるということも不可能です。

「年金が無くなる」というのは若い人たちだけの不安ではなくなりそうです。

「日本人ビジネスマン ”見せかけの勤勉”の正体」大田肇著

副題は「なぜ成果主義は失敗したか」というものです。

 

職場などでの人事評価を成果によって判断し、大きく配分を変えるという成果主義は低成長時代に入り広範囲に広がってしまいましたが、どこでもそれが効果を上げるということはなく、かえって弊害ばかりが目立っています。

 

私も会社勤務時代には中間管理職として評価する立場にも、評価される立場にも立たされ、苦しまされました。

 

本書によると、日本の成果主義は本来の「成果」を基にした判断が不可能となり、「やる気・熱意」だけで見てしまう、「やる気主義」とでも言うようなものになってしまいました。

そのために、「やる気を出せ」と言われてかえって真のやる気を失う人が大多数を占め、またポーズだけやる気を示すような人が高評価となって、しかし実際の業績は上がらないということになりました。

 

本書著者の太田さんは組織論や人事管理論といったものを専門とする同志社大学経済学部教授という方です。

様々な組織での人事管理も研究してこられ、どこに問題があるのか、どうすれば良いのかということも提言されています。

 

労働者の勤務態度を世界的に調査すると、日本人の労働時間の長さというのは際立っています。

帰宅時間の遅さというのは突出していますし、有給休暇の取得率も低いままです。

 

しかし、意識調査を見ると「仕事に対して高い熱意を感じている」人はわずか9%に過ぎず、これは調査対象の14カ国中最低の数値です。

日本人は「世界で一番やる気がない」と言えそうです。

さらに、日本人の長所としてチームワークの良さということが言われていましたが、実はその点でも意識が低下しているそうです。

 

著者はその原因が何なのかを調査してきました。

その方法として、手間はかかるものの調査対象の労働者に「これまでの経験でやる気を失ったのはどんな時か」を尋ねて記述してもらうということを実施しました。

これにより本当の「ホンネ」が引き出されたものとしています。

 

それによると、5つの「足かせ」が浮かび上がりました。

一つは、意味のない残業です。

ここには曖昧な人事評価が関わってきます。仕事をテキパキ終わらせて早く帰るというのをマイナス評価している。もしくはしているように感じるために、だらだらと帰れないというのが多くの職場で横行しています。

それが労働者のやる気というものを大きく阻害しています。

 

 次に、目標が定まらないことです。

上司の質にもよるのでしょうが、期待した人材にはさらに目標を高くしがちで結局その心身にもダメージを与えることになります。

 

また管理職が勘違いをして過剰に管理をするということでやる気を削ぐこともしばしば起こります。

そもそも「管理職」という名称があるので、「管理しなければ」と思い込むのかもしれません。

 

同僚との人間関係がもつれることも職場の雰囲気を壊すことになります。

人間関係を濃くする方向に進めるのが良いと思い違いをして、かえっていじめを引き起こしたりすることもあります。

 

評価・処遇が不公平であるということは、やる気を阻害するという作用を非常に強く表します。

給与などの処遇が悪い会社というのが存在するのは確かですが、それが会社内では皆が悪いということであれば、そこまで不満が高まることはないのですが、例え平均的には給与が高い会社であってもその中で不公平感が強ければその不満は高まります。

そこには相対的不満が発生し、自分のプライドを傷つけられたと感じる社員が表れます。

プライドを傷つけられた人間は何をするか分からないというのが、より怖い結果を生み出す可能性にもつながります。

 

このように、「やる気を削ぐ足かせ」になる条件を考えていくと、そこには「監督」というものが大きく関わっていることが分かります。

どうやら、日本の組織というものは「監督」ということのやり方を取り違えているために、やる気を出させようとしながら、かえってそれを削いでいるのです。

 

 

ここには、管理者の間に蔓延している「やる気主義」というものがまったく逆に作用しているという皮肉な現象が表れています。

 

日本では昔から「やる気」をことのほか大切にしてきたようです。

精神一到何事かならざらん」という言葉が真理のように使われてきました。

政治家が「額に汗する人が報われる世にしたい」と言えば誰もそれに反対しません。

逆に、濡れ手で粟のように大金をつかむ(そこには天才的な才能があったとしても)こと自体に反発を感じるのが一般の感覚です。

 

この結果、「成果主義」を導入した時にその内容を改ざんしてしまいました。

そのときには「成果主義と結果主義とは違う」とか、「成果にいたるプロセスが大事だ」とかいう、一見もっともらしい説明がされました。

日本生産性本部の調査によると、2004年に成果主義を取り入れている企業の91%が「評価する場合に業績などの結果だけでなく、そこに至るプロセスも評価に反映させている」と答えたそうです。

しかも、注目すべきはそう答えた企業の3分の1以上が「プロセスを評価する基準が客観的ではない」ことを認めていました。

結局、「プロセス」で評価すると言っても現場の管理者は「プロセスらしきもの」で評価していただけです。その結果、残業したり休日出勤したりという見た目のやる気に騙されてしまいました。

 

本当にやる気というものを出させるためには、大きな管理法の変革が必要です。

「やらされ感」というものを持っていては真のやる気は出せません。

そのためには「所有感」というものが必要になります。

これは、仕事の企画・運営などは本人に所有させてしまうということを意味しています。

それを持たせた人は徐々に自分からやる気というものを出してくるようになります。

 

これを「金魚すくいの法則」というそうです。

金魚すくいの下手な人はこちらから金魚を追いかけ、すぐにアミを破ってしまいます。

上手な人は金魚を泳がせて近づいた所にさっとすくう。それがコツということです。

 

今はパート・アルバイトといった雇用者も多いのが労働環境ですが、やりようによってはバイト社員にも「所有感」をもたせることは可能です。

 

部下の管理というものも「カリスマ性」は必要としません。

一般のビジネス書などを見ると、武田信玄上杉謙信など名将に習うといった記事が多いのですが、「上司が部下の上に立つ」という考え自体が間違いです。

管理者をマネージャーということが多いようですが、この英語のニュアンスは日本語の「管理者」とはかなり違います。

昔からクラブ活動のマネージャー、芸能人のマネージャーという人が居ました。

実はこの方が本来の「マネージャー」に近いということです。

つまり、物事を円滑に進めるというのが本来であり、人の上に立って管理するということではありません。

マネージャーは人の管理をするのではなく、仕事の管理をするのだと考えるべきです。

 

部下が仕事をしていく上での障害を取り除いてやりやすくすること。それが究極の上司だということです。

 

昔、会社でしがない課長をやっていたころに読みたかった本でした。

今となっては何の意味もなくなってしまいました。

 

 

国有地売却問題で首相の及び腰 考えられないほどの非常識な態度

金友学園(じゃなかったっけ)の小学校用地取得の際の不明瞭な国有地売却にまつわる事件がさらに疑惑を深めています。

 

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国会での追求も、事の経緯から首相周辺に質問が集中するのは仕方のないことかもしれませんが、それに対し安倍首相は過度に反応し逆ギレするなど非常識な態度を見せています。

 

さらに、この件の解明も「会計検査院に任せれば良い」などとの発言。

もともとは自身の名前まで付けられようとした学校、夫人が名誉校長などという学校についての疑惑があったとは思えないような無責任ぶりです。

 

自身の疑惑は完全否定ということですから、その点については自信があるのでしょうが、このような事例だからこそ自ら率先して厳しく捜査を統率して明らかにしていくという態度が当然だと思いますが、そのような常識は持ち合わせていないようです。

(まあ最初からそれは期待していませんが)

 

前にも書きましたが、異様な取引が行われた疑惑がある以上、少なくとも財務省国土庁関係者などの不正を一番に疑うべきでしょう。

そして、それに対して政治家の介入があればそこも追求すべきです。

 

あまりにも官僚に対しての見方が甘すぎるのはなぜでしょう。

彼らが悪いことをするのは天下り問題だけと決まったわけではないでしょう。

 

韓国での、大統領周辺やトップ企業の経営者に対しても厳しい取り調べという風土には、ちょっとどうかなと思うほどでしたが、かえってそのような韓国の実情がうらやましく思えるほどの日本政界の惨状です。

 

なお、この件について、ジャーナリストの内田誠さんが”まぐまぐニュース”で新聞各社の報道姿勢を比較しています。

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東京新聞が一番詳しく報道しているようですが、読売は相変わらず安倍応援団ぶりを発揮しているようで、このような態度は新聞として相応しくないと評価されています。

このような新聞を読んでいる人が一番多いというのは困った状況です。

「サラ金崩壊 グレーゾーン金利をめぐる300日戦争」井出壮平著

テレビを見ればサラ金消費者金融)のCMが立て続けに流れていたのもそう古い話ではないのですが、今はまったく様変わりし、「過払い金請求」を呼びかける弁護士事務所のCMばかりのような印象になってしまいました。

 

この間にはグレーゾーン金利というかつてあった制度上の問題点が絡んでおり、それを法律改正により無くしたということは、なんとなく知ってはいたのですが、詳細はまったく分かりませんでした。

 

その点について、2006年に最高裁グレーゾーン金利否定の判決が出されてから、国会で貸金業法の改正がなされるまでの300日、どのようなことがあったのかを、共同通信社記者の著者の井出さんが詳細な取材を基に書き上げたのが本書です。

 

当然ながら消費者金融会社などの業界は必死の抵抗を繰り広げ、政治家やアメリカなども巻き込んでの闘争になりましたが、社会的に大きな問題となっていたサラ金による取り立てや多重債務といった情勢が追い風となりなんとか法成立となったのでした。

そこには、金融庁の参事官であった大森泰人氏の決意、与謝野馨金融経済財政担当相の支援もあってのものでした。

 

借金をした際の利息を定める法律は、その時点までは2つのものが存在し、その上限金利が食い違うという状況がありました。

一方は利息制限法で、元本金額に応じて差があるものの、最高利率が年20.0%、もう一方の出資法では年率29.2%でした。

この状況が1954年以降ずっと続いていました。

 

この20%から29.2%までの間のことを「グレーゾーン金利」と呼び、当然ながら消費者金融各社はそのグレーゾーンの上限近くで商売をしていました。

 

これに対し利息制限法を越える利息は違法とする裁判が起こされたのですが、最終的にそれを認めたのが2006年1月13日の最高裁判決でした。

しかし、その判決だけではグレーゾーン金利を禁止するということにはならず、この時点では金融業界も楽観的だったそうです。

 

それに対し、利息上限の引き下げを立法化しようという動きが金融庁の上記の参事官大森泰人氏などで起きてきます。

貸金業懇談会の様々なメンバーに根回しを始めるのですが、業界側メンバーからは利息の混在を出資法の29.2%に揃えるといった案まで出る状況で、立場の違いは明白でした。

しかし、新聞などでの報道も引き下げに好意的となり、徐々に社会的な動きも激しくなっていきます。

 

しかもちょうどその頃業界でも大手であったアイフルの違法取り立てに対する行政処分が下され、消費者金融業界に対する批判が激しくなっていきます。

それも追い風となり金利引き下げでのグレーゾーン解消という方向に動くことになります。

 

業界側の抵抗も、多くの政治家を動かしてのものとなりました。

法改正となっても特例を設けるとか、準備期間を長くするといった骨抜き策を取り入れようとしました。

また、アメリカのシティバンクを筆頭にしたシティグループも既に準大手のディックを買収して参入していたために、政府を通じての圧力をかけてきました。

 

しかし、特例法案に対しても社会の大きな反発を招くということになり、ほとんど特例のない貸金業法改正が採決されたのは同年11月29日の衆議院財務金融委員会でした。

 

この法改正により、消費者金融業界は大きな打撃を受けることになりました。

 

ただし、このような正規金融業者といわゆるヤミ金とは別問題であり、それはまだまだ大きな問題ではあるようですが、こちらは違法業者ですので警察の取締態度次第ということのようです。

 

このような誰が見ても正しい法改正であっても様々な抵抗があり、貫くには担当者の強固な意志と社会の後押しが必要ということでしょう。

 

サラ金崩壊―グレーゾーン金利撤廃をめぐる300日戦争

サラ金崩壊―グレーゾーン金利撤廃をめぐる300日戦争

 

 

「倭国 東アジア世界の中で」岡田英弘著

この本も最初に読んだのはかなり昔になります。

昭和52年に初版発行ですので、その直後に買ったとすれば大学時代ということになります。

 

若い時から歴史それも特に古代に関心が深く色々と本も読んでいましたが、この本はその中でも非常に刺激的なものでした。

 

それまでの本は邪馬台国が大和なのか九州なのかといった重箱隅論争や、古事記日本書紀の読み方といったものばかりで、何か細部だけをつついているような印象のものが多かったのですが、本書は副題にもあるように、「東アジア世界」というものの中で日本をとらえるという、広い視点からのものであり、読んでみて興奮すら覚えたものでした。

 

今回、改めて読み直してみると、さすがに色々と本を読み歩き批判眼ばかりが強くなったためか、あちこち気になる穴も数々見られますが、それでも大筋は納得させられるものが多いように感じます。

 

本書まえがきにも著者の考えの基盤が描かれています。

やはりそれまでの日本史学界の風潮に対して批判的に構築した歴史観ということで、それまでの日本書紀依存史観や、考古学偏重史観、そして日本史・朝鮮史・中国史の専門家がまったく連絡なしに我道を行っているという現状を批判、それを乗り越えようとして研究してきたとしています。

 

その結果としての日本古代を一言で言えば、「日本を作ったのは中国、日本文化を創ったのは華僑」であるということです。

 

隋が中国統一を果たし建国した直後の紀元608年に倭国から使者がやってきました。

その翌年、隋の文帝は裴世清を答礼使節として倭国に派遣しました。

その紀行文が隋書東夷伝に納められていますが、その記述は日本書紀などのものとまったく相違するものであるのに、それを問題としたものがなかったそうです。

 

そこに描かれた倭国までの道のりでは、対馬国壱岐国はまったく別の国家としてあり、さらに筑紫国を経て東に向かうと、途中には秦王国と称する国がありその住人は中国人であったそうです。

筑紫から東の各国は倭国の属国であるものの独立国、対馬壱岐は属国でもない。

これは日本書紀を基に作られた古代国家の常識からかけ離れた状態です。その頃にはもはや大和朝廷が日本の大部分を治めていたことになっていますから。

それほどに、中国側資料と日本独自の資料とがかけ離れているということです。

魏志倭人伝だけではありません。

 

日本周辺の古代史を考える上では、朝鮮半島の情勢は密接に関係しています。

日本書紀史観から言うと、独自に発達し成立した大和朝廷は力を付けて半島に進出といった筋書きになっていますが、そんなはずもありません。

 

朝鮮半島には様々な民族が原始的な集団を作っていましたが、中国からも多くの移民などが入り込んできました。

その結果、漢王朝時代には楽浪郡帯方郡といった漢の直接の支配が及んでいます。

そのような状況下で日本には目が届かないなどということがあるはずもありません。

日本列島にも多くの中国人が入り込み、華僑として商業活動などをしていたと考えられます。

そして、現地の実力者と華僑の協力した政体が漢書にも記されている倭人の諸国であろうということです。

 

その後、漢が衰え三国時代以降の争乱の時代になりますが、この時の人口激減というものは激しいもので、中国の総人口が急減してしまいます。

当然、対外的な活動も不可能となりますが、その時期の外国からの使者来訪というのは中国側にとってもありがたいもので、邪馬台国使者というのもその実像以上に歓待されたようです。

それは、魏の国にとっても良い国力誇示の宣伝にもなったということで、それが魏志倭人伝の誇張とも取れる内容につながったようです。

 

しかし、倭国側の実情というものは、実際は7世紀になっても各地の政権が林立していたような統一とは程遠いものでした。

 

それが、663年の白村江の戦いでの唐との直接の対戦と完膚なき敗戦で変わってしまったそうです。

唐の日本への来襲も予測される中で、分裂していた各地の政体も統一させ、文化的にも一つのものを作っていくという、民族国家としての始まりとなったという解釈です。

 

その中でできてきたのが、日本書紀などであり、そこにはそういったイデオロギーが強く反映されたものになっています。

 

とはいえ、この後半の日本書紀批判の部分はその根拠も省略されているのか、はっきりせず「これはこんなはずはない」と断定しているだけという、やや薄弱な論理と感じるところでした。

もちろん、これは一般向けの解説書であり専門家同士の論争の資料ではありませんので実際のところは分かりませんが、どうでしょうか。

 

しかし、この本がその後の私の歴史観の一つの基礎となったとも言えるものです。

より広い視点から見るということが大切と感じさせるものでした。

 

 

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1177 米国第一主義

賀茂川さんの今回のブログ、トランプのキーワード「米国第一主義」ずばりそのものです。

 

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しかし、そこで主張されている中の「アメリカ」というのがこれまでの政財界の支配階級の「アメリカ」ではなく「アメリカの労働者」であろうという指摘です。

 

その意味を汲み取っているためか、ここでの賀茂川さんのトランプに対する姿勢は、非常に好意的であると感じます。

 

そして、反トランプ運動というものも、これまでアメリカを支配してきた「1%」の者たちの指導によるものという解釈です。

 

どうもここのところは、賀茂川さんの思い入れが過ぎているのではないかと感じます。

トランプが本当に労働者のための政策なんてやるはずないじゃんというのが、率直な感想ですが。

 

なお、記事中にはアメリカの軍事政策も転換し、これまでのような海外に対する過剰な戦争政策も取らないのではという、賀茂川さんの期待のこもった観測も書かれていますが、本日のニュースによれば軍事予算を「歴史的に」増加させるという発表をしています。

ここも、期待はずれになりそうです。

 

確かに賀茂川さんの主張のように、これまでのアメリカの政権が取ってきた政策というものは邪悪なものでしたが、トランプ政権というのもそれを正すという行動は取りそうもないと思いますが。

 

 

森友学園小学校用地の国有地払い下げ問題の取り上げ方に違和感

大阪の森友学園が小学校建設のためとして国有地を格安で払い下げを受けた問題について、国会でも審議されさらに報道も過熱しています。

 

その幼稚園での様子が繰り返し報道されていますが、選手宣誓で「安倍首相がんばれ」と言わせているというもので、まあ普通に考えれば誰もが眉をひそめそうなものです。

www.jiji.com

しかし、あの光景を見て一番先に連想されるのは、北朝鮮の子どもたちの映像です。

「アンポホウセイコッカイツウカ」などと意味も分からず言わされている姿はまさに彼の国の子どもたちと重なります。

 

 

国会では野党の追求が激しいようですが、安倍首相は一切の関与はないと断言しています。

また、当の学園理事長という男のインタビューも報じられましたが、「政治家への働きかけはしていない」と語っていました。

 

 

ここで、最大の違和感を感じるところです。

「政治家(安倍かそれ以外かにかかわらず)が関与していなければ良いのか」です。

 

この件の最大の問題点は国有地の払い下げという、もちろん一方は国家公務員が関わる取引で不正が起きた可能性が強いというものです。

 

それが単なるミスであっても、地下のゴミの撤去費用が8億円というのが妥当でないならば、国民の財産を不当に安く売ってしまったという事自体が問題です。

 

さらに、それが学園側からの働きかけによるものであれば、不法行為である可能性も出てきますし、まずそれを解明すべきでしょう。

 

そこにさらに誰か政治家が関与していればそれも捜査対象にすれば良いだけの話です。

 

どうも、本件の場合は「安倍」の名が前面に出されていた事案のために、野党もメディアもそちらばかりに注目してしまったようです。

 

また、そこには官僚というものに対する行き過ぎた信頼感もあるのかもしれません。

官僚が悪いことをするのは自分の天下りの時だけとは限りません。あらゆる可能性を考えて調べを尽くしてほしいものです。